ねて長さを量《はか》らんとするが如き暴挙である。
自然主義なるものが起《おこ》って既に五、六年になる。これを口にする人は皆それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限りにおいては、またわが了解し得たる限りにおいては(了解し得ざる論議は暫《しばら》く措《お》いて)必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして舶載《はくさい》した品物である。吾人がこの輪廓の中味を充※[#「仞」のにんべんに代えて牛へん、第4水準2−80−18]《じゅうじん》するために生きているのでない事は明《あきら》かである。吾人の活力発展の内容が、自然にこの輪廓を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。
一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉《わた》って強《し》いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強《てごわ》く、また今少し根気よく猛進したなら、自《おのずか》ら覆《くつがえ》るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽《おお》う
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング