イズムの功過
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)几帳面《きちょうめん》な

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)比較的|緻密《ちみつ》な

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)充※[#「仞」のにんべんに代えて牛へん、第4水準2−80−18]《じゅうじん》
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 大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面《きちょうめん》な男が束《たば》にして頭の抽出《ひきだし》へ入れやすいように拵《こしら》えてくれたものである。一纏《ひとまと》めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫《おっくう》になったり、解《ほど》くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車《しなんしゃ》というよりは、吾人《ごじん》の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。
 同時に多くのイズムは、零砕《れいさい》の類例が、比較的|緻密《ちみつ》な頭脳に濾過《ろか》されて凝結《ぎょうけつ》した時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓《りんかく》である。中味《なかみ》のないものである。中味を棄てて輪廓だけを畳《たた》み込むのは、天保銭《てんぽうせん》を脊負う代りに紙幣を懐《ふところ》にすると同じく小さな人間として軽便《けいべん》だからである。
 この意味においてイズムは会社の決算報告に比較すべきものである。更に生徒の学年成績に匹敵《ひってき》すべきものである。僅《わずか》一行の数字の裏面《りめん》に、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗《せいはい》とが潜《ひそ》んでいる。
 従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束《そうそく》するものである。経験の歴史を簡略にするものである。与えられたる事実の輪廓である。型である。この型を以て未来に臨《のぞ》むのは、天の展開する未来の内容を、人の頭で拵《こしら》えた器《うつわ》に盛終《もりおお》せようと、あらかじめ待ち設《もう》けると一般である。器械的な自然界の現象のうち、尤
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