《もっと》も単調な重複《ちょうふく》を厭《いと》わざるものには、すぐこの型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこのためである。しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直《ただち》に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸《けいがい》のために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に遵《したが》って、自己に真実なる輪廓を、自《みずか》らと自らに付与し得ざる屈辱を憤《いきどお》る事さえある。
 精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪廓がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過《ざいか》と見る。
 過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これからもまたこのイズムに支配せられざるべからずと臆断《おくだん》して、一短期の過程より得たる輪廓を胸に蔵して、凡《すべ》てを断ぜんとするものは、升《ます》を抱いて高さを計り、かねて長さを量《はか》らんとするが如き暴挙である。
 自然主義なるものが起《おこ》って既に五、六年になる。これを口にする人は皆それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限りにおいては、またわが了解し得たる限りにおいては(了解し得ざる論議は暫《しばら》く措《お》いて)必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして舶載《はくさい》した品物である。吾人がこの輪廓の中味を充※[#「仞」のにんべんに代えて牛へん、第4水準2−80−18]《じゅうじん》するために生きているのでない事は明《あきら》かである。吾人の活力発展の内容が、自然にこの輪廓を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。
 一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉《わた》って強《し》いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強《てごわ》く、また今少し根気よく猛進したなら、自《おのずか》ら覆《くつがえ》るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽《おお》う
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