誠之進とは外貌のよく似てゐた如く、気質《きだて》も本当の兄弟であつた。両方に差支のあるときは特別、都合さへ付けば、同じ所に食《く》つ付き合つて、同じ事をして暮してゐた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火《ともしび》を分つた位|親《した》しかつた。
 丁度|直記《なほき》の十八の秋《あき》であつた。ある時|二人《ふたり》は城下外《じやうかはづれ》の等覚寺といふ寺へ親《おや》の使に行つた。これは藩主の菩提寺で、そこにゐる楚水といふ坊さんが、二人《ふたり》の親《おや》とは昵近《じつこん》なので、用の手紙を、此楚水さんに渡しに行つたのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであつたが、楚水さんに留《と》められて、色々話してゐるうちに遅《おそ》くなつて、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中《しちう》は大分雑沓してゐた。二人《ふたり》は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲らうとする角《かど》で、川向ひの方限《ほうぎ》りの某《なにがし》といふものに突き当つた。此|某《なにがし》と二人《ふたり》とは、かねてから仲《なか》が悪《わる》かつた。其時|某《なにがし》は大分酒気を帯びてゐたと見えて、二言三言《ふたことみこと》いひ争ふうちに刀《かたな》を抜《ぬ》いて、いきなり斬り付《つ》けた。斬り付《つ》けられた方は兄《あに》であつた。已を得ず是も腰の物を抜《ぬ》いて立ち向つたが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴もの丈あつて、酩酊してゐるにも拘はらず、強かつた。黙《だま》つてゐれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。さうして二人《ふたり》で滅茶苦茶に相手を斬り殺して仕舞つた。
 其|頃《ころ》の習慣として、侍《さむらひ》が侍《さむらひ》を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟は其覚悟で家《うち》へ帰つて来《き》た。父《ちゝ》も二人《ふたり》を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であつた。所が母《はゝ》が生憎|祭《まつり》で知己《ちかづき》の家《うち》へ呼《よ》ばれて留守である。父は二人《ふたり》に切腹をさせる前、もう一遍|母《はゝ》に逢《あ》はしてやりたいと云ふ人情から、すぐ母《はゝ》を迎にやつた。さうして母の来《く》る間《あひだ》、二人《ふたり》に訓戒を加へたり、或は切腹する座敷の用意をさせたり可成愚図々々してゐた。
 母《はゝ》の客に行つてゐた所は、その遠縁《とほえん》にあたる高木《たかぎ》といふ勢力家であつたので、大変都合が好《よ》かつた。と云ふのは、其頃は世の中《なか》の動《うご》き掛けた当時で、侍《さむらひ》の掟《おきて》も昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井の家《いへ》へ来《き》て、何分の沙汰が公向《おもてむき》からある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父を諭《さと》した。
 高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某《なにがし》の親《おや》は又、存外訳の解《わか》つた人で、平生から倅《せがれ》の行跡《ぎやうせき》の良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方《こつち》から狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間《ひとま》の内《うち》に閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人《ふたり》とも人《ひと》知れず家《いへ》を捨《す》てた。
 三年の後|兄《あに》は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となつた。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。さうして妻を迎へて、得《とく》といふ一字|名《な》になつた。其時は自分の命《いのち》を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になつてゐた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思つて色々勧めて見たが応じなかつた。此養子に子供が二人《ふたり》あつて、男の方は京都へ出て同志社へ這入《はい》つた。其所《そこ》を卒業してから、長らく亜米利加に居つたさうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になつてゐる。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁《よめ》に行つた。代助の細君の候補者といふのは此多額納税者の娘である。
「大変込み入つてるのね。私《わたし》驚ろいちまつた」と嫂《あによめ》が代助に云つた。
「御父《おとう》さんから何返も聞いてるぢやありませんか」
「だつて、何時《いつ》もは御|嫁《よめ》の話《はなし》が出《で》ないから、好《い》い加減に聞いてるのよ」
「佐川《さがは》にそんな娘があつたのかな。僕も些《ち》つとも知らなかつた」
「御貰《おもらひ》なさいよ」
「賛成なんですか」
「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」
「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰《もら》ひ好《い》い様だな」
「おや、左様《そん》なのがあるの」
 代助は苦笑して答へなかつた。

       四の一

 代助は今読み切《き》つた許《ばかり》の薄《うす》い洋書を机の上に開《あ》けた儘、両|肱《ひぢ》を突《つ》いて茫乎《ぼんやり》考へた。代助の頭《あたま》は最後の幕《まく》で一杯になつてゐる。――遠くの向ふに寒《さむ》さうな樹が立つてゐる後《うしろ》に、二つの小さな角燈が音《おと》もなく揺《ゆら》めいて見えた。絞首台は其所《そこ》にある。刑人は暗《くら》い所に立つた。木履《くつ》を片足《かたあし》失《な》くなした、寒《さむ》いと一人《ひとり》が云ふと、何《なに》を? と一人《ひとり》が聞き直《なほ》した。木履《くつ》を失《な》くなして寒いと前《まへ》のものが同じ事を繰り返した。Mは何処《どこ》にゐると誰《だれ》か聞いた。此所《こゝ》にゐると誰《だれ》か答へた。樹《き》の間《あひだ》に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿《しめ》つぽい風《かぜ》が其所《そこ》から吹いて来《く》る。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文を書《か》いた紙《かみ》と、宣告文を持つた、白い手――手套《てぶくろ》を穿《は》めない――を角燈が照《て》らした。読上《よみあ》げんでも可《よ》からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もう只《たつた》一人《ひとり》になつたとKが云つた。さうして溜息《ためいき》を吐《つ》いた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只《たつた》一人《ひとり》になつて仕舞つた。……
 海から日《ひ》が上《あが》つた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸《くび》、飛び出《だ》した眼《め》、唇《くちびる》の上《うへ》に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡《あは》に濡《ぬ》れた舌《した》を積み込んで元《もと》の路へ引き返した。……
 代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所《こゝ》迄|頭《あたま》の中《なか》で繰り返して見て、竦《ぞつ》と肩《かた》を縮《すく》めた。斯《か》う云ふ時に、彼《かれ》が尤も痛切に感《かん》ずるのは、万一自分がこんな場に臨《のぞ》んだら、どうしたら宜からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何《いか》にも残酷である。彼は生《せい》の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練《みれん》に両方に往つたり来《き》たりする苦悶を心に描《ゑが》き出しながら凝《じつ》と坐《すは》つてゐると、脊中《せなか》一面《いちめん》の皮《かは》が毛穴《けあな》ごとにむづ/\して殆《ほと》んど堪《たま》らなくなる。
 彼《かれ》の父《ちゝ》は十七のとき、家中《かちう》の一人《ひとり》を斬り殺して、それが為《た》め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語《かた》つてゐる。父《ちゝ》の考では兄《あに》の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父《ぢゞ》に頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。父《ちゝ》が過去を語《かた》る度《たび》に、代助は父《ちゝ》をえらいと思ふより、不愉快な人間《にんげん》だと思ふ。さうでなければ嘘吐《うそつき》だと思ふ。嘘吐《うそつき》の方がまだ余っ程|父《ちゝ》らしい気がする。
 父許《ちゝばかり》ではない。祖父《ぢゞ》に就ても、こんな話がある。祖父《ぢゞ》が若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他《ひと》の嫉妬《ねたみ》を受けて、ある夜縄手|道《みち》を城下へ帰る途中で、誰《だれ》かに斬り殺された。其時第一に馳け付《つ》けたものは祖父《ぢゞ》であつた。左の手に提灯を翳《かざ》して、右の手に抜身《ぬきみ》を持つて、其|抜身《ぬきみ》で死骸《しがい》を叩きながら、軍平《ぐんぺい》確《しつ》かりしろ、創《きづ》は浅《あさ》いぞと云つたさうである。
 伯父《おぢ》が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿《やどや》に踏み込まれて、伯父は二階の廂《ひさし》から飛び下《お》りる途端、庭石に爪付《つまづ》いて倒れる所を上《うへ》から、容赦なく遣《や》られた為に、顔が膾《なます》の様になつたさうである。殺される十日|程《ほど》前、夜中《やちう》、合羽《かつぱ》を着《き》て、傘《かさ》に雪を除《よ》けながら、足駄《あしだ》がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時|旅宿《やど》の二丁程手前で、突然《とつぜん》後《うしろ》から長井|直記《なほき》どのと呼び懸けられた。伯父《おぢ》は振り向きもせず、矢張り傘《かさ》を差《さ》した儘、旅宿《やど》の戸口《とぐち》迄|来《き》て、格子《こうし》を開《あ》けて中《なか》へ這入《はいつ》た。さうして格子をぴしやりと締《し》めて、中《うち》から、長井|直記《なほき》は拙者だ。何御用か。と聞いたさうである。
 代助は斯んな話を聞く度《たび》に、勇《いさ》ましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先に立《た》つ。度胸を買つてやる前に、腥《なま》ぐさい臭《にほひ》が鼻柱《はなばしら》を抜ける様に応《こた》へる。
 もし死が可能であるならば、それは発作《ほつさ》の絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である。所が、彼は決して発作《ほつさ》性の男でない。手も顫《ふる》へる、足も顫《ふる》へる。声の顫《ふる》へる事や、心臓の飛び上《あ》がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死《し》に易くなるのは眼《め》に見えてゐるから、時には好奇心で、せめて、其近所迄押し寄せて見《み》たいと思ふ事もあるが、全く駄目である。代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸で違《ちが》つてゐるのに驚ろかずにはゐられない。

       四の二

 代助は机の上の書物を伏せると立ち上《あ》がつた。縁側《えんがは》の硝子戸《がらすど》を細目《ほそめ》に開《あ》けた間《あひだ》から暖《あたゝ》かい陽気な風が吹き込んで来《き》た。さうして鉢植のアマランスの赤い瓣《はなびら》をふら/\と揺《うご》かした。日《ひ》は大きな花の上《うへ》に落ちてゐる。代助は曲《こゞ》んで、花の中《なか》を覗《のぞ》き込んだ。やがて、ひよろ長い雄|蕊《ずゐ》の頂《いたゞ》きから、花粉《くわふん》を取つて、雌蕊《しずゐ》の先《さき》へ持つて来《き》て、丹念《たんねん》に塗《ぬ》り付《つ》けた。
「蟻《あり》でも付《つ》きましたか」と門野《かどの》が玄関の方から出《で》て来《き》た。袴《はかま》を穿《は》いてゐる。代助は曲《こゞ》んだ儘顔を上《あ》げた。
「もう行《い》つて来《き》たの」
「えゝ、行《い》つて来《き》ました。何《なん》ださうです。明日《あした》御引移《おひきうつ》りになるさうです。今日《けふ》是から上《あ》がらうと思つてた所だと仰《おつ》しやいました」
「誰《だれ》が? 平岡が?」
「えゝ
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