に判然《はつきり》してゐた。
「いえ小説も」
令嬢の答を待ち受けてゐた、主客はみんな声を出《だ》して笑つた。高木は令嬢の為《ため》に説明の労を取つた。その云ふ所によると、令嬢の教育を受けたミス何《なん》とか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒《ピユリタン》の様に仕込まれてゐるのださうであつた。だから余程時代|後《おく》れだと、高木は説明のあとから批評さへ付《つ》け加へた。其時は無論|誰《だれ》も笑はなかつた。耶蘇教に対して、あまり好意を有《も》つてゐない父《ちゝ》は、
「それは結構だ」と賞《ほ》めた。梅子は、さう云ふ教育の価値を全く解《かい》する事が出来《でき》なかつた。にも拘はらず、
「本当にね」と趣味に適《かな》はない不得要領の言葉を使《つか》つた。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与へない様に、すぐ問題を易えた。
「ぢや英語は御上手でせう」
令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした。
十二の七
食事《しよくじ》が済《す》んでから、主客《しゆかく》は又応接|間《ま》に戻《もど》つて、話《はなし》を始《はじ》めたが、蝋燭《ろうそく》を継《つ》ぎ足《た》した様に、新《あた》らしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノの蓋《ふた》を開《あ》けて、
「何《なに》か一つ如何《いかゞ》ですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。
「ぢや、代さん、皮切《かはきり》に何か御|遣《や》り」と今度は代助に云つた。代助は人《ひと》に聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟|臭《くさ》く、しつこくなる許《ばかり》だから、
「まあ、蓋《ふた》を開《あ》けて御置《おおき》なさい。今《いま》に遣《や》るから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事を話《はな》しつゞけてゐた。
一時間程して客《きやく》は帰《かへ》つた。四人《よつたり》は肩《かた》を揃へて玄関迄|出《で》た。奥へ這入る時、
「代助はまだ帰《かへ》るんぢやなからうな」と父《ちゝ》が云つた。代助はみんなから一足《ひとあし》後《おく》れて、鴨居《かもゐ》の上《うへ》に両手が届《とゞ》く様な伸《のび》を一つした。それから、人《ひと》のゐない応接|間《ま》と食堂を少しうろ/\して座敷へ来《き》て見ると、兄《あに》と嫂《あによめ》が向き合《あ》つて何か話《はなし》をしてゐた。
「おい、すぐ帰《かへ》つちや不可《いけ》ない。御父《おとう》さんが何か用があるさうだ。奥《おく》へ御出《おいで》」と兄《あに》はわざとらしい真面目《まじめ》な調子で云つた。梅子は薄|笑《わら》ひをしてゐる。代助は黙《だま》つて頭《あたま》を掻《か》いた。
代助は一人《ひとり》で父《ちゝ》の室《へや》へ行く勇気がなかつた。何とか蚊とか云つて、兄《あに》夫婦を引張つて行《い》かうとした。それが旨《うま》く成功しないので、とう/\其所《そこ》へ坐《すは》り込んで仕舞つた。所へ小間使《こまづかひ》が来《き》て、
「あの、若旦那様に一寸《ちよつと》、奥《おく》迄|入《いら》つしやる様に」と催促した。
「うん、今《いま》行《い》く」と返事をして、それから、兄《あに》夫婦に斯《か》ういふ理窟を述べた。――自分|一人《ひとり》で父《ちゝ》に逢《あ》ふと、父《ちゝ》があゝ云ふ気象の所へ持つて来《き》て、自分がこんな図法螺《づぼら》だから、殊によると大いに老人《としより》を怒《おこ》らして仕舞ふかも知れない。さうすると、兄《あに》夫婦だつて、後《あと》から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。其方《そのほう》が却つて迷惑になる訳だから、骨惜《ほねおしみ》をせずに今|一寸《ちよつと》一所に行《い》つて呉れたら宜《よ》からう。
兄《あに》は議論が嫌な男《おとこ》なので、何《な》んだ下《くだ》らないと云はぬ許《ばかり》の顔をしたが、
「ぢや、さあ行かう」と立ち上《あ》がつた。梅子も笑ひながらすぐに立《た》つた。三人して廊下を渡つて父《ちゝ》の室《へや》に行《い》つて、何事《なにごと》も起《おこ》らなかつたかの如く着坐した。
そこでは、梅子が如才《じよさい》なく、代助の過去に父《ちゝ》の小言《こごと》が飛《と》ばない様な手加減《てかげん》をした。さうして談話の潮流を、成るべく今帰つた来客の品評の方へ持《も》つて行《い》つた。梅子は佐川の令嬢を大変|大人《おとな》しさうな可《い》い子《こ》だと賞《ほ》めた。是には父《ちゝ》も兄《あに》も代助も同意を表した。けれども、兄《あに》は、もし亜米利加のミスの教育を受けたと云ふのが本当なら、もう少しは西洋流にはき/\しさうなものだと云ふ疑《うたがひ》を立《た》てた。代助は其|疑《うたがひ》にも賛成した。父《ちゝ》と嫂《あによめ》は黙《だま》つてゐた。そこで代助は、あの大人《おとな》しさは、羞恥《はにか》む性質《せいしつ》の大人《おとなし》さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだらうと説明した。父《ちゝ》はそれも左《さ》うだと云つた。梅子は令嬢の教育地が京都だから、あゝなんぢやないかと推察した。兄《あに》は東京だつて、御前《おまへ》見《み》た様なの許《ばかり》はゐないと云つた。此時|父《ちゝ》は厳正《げんせい》な顔《かほ》をして灰吹《はいふき》を叩《たゝ》いた。次《つぎ》に、容色《きりよう》だつて十人|並《なみ》より可《い》いぢやありませんかと梅子が云つた。是には父《ちゝ》も兄《あに》も異議はなかつた。代助も賛成の旨《むね》を告白した。四人は夫《それ》から高木の品評に移つた。温健の好人物と云ふ事で、其方《そのほう》はすぐ方付《かたづ》いて仕舞つた。不幸にして誰《だれ》も令嬢の父母を知らなかつた。けれども、物堅《ものがた》い地味な人《ひと》だと云ふ丈は、父《ちゝ》が三人《さんにん》の前で保証した。父《ちゝ》はそれを同県下の多額納税議員の某から確《たしか》めたのださうである。最後に、佐川家の財産に就ても話《はなし》が出《で》た。其《その》時父は、あゝ云ふのは、普通の実業家より基礎が確《しつか》りしてゐて安全だと云つた。
令嬢の資格が略《ほゞ》定《さだ》まつた時、父《ちゝ》は代助に向つて、
「大した異存もないだらう」と尋ねた。其語調と云ひ、意味と云ひ、何《ど》うするかね位の程度ではなかつた。代助は、
「左様《さう》ですな」と矢っ張り煮《に》え切《き》らない答をした。父《ちゝ》はじつと代助を見てゐたが、段々《だん/\》皺《しわ》の多い額《ひたひ》を曇《くも》らした。兄《あに》は仕方なしに、
「まあ、もう少し善《よ》く考へて見るが可《い》い」と云つて、代助の為《ため》に余裕を付《つ》けて呉れた。
十三の一
四日程《よつかほど》してから、代助は又|父《ちゝ》の命令で、高木の出立《しつたつ》を新橋迄見送つた。其日《そのひ》は眠《ねむ》い所を無理に早く起《おこ》されて、寐足《ねた》らない頭《あたま》を風《かぜ》に吹《ふ》かした所為《せゐ》か、停車場に着《つ》く頃《ころ》、髪《かみ》の毛の中《なか》に風邪《かぜ》を引《ひ》いた様な気がした。待合所《まちあひじよ》に這入《はい》るや否や、梅子から顔色《かほいろ》が可《よ》くないと云ふ注意を受けた。代助は何《なん》にも答へずに、帽子を脱《ぬ》いで、時々《とき/″\》濡《ぬ》れた頭《あたま》を抑えた。仕舞には朝《あさ》奇麗《きれい》に分《わ》けた髪《かみ》がもぢや/\になつた。
プラツトフオームで高木は突然代助に向つて、
「何《ど》うです此汽車で、神戸迄遊びに行きませんか」と勧めた。代助はたゞ難有うと答へた丈であつた。愈《いよ/\》汽車の出《で》る間際《まぎは》に、梅子はわざと、窓際《まどぎは》に近寄《ちかよ》つて、とくに令嬢の名を呼んで、
「近《ちか》い内《うち》に又是非入らつしやい」と云つた。令嬢は窓《まど》のなかで、叮嚀に会釈したが、窓の外《そと》へは別段の言葉も聞《きこ》えなかつた。汽車を見送つて、又改札場を出た四人《よつた》りは、それぎり離れ/″\になつた。梅子は代助を誘つて青山へ連れて行かうとしたが、代助は頭《あたま》を抑えて応じなかつた。
車《くるま》に乗つてすぐ牛込へ帰《かへ》つて、それなり書斎へ這入つて、仰向《あほむけ》に倒れた。門野《かどの》は一寸《ちよつと》其様子を覗《のぞ》きに来《き》たが、代助の平生を知つてゐるので、言葉も掛けず、椅子に引《ひ》つ掛《か》けてある羽織丈を抱《かゝ》へて出《で》て行つた。
代助は寐《ね》ながら、自分の近き未来を何《ど》うなるものだらうと考へた。斯《か》うして打遣《うちや》つて置けば、是非共|嫁《よめ》を貰《もら》はなければならなくなる。嫁《よめ》はもう今迄《いままで》に大分《だいぶ》断《ことわ》つてゐる。此上|断《ことわ》れば、愛想を尽《つ》かされるか、本当に怒《おこ》り出《だ》されるか、何方《どつち》かになるらしい。もし愛想を尽《つ》かされて、結婚勧誘をこれ限《かぎ》り断念して貰《もら》へれば、それに越した事はないが、怒《おこ》られるのは甚だ迷惑である。と云つて、進まぬものを貰《もら》ひませうと云ふのは今代人《こんだいじん》として馬鹿気てゐる。代助は此《この》ヂレンマの間《あひだ》に※[#「彳+詆のつくり」、第3水準1−84−31]徊した。
彼は父と違《ちが》つて、当初からある計画を拵らえて、自然を其計画通りに強ひる古風な人《ひと》ではなかつた。彼は自然を以て人間の拵《こしら》えた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐたからである。だから父《ちゝ》が、自分の自然に逆《さか》らつて、父《ちゝ》の計画通りを強ひるならば、それは、去られた妻《つま》が、離縁状を楯《たて》に夫婦の関係を証拠|立《だ》てやうとすると一般であると考へた。けれども、そんな理窟を、父《ちゝ》に向つて述《の》べる気は、丸でなかつた。父《ちゝ》を理攻《りぜめ》にする事は困難中の困難であつた。其困難を冒した所で、代助に取つては何等の利益もなかつた。其結果は父《ちゝ》の不興を招く丈で、理由を云はずに結婚を拒絶するのと撰む所はなかつた。
彼《かれ》は父《ちゝ》と兄《あに》と嫂《あによめ》の三人《さんにん》の中《うち》で、父《ちゝ》の人格に尤も疑《うたがひ》を置《お》いた。今度の結婚にしても、結婚其物が必ずしも父《ちゝ》の唯|一《いつ》の目的ではあるまいと迄推察した。けれども父《ちゝ》の本意が何処《どこ》にあるかは、固《もと》より明《あき》らかに知る機会を与へられてゐなかつた。彼は子として、父《ちゝ》の心意を斯様《かやう》に揣摩する事を、不徳義とは考へなかつた。従つて自分丈が、多くの親子《おやこ》のうちで、尤も不幸なものであると云ふ様な考は少しも起さなかつた。たゞ是がため、今日《こんにち》迄の程度より以上に、父《ちゝ》と自分の間《あひだ》が隔《へだた》つて来《き》さうなのを不快に感じた。
彼は隔離の極端として、父子《ふし》絶縁の状態を想像して見た。さうして其所《そこ》に一種の苦痛を認《みと》めた。けれども、其苦痛は堪え得られない程度のものではなかつた。寧《むし》ろそれから生ずる財源の杜絶《とぜつ》の方が恐ろしかつた。
もし馬鈴薯《ポテトー》が金剛石《ダイヤモンド》より大切になつたら、人間《にんげん》はもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後|父《ちゝ》の怒《いかり》に触れて、万一|金銭《きんせん》上の関係が絶えるとすれば、彼《かれ》は厭《いや》でも金剛石《ダイヤモンド》を放り出して、馬鈴薯《ポテトー》に噛《かぢ》り付かなければならない。さうして其|償《つぐなひ》には自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。
彼は寐ながら、何時《いつ》迄も考へた。けれども、彼の頭《あたま》は何時《いつ》迄も何処《どこ》へも到|着《ちやく》する事が出来なかつた。彼は自
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