わか》らなかつた。
「僕の様に精神的に敗残した人間は、已を得ず、あゝ云ふ消極な意見も出すが。――元来意見があつて、人《ひと》がそれに則《のつと》るのぢやない。人《ひと》があつて、其人《そのひと》に適《てき》した様な意見が出《で》て来《く》るのだから、僕《ぼく》の説は僕《ぼく》丈に通用する丈だ。決して君の身の上を、あの説で、何《ど》うしやうの斯《か》うしやうのと云ふ訳ぢやない。僕はあの時の君の意気に敬服してゐる。君《きみ》はあの時自分で云つた如く、全く活動の人だ。是非共活動して貰《もら》ひたい」
「無論大いに遣《や》る積《つもり》だ」
平岡の答《こたへ》はたゞ此一句|限《ぎり》であつた。代助は腹《はら》の中《なか》で首《くび》を傾《かたむ》けた。
「新聞で遣《や》る積《つもり》かね」
平岡は一寸《ちよつと》※[#「足へん+厨」、第3水準1−92−39]躇《ちうちよ》した。が、やがて、判然《はつきり》云ひ放《はな》つた。――
「新聞にゐるうちは、新聞で遣《や》る積《つもり》だ」
「大いに要領を得てゐる。僕だつて君の一生涯の事を聞いてゐるんぢやないから、返事はそれで沢山だ。然し新聞で君に面白い活動が出来るかね」
「出来《でき》る積《つもり》だ」と平岡は簡明な挨拶をした。
話《はなし》は此所《こゝ》迄来ても、たゞ抽象的に進んだ丈であつた。代助は言葉の上《うへ》でこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事は些《ちつ》とも出来《でき》なかつた。代助は何となく責任のある政府委員か弁護士を相手にしてゐる様な気がした。代助は此時思ひ切つた政略的な御世辞を云つた。それには軍神広瀬中佐の例が出て来た。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加はつて斃れたため、当時の人《ひと》から偶像《アイドル》視されて、とう/\軍神と迄崇められた。けれども、四五年後の今日《こんにち》に至つて見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口《くち》にするものも殆んどなくなつて仕舞つた。英雄《ヒーロー》の流行《はやり》廃《すたり》はこれ程急劇なものである。と云ふのは、多くの場合に於て、英雄《ヒーロー》とは其時代に極めて大切な人《ひと》といふ事で、名前丈は偉《えら》さうだけれども、本来は甚だ実際的なものである。だから其大切な時機を通り越すと、世間は其資格を段々奪ひにかゝる。露西亜と戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だらうが、平和|克《こく》復の暁《あかつき》には、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人《りんじん》に対して現金《げんきん》である如く、英雄《ヒーロー》に対しても現金である。だから、斯《か》う云ふ偶像にも亦常に新陳代謝や生存競争が行はれてゐる。さう云ふ訳で、代助は英雄《ヒーロー》なぞに担《かつ》がれたい了見は更にない。が、もし茲に野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の剣《けん》の力よりも、永久的の筆の力で、英雄《ヒーロー》になつた方が長持《ながもち》がする。新聞は其方面の代表的事業である。
代助は此所《こゝ》迄|述《の》べて見たが、元来が御世辞の上《うへ》に、云ふ事があまり書生らしいので、自分の内心には多少滑稽に取れる位、気が乗らなかつた。平岡は其返事に、
「いや難有う」と云つた丈であつた。別段腹を立てた様子も見えなかつたが、些《ちつ》とも感激してゐないのは、此返事でも明かであつた。
代助は少々平岡を低く見過ぎたのに恥《は》ぢ入つた。実は此側《このがは》から、彼《かれ》の心を動《うご》かして、旨《うま》く油《あぶら》の乗《の》つた所を、中途から転《ころ》がして、元《もと》の家庭へ滑《すべ》り込ませるのが、代助の計画であつた。代助は此迂遠で、又尤も困難の方法の出立点から、程遠からぬ所で、蹉跌《さてつ》して仕舞つた。
十三の九
其夜《そのよ》代助は平岡と遂に愚図々々で分《わか》れた。会見の結果から云ふと、何の為《ため》に平岡を新聞社に訪《たづ》ねたのだか、自分にも分《わか》らなかつた。平岡の方から見れば、猶更|左様《さう》であつた。代助は必竟|何《なに》しに新聞社迄出掛て来《き》たのか、帰る迄ついに問ひ詰《つ》めづに済んで仕舞つた。
代助は翌日《よくじつ》になつて独《ひと》り書斎で、昨夕《ゆふべ》の有様《ありさま》を何遍《なんべん》となく頭《あたま》の中《なか》で繰《く》り返した。二時|間《かん》も一所に話《はな》してゐるうちに、自分が平岡に対して、比較的|真面目《まじめ》であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其|真面目《まじめ》は、単に動機《どうき》の真面目《まじめ》で、口《くち》にした言葉は矢張|好加減《いゝかげん》な出任《でまか》せに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許《うそばかり》と云つても可《よ》かつた。自分で真面目《まじめ》だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。平岡から見れば、固《もと》より真摯なものとは云へなかつた。まして、其他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落《おと》し込まうと、たくらんで掛《かゝ》つた、打算《ださん》的のものであつた。従つて平岡を何《ど》うする事も出来なかつた。
もし思ひ切つて、三千代を引合《ひきあひ》に出《だ》して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述《の》べ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺《ゆすぶ》る事が出来た。もつと彼《かれ》の肺腑に入る事が出来た。に違《ちがひ》ない。其代り遣《や》り損《そこな》へば、三千代に迷惑がかゝつて来《く》る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。
代助は知らず/\の間《あひだ》に、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事を腑甲斐なく思つた。もし斯《か》う云ふ態度で平岡に当《あた》りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委《ゆだ》ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許《ゆる》さぬ矛盾を、厚顔《こうがん》に犯してゐたと云はなければならない。
代助は昔《むかし》の人《ひと》が、頭脳《づのう》の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自《みづか》らは固《かた》く人《ひと》の為《ため》と信じて、泣《な》いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りに動《うご》かし得たのを羨《うらや》ましく思つた。自分の頭《あたま》が、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕《ゆふべ》の会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人《ひと》から、ことに自分の父《ちゝ》から、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。彼《かれ》の解剖によると、事実は斯《か》うであつた。人間《にんげん》は熱誠を以て当《あた》つて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒《てら》つて、己れを高くする山師《やまし》に過ぎない。だから彼《かれ》の冷淡は、人間としての進歩とは云へまいが、よりよく人間を解剖した結果には外《ほか》ならなかつた。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其《その》あまりに、狡黠《ずる》くつて、不真面目《ふまじめ》で、大抵は虚偽《きよぎ》を含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じてゐた。
此所《こゝ》で彼は一《いつ》のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔《むかし》に返るか。何方《どつち》かにしなければ生活の意義を失つたものと等《ひと》しいと考へた。其他のあらゆる中途半端《ちうとはんぱ》の方法は、偽《いつはり》に始《はじま》つて、偽《いつはり》に終《おは》るより外《ほか》に道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対して無能無力である。と考へた。
彼《かれ》は三千代と自分の関係を、天意によつて、――彼はそれを天意としか考へ得られなかつた。――醗酵させる事の社会的危険を承知してゐた。天意には叶ふが、人の掟《おきて》に背く恋《こひ》は、其|恋《こひ》の主《ぬし》の死によつて、始めて社会から認《みと》められるのが常であつた。彼《かれ》は万一の悲劇を二人《ふたり》の間に描《ゑが》いて、覚えず慄然とした。
彼《かれ》は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像して見た。其時は天意に従ふ代りに、自己の意志に殉する人《ひと》にならなければ済《す》まなかつた。彼《かれ》は其手段として、父《ちゝ》や嫂《あによめ》から勧められてゐた結婚に思ひ至つた。さうして、此結婚を肯《うけが》ふ事が、凡ての関係を新《あらた》にするものと考へた。
十四の一
自然の児にならうか、又意志の人《ひと》にならうかと代助は迷《まよ》つた。彼《かれ》は彼《かれ》の主義として、弾力性のない硬張《こわば》つた方針の下《もと》に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛《そくばく》するの愚を忌んだ。同時に彼《かれ》は、彼《かれ》の生活が、一大断案を受くべき危機に達《たつ》して居る事を切に自覚した。
彼《かれ》は結婚問題に就《つい》て、まあ能《よ》く考へて見ろと云はれて帰つたぎり、未《いま》だに、それを本気に考へる閑《ひま》を作《つく》らなかつた。帰つた時、まあ今日《けふ》も虎口《ここう》を逃《のが》れて難有《ありがた》かつたと感謝したぎり、放り出《だ》して仕舞つた。父《ちゝ》からはまだ何《なん》とも催促されないが、此二三日は又青山へ呼び出《だ》されさうな気がしてならなかつた。代助は固より呼《よ》び出《だ》される迄|何《なに》も考へずにゐる気であつた。呼《よ》び出されたら、父《ちゝ》の顔色《かほいろ》と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心|組《ぐみ》であつた。代助はあながち父《ちゝ》を馬鹿にする了見ではなかつた。あらゆる返事は、斯《か》う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来《く》るのが本当だと思つてゐた。
もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押し詰《つ》められた様な気|持《もち》がなかつたなら、代助は父《ちゝ》に対して無論さう云ふ所置を取つたらう。けれども、代助は今相手の顔色《かほいろ》如何《いかん》に拘はらず、手に持つた賽《さい》を投《な》げなければならなかつた。上《うへ》になつた目《め》が、平岡に都合が悪《わる》からうと、父《ちゝ》の気に入らなからうと、賽を投《な》げる以上は、天の法則通りになるより外《ほか》に仕方《しかた》はなかつた。賽を手に持《も》つ以上は、又|賽《さい》が投げられ可《べ》く作《つく》られたる以上は、賽《さい》の目《め》を極《き》めるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹《はら》のうちで定《さだ》めた。父《ちゝ》も兄《あに》も嫂《あによめ》も平岡も、決断の地平線上には出《で》て来《こ》なかつた。
彼はたゞ彼《かれ》の運命に対してのみ卑怯であつた。此四五日は掌《てのひら》に載《の》せた賽《さい》を眺《なが》め暮《く》らした。今日《けふ》もまだ握《にぎ》つてゐた。早く運命が戸外《そと》から来《き》て、其|手《て》を軽く敲《はた》いて呉れれば好《い》いと思《おも》つた。が、一方《いつぽう》では、まだ握《にぎ》つてゐられると云ふ意識が大層|嬉《うれ》しかつた。
門野《かどの》は時々《とき/″\》書斎へ来《き》た。来《く》る度《たび》に代助は洋卓《デスク》の前に凝《じつ》としてゐた。
「些《ちつ》と散歩にでも御出《おいで》になつたら如何《いかゞ》です。左様《さう》御勉強ぢや身体《からだ》に悪《わる》いでせう」と云つた事が一二度あつた。成程|顔色《かほいろ》が好《よ》くなかつた。夏向《なつむき》になつたので、門野《かどの》が湯《ゆ》を毎日|沸《わ》かして呉れた。代助は
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