迄、熱烈を厭ふ、危きに近寄り得ぬ、勝|負事《ぶごと》を好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚してゐた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云ふ自覚はどうしても彼《かれ》の心から取り去る事が出来なかつた。
 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其|中《なか》のある号で、Mountain《マウンテン》 Accidents《アクシデンツ》 と題する一篇に遭《あ》つて、かつて心《こゝろ》を駭《おどろ》かした。夫《それ》には高山を攀《よ》ぢ上《のぼ》る冒険者の、怪我|過《あやまち》が沢山に並《なら》べてあつた。登山の途中|雪崩《ゆきなだ》れに圧《お》されて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年|後《ご》に氷河の先《さき》へ引|懸《かゝ》つて出《で》た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きな平《ひら》岩を越すとき、肩から肩の上へ猿《さる》の様に重《かさ》なり合つて、最上の一人の手が岩《いは》の鼻へ掛かるや否や、岩《いは》が崩《くづ》れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男の傍《そば》を遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何《いくつ》となく載せてあつた間に、錬瓦《れんぐわ》の壁《かべ》程急な山腹《さんぷく》に、蝙蝠《かうもり》の様に吸《す》ひ付いた人間《にんげん》を二三ヶ所点綴した挿画《さしゑ》があつた。其時代助は其絶壁の横《よこ》にある白い空間のあなたに、広《ひろ》い空《そら》や、遥かの谷《たに》を想像して、怖《おそ》ろしさから来《く》る眩暈《めまひ》を、頭《あたま》の中《なか》に再|現《げん》せずには居られなかつた。
 代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。けれども自《みづか》ら其場に臨んで見ると、怯《ひる》む気は少しもなかつた。怯《ひる》んで猶予する方が彼に取つては幾倍の苦痛であつた。
 彼は一日《いちじつ》も早く父《ちゝ》に逢つて話《はなし》をしたかつた。万一の差支を恐れて、三千代が来《き》た翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。父《ちゝ》は留守だと云ふ返事を得た。次《つぎ》の日又問ひ合せたら、今度は差支があると云つて断《ことわ》られた。其次には此方《こちら》から知らせる迄は来《く》るに及ばんといふ挨拶であつた。代助は命令通り控《ひか》えてゐた。其間|嫂《あによめ》からも兄《あに》からも便《たより》は一向なかつた。代助は始めは家《うち》のものが、自分に出来る丈長い、反省再考の時間を与へる為《ため》の策略ではあるまいかと推察して、平気に構へてゐた。三度の食事も旨《うま》く食《く》つた。夜《よる》も比較的|安《やす》らかな夢を見た。雨《あめ》の晴間《はれま》には門野《かどの》を連れて散歩を一二度した。然し宅《うち》からは使《つかひ》も手紙《てがみ》も来《こ》なかつた。代助は絶壁《ぜつぺき》の途中で休息する時間の長過ぎるのに安《やす》からずなつた。仕舞に思ひ切つて、自分の方から青山へ出掛《でか》けて行つた。兄《あに》は例の如く留守であつた。嫂《あによめ》は代助を見《み》て気の毒さうな顔をした。が、例の事件に就ては何にも語《かた》らなかつた。代助の来意を聞《き》いて、では私《わたし》が一寸《ちよつと》奥《おく》へ行《い》つて御父《おとう》さんの御都合を伺《うかゞ》つて来《き》ませうと云つて立つた。梅子の態度は、父《ちゝ》の怒りから代助を庇《かば》う様にも見えた。又彼を疎外する様にも取《と》れた。代助は両方の何《いづ》れだらうかと煩《わづら》つて待つてゐた。待ちながらも、何《ど》うせ覚悟の前だと何遍も口《くち》のうちで繰り返した。
 奥から梅子が出て来る迄には、大分|暇《ひま》が掛《かゝ》つた。代助を見て、又気の毒さうに、今日《けふ》は御都合が悪《わる》いさうですよと云つた。代助は仕方なしに、何時《いつ》来《き》たら宜《よ》からうかと尋ねた。固より例《れい》の様《やう》な元気はなく悄然とした問ひ振りであつた。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中に屹度自分が責任を以て都合の好《い》い時日を知らせるから今日《けふ》は帰れと云つた。代助が内玄関を出《で》る時、梅子はわざと送つて来《き》て、
「今度《こんだ》こそ能く考へて入らつしやいよ」と注意した。代助は返事もせずに門《もん》を出《で》た。

       十五の二

 帰る途中《とちう》も不愉快で堪《たま》らなかつた。此間《このあひだ》三千代に逢《あ》つて以後、味はう事を知つた心の平和を、父《ちゝ》や嫂《あによめ》の態度で幾分か破壊されたと云ふ心持が路々《みち/\》募つた。自分は自分の思ふ通りを父《ちゝ》に告《つ》げる、父《ちゝ》は父《ちゝ》の考へを遠慮なく自分に洩らす、それで衝突する、衝突の結果はどうあらうとも潔よく自分で受ける。是が代助の予期であつた。父《ちゝ》の仕打《しうち》は彼《かれ》の予期以外に面白くないものであつた。其仕打は父《ちゝ》の人格を反射する丈夫丈多く代助を不愉快にした。
 代助は途《みち》すがら、何《なに》を苦《くるし》んで、父《ちゝ》との会見を左迄に急いだものかと思ひ出《だ》した。元来が父《ちゝ》の要求に対する自分の返事に過ぎないのだから、便宜は寧ろ、是を待ち受ける父《ちゝ》の方にあるべき筈であつた。其|父《ちゝ》がわざとらしく自分を避ける様にして、面会を延《の》ばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなると云ふ不結果を生ずる外に何《なに》も起り様がない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もう既に片付《かたづ》けて仕舞つた積《つもり》でゐた。彼は父《ちゝ》から時日を指定して呼び出《だ》される迄は、宅《うち》の方の所置を其儘にして放つて置く事に極めた。
 彼は家《いへ》に帰つた。父《ちゝ》に対しては只|薄暗《うすぐら》い不愉快の影《かげ》が頭《あたま》に残つてゐた。けれども此影は近き未来に於て必ず其|暗《くら》さを増してくるべき性質のものであつた。其他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分が是から流れて行くべき方向を示してゐた。一つは平岡と自分を是非共一所に捲《ま》き込むべき凄《すさま》じいものであつた。代助は此間《このあひだ》三千代に逢《あ》つたなりで、片片《かたかた》の方は捨てゝある。よし是《これ》から三千代の顔《かほ》を見るにした所で、――また長い間《あひだ》見ずにゐる気はなかつたが、――二人《ふたり》の向後取るべき方針に就て云へば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了見は持たなかつた。此点に関して、代助は我ながら明瞭な計画を拵《こしら》えてゐなかつた。平岡と自分とを運び去るべき将来に就ても、彼はたゞ何時《いつ》、何事《なにごと》にでも用意ありと云ふ丈であつた。無論彼は機《き》を見て、積極的に働らき掛ける心組はあつた。けれども具体的な案は一つも準備しなかつた。あらゆる場合に於て、彼の決して仕損《しそん》じまいと誓つたのは、凡てを平岡に打ち明けると云ふ事であつた。従つて平岡と自分とで構成すべき運命の流は黒《くろ》く恐ろしいものであつた。一つの心配は此恐ろしい暴風《あらし》の中《なか》から、如何にして三千代を救《すく》ひ得べきかの問題であつた。
 最後に彼の周囲を人間のあらん限《かぎ》り包《つゝ》む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかつた。事実として、社会は制裁の権を有してゐた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いて出《で》るより外に道はないと信じた。かれは此点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であつた。
 代助は彼《かれ》の小《ちい》さな世界の中心に立つて、彼《かれ》の世界を斯様に観て、一順其関係比例を頭《あたま》の中で調べた上、
「善《よ》からう」と云つて、又|家《いへ》を出た。さうして一二丁|歩《ある》いて、乗り付《つ》けの帳場迄|来《き》て、奇麗で早《はや》さうな奴《やつ》を択んで飛び乗《の》つた。何処《どこ》へ行く当《あて》もないのを好加減な町を名指《なざ》して二時間程ぐる/\乗り廻《まは》して帰《かへ》つた。
 翌日も書斎の中《なか》で前日同様、自分の世界の中心に立つて、左右前後を一応|隈《くま》なく見渡した後《あと》、
「宜《よろ》しい」と云つて外《そと》へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶら/\歩《ある》いて帰つた。
 三日目にも同じ事を繰《く》り返した。が、今度は表へ出《で》るや否や、すぐ江戸川を渡つて、三千代の所へ来《き》た。三千代は二人《ふたり》の間《あひだ》に何事も起《おこ》らなかつたかの様に、
「何故《なぜ》夫《それ》から入らつしやらなかつたの」と聞《き》いた。代助は寧ろ其落ち付き払《はら》つた態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据ゑてあつた蒲団を代助の前へ押し遣《や》つて、
「何《なん》でそんなに、そわ/\して居《ゐ》らつしやるの」と無理に其上《そのうへ》に坐《すは》らした。
 一時間ばかり話してゐるうちに、代助の頭《あたま》は次第に穏《おだ》やかになつた。車《くるま》へ乗つて、当《あて》もなく乗り回《まは》すより、三十分でも好《い》いから、早く此所《こゝ》へ遊びに来《く》れば可《よ》かつたと思ひ出した。帰るとき代助は、
「又|来《き》ます。大丈夫だから安心して入《い》らつしやい」と三千代を慰める様に云つた。三千代はたゞ微笑した丈であつた。

       十五の三

 其|夕方《ゆふがた》始めて父《ちゝ》からの報知《しらせ》に接した。其時代助は婆さんの給仕で飯《めし》を食《く》つてゐた。茶碗を膳の上《うへ》へ置いて、門野《かどの》から手紙を受取つて読むと、明朝何時迄に御|出《いで》の事といふ文句があつた。代助は、
「御役所風だね」と云ひながら、わざと端書《はがき》を門野《かどの》に見せた。門野《かどの》は、
「青山《あをやま》の御宅《おたく》からですか」と叮嚀に眺めてゐたが、別に云ふ事がないものだから、表《おもて》を引つ繰り返して、
「何《ど》うも何《なん》ですな。昔《むかし》の人《ひと》は矢っ張り手蹟《て》が好《い》い様ですな」と御世辞を置き去《ざ》りにして出て行つた。婆さんは先刻《さつき》から暦《こよみ》の話《はなし》をしきりに為《し》てゐた。みづのえ[#「みづのえ」に傍点]だのかのと[#「かのと」に傍点]だの、八朔だの友引《ともびき》だの、爪《つめ》を切《き》る日だの普請をする日だのと頗る煩《うるさ》いものであつた。代助は固より上《うは》の空《そら》で聞《き》いてゐた。婆さんは又|門野《かどの》の職《しよく》の事を頼《たの》んだ。十五円でも宜《い》いから何方《どつか》へ出《だ》して遣《や》つて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、何《ど》んな返事をしたか分《わか》らない位気にも留《と》めなかつた。たゞ心《こゝろ》のうちでは、門野|所《どころ》か、この己《おれ》が危《あや》しい位だと思つた。
 食事《しよくじ》を終るや否や、本郷から寺尾が来《き》た。代助は門野の顔《かほ》を見て暫らく考へてゐた。門野《かどの》は無雑作に、
「断《ことわ》りますか」と聞いた。代助は此間から珍らしくある会《くわい》を一二回欠席した。来客も逢《あ》はないで済《す》むと思ふ分は両度程謝絶した。
 代助は思ひ切つて寺尾に逢つた。寺尾は何時《いつ》もの様に、血眼《ちまなこ》になつて、何か探《さが》してゐた。代助は其様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかつた。翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処《どこ》迄も遣《や》る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児《じ》らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果して何《ど》の位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた。さうして、自分が遠からず、彼《かれ》よりも甚《ひど》く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確《たしか》だと諦めてゐたから、彼は侮蔑の
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