今日《けふ》旅行する必要もないんだらう」と聞《き》いた。
代助はないと答へざるを得なかつた。
「ぢや、今日《けふ》餐《めし》を食《く》ひに来《き》ても好《い》いんだらう」
代助は又|好《い》いと答へない訳《わけ》に行《い》かなかつた。
「ぢや、己《おれ》はこれから、一寸《ちよつと》他所《わき》へ回《まは》るから、間違《まちがひ》のない様に来《き》てくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据ゑたから、何《ど》うでも構はないといふ気で、先方に都合の好《い》い返事を与へた。すると兄《あに》が突然、
「一体|何《ど》うなんだ。あの女を貰ふ気はないのか。好《い》いぢやないか貰《もら》つたつて。さう撰《え》り好《ごの》みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄《げんろく》時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間《にんげん》は男女に限らず非常に窮屈な恋《こひ》をした様だが、左様《さう》でもなかつたのかい。――まあ、どうでも好《い》いから、成る可《べ》く年寄《としより》を怒《おこ》らせない様に遣《や》つてくれ」と云つて帰つた。
代助は座敷へ戻《もど》つて、しばらく、兄《あに》の警句を咀嚼してゐた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考へられない。だから、結婚を勧《すゝ》める方《ほう》でも、怒《おこ》らないで放つて置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好《い》い結論を得た。
十二の五
兄《あに》の云ふ所《ところ》によると、佐川の娘は、今度|久《ひさ》し振《ぶり》に叔父《おぢ》に連《つ》れられて、見物|旁《かた/″\》上京したので、叔父の商用が済み次第又|連《つ》れられて国《くに》へ帰るのださうである。父《ちゝ》が其機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結《むす》び付《つ》けやうと企だてたのか、又は先達《せんだつ》ての旅行|先《さき》で、此機会をも自発的に拵《こしら》えて帰つて来《き》たのか、どつちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかつた。自分はたゞ是等の人《ひと》と同じ食卓《しよくたく》で、旨《うま》さうに午餐《ごさん》を味《あぢ》はつて見せれば、社交上の義務は其所《そこ》に終るものと考へた。もしそれより以上に、何等の発展が必要になつた場合には、其時に至つて、始めて処置を付《つ》けるより外《ほか》に道《みち》はないと思案した。
代助は婆さんを呼《よ》んで着物《きもの》を出《だ》さした。面倒だと思つたが、敬意を表するために、紋付《もんつき》の夏羽織を着《き》た。袴は一重のがなかつたから、家《うち》へ行《い》つて、父《ちゝ》か兄《あに》かのを穿《は》く事に極《き》めた。代助は神経質な割《わり》に、子供の時からの習慣で、人中《ひとなか》へ出《で》るのを余り苦《く》にしなかつた。宴会とか、招待とか、送別とかいふ機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えてゐた。其|中《なか》には伯爵とか子爵とかいふ貴公子も交《まじ》つてゐた。彼は斯《こ》んな人《ひと》の仲間入《なかまいり》をして、其|仲間《なかま》なりの交際《つきあひ》に、損も得《とく》も感じなかつた。言語《げんご》動作は何処《どこ》へ出《で》ても同じであつた。外部《ぐわいぶ》から見ると、其所《そこ》が大変能く兄《あに》の誠吾に似てゐた。だから、よく知《し》らない人は、此兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じてゐた。
代助が青山に着《つ》いた時は、十一時五分前であつたが、御客はまだ来《き》てゐなかつた。兄《あに》もまだ帰《かへ》らなかつた。嫂《あによめ》丈がちやんと支度をして、座敷に坐《すは》つてゐた。代助の顔《かほ》を見て、
「あなたも、随分乱暴ね。人《ひと》を出《だ》し抜《ぬ》いて旅行するなんて」と、いきなり遣《や》り込めた。梅子は場合によると、決して論理《ロジツク》を有《も》ち得ない女であつた。此場合にも、自分が代助を出《だ》し抜《ぬ》いた事には丸で気が付《つ》いてゐない挨拶の仕方《しかた》であつた。それが代助には愛嬌に見えた。で、直《すぐ》そこへ坐《すは》り込んで梅子の服装の品評を始めた。父《ちゝ》は奥にゐると聞《き》いたが、わざと行《い》かなかつた。強《し》ひられたとき、
「今に御客さんが来《き》たら、僕が奥《おく》へ知らせに行く。其時挨拶をすれば好《よ》からう」と云つて、矢っ張り平常《へいぜい》の様な無駄口《むだくち》を叩《たゝ》いてゐた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口《くち》を切《き》らなかつた。梅子は何《なん》とかして、話《はなし》を其所《そこ》へ持つて行かうとした。代助には、それが明《あき》らかに見えた。だから、猶《なほ》空《そら》とぼけて讐《かたき》を取つた。
其うち待ち設けた御客が来《き》たので、代助は約束通りすぐ父《ちゝ》の所へ知《し》らせに行《い》つた。父《ちゝ》は、案《あん》のじよう、
「左様《さう》か」とすぐ立ち上《あ》がつた丈であつた。代助に小言《こごと》を云ふ暇《ひま》も何《なに》も無《な》かつた。代助は座敷へ引き返《かへ》して来《き》て、袴を穿《は》いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで悉《ことごと》く顔を合はせた。父《ちゝ》と高木とが第一に話《はなし》を始めた。梅子は重《おも》に佐川の令嬢の相手になつた。そこへ兄《あに》が今朝《けさ》の通りの服装《なり》で、のつそりと這入つて来《き》た。
「いや、何《ど》うも遅《おそ》くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返《かへ》つて、
「大分《だいぶ》早《はや》かつたね」と小《ちい》さな声を掛けた。
食堂には応接|室《しつ》の次《つぎ》の間《ま》を使つた。代助は戸《と》の開《あ》いた間《あひだ》から、白《しろ》い卓布の角《かど》の際立《きはだ》つた色《いろ》を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸《ちよつと》席を立つて、次《つぎ》の入口《いりぐち》を覗《のぞ》きに行つた。それは父《ちゝ》に、食卓の準備が出来|上《あが》つた旨《むね》を知らせる為《ため》であつた。
「では何《ど》うぞ」と父《ちゝ》は立ち上《あ》がつた。高木も会釈して立ち上《あ》がつた。佐川の令嬢も叔父《おぢ》に継《つ》いで立ち上《あ》がつた。代助は其時、女の腰から下《した》の、比較的に細く長《なが》い事を発見した。食卓では、父《ちゝ》と高木が、真中《まんなか》に向き合つた。高木の右に梅子が坐つて、父《ちゝ》の左に令嬢が席を占《し》めた。女同志が向き合つた如く、誠吾と代助も向き合つた。代助は五味台《クルエツト、スタンド》を中《なか》に、少し斜《なゝめ》に反《そ》れた位地から令嬢の顔《かほ》を眺める事になつた。代助は其|頬《ほゝ》の肉と色が、著《いちぢ》るしく後《うしろ》の窓から射《さ》す光線の影響を受けて、鼻の境《さかひ》に暗過《くらす》ぎる影《かげ》を作つた様に思つた。其代り耳に接した方は、明《あき》らかに薄紅《うすくれなゐ》であつた。殊に小さい耳が、日《ひ》の光を透《とほ》してゐるかの如くデリケートに見えた。皮膚《ひふ》とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼《め》を有したゐた。此二つの対照から華《はな》やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であつた。
十二の六
食卓《しよくたく》は、人数《にんず》が人数《にんず》だけに、左程大きくはなかつた。部屋の広《ひろ》さに比例して、寧《むし》ろ小《ち》さ過《すぎ》る位であつたが、純白《じゆんぱく》な卓布を、取り集めた花で綴《つゞ》つて、其中《そのなか》に肉刀《ナイフ》と肉匙《フオーク》の色《いろ》が冴《さ》えて輝《かゞや》いた。
卓上の談話は重《おも》に平凡な世間|話《ばなし》であつた。始《はじめ》のうちは、それさへ余《あま》り興味が乗《の》らない様に見えた。父《ちゝ》は斯《か》う云ふ場合には、よく自分の好《す》きな書画骨董の話《はなし》を持ち出《だ》すのを常《つね》としてゐた。さうして気《き》が向《む》けば、いくらでも、蔵《くら》から出《だ》して来《き》て、客《きやく》の前《まへ》に陳《なら》べたものである。父《ちゝ》の御蔭《おかげ》で、代助は多少|斯道《このみち》に好悪《こうお》を有《も》てる様になつてゐた。兄《あに》も同様の原因から、画家の名前位は心得てゐた。たゞし、此方《このほう》は掛物《かけもの》の前《まへ》に立つて、はあ仇英《きうえい》だね、はあ応挙だねと云ふ丈であつた。面白《おもしろ》い顔《かほ》もしないから、面白い様にも見えなかつた。それから真偽《しんぎ》の鑑定の為《ため》に、虫眼鏡《むしめがね》などを振《ふ》り舞《ま》はさない所は、誠吾も代助も同じ事であつた。父《ちゝ》の様に、こんな波《なみ》は昔《むかし》の人《ひと》は描《か》かないものだから、法にかなつてゐない抔といふ批評は、双方共に、未だ嘗て如何なる画に対しても加へた事はなかつた。
父《ちゝ》は乾《かは》いた会話《くわいわ》に色彩《しきさい》を添《そ》へるため、やがて好《す》きな方面の問題に触《ふ》れて見た。所が一二言《いちにげん》で、高木はさう云ふ事《こと》に丸《まる》で無頓着な男であるといふ事が分《わか》つた。父《ちゝ》は老巧の人《ひと》だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかつた。父《ちゝ》は已《やむ》を得ず、高木に何《ど》んな娯楽があるかを確《たしか》めた。高木は特別に娯楽を持《も》たない由《よし》を答へた。父《ちゝ》は万事休すといふ体裁で、高木を誠吾と代助に托して、しばらく談話の圏外に出《で》た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋《やどや》やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中《そのうち》に自然令嬢の演ずべき役割を拵《こしら》えた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移つた。最後にエマーソンやホーソーンの名が出《で》た。代助は、高木に斯《か》う云ふ種類の知識があるといふ事を確めたけれども、たゞ確めた丈で、それより以上に深入《ふかいり》もしなかつた。従つて文学談は単に二三の人名と書名に終つて、少しも発展しなかつた。
梅子は固より初《はじめ》から断《た》えず口《くち》を動《うご》かしてゐた。其努力の重《おも》なるものは、無論自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあつた。令嬢は礼義上から云つても、梅子の間断《かんだん》なき質問に応じない訳に行かなかつた。けれども積極的に自分から梅子の心《こゝろ》を動《うご》かさうと力《つと》めた形迹は殆んどなかつた。たゞ物《もの》を云ふときに、少し首《くび》を横《よこ》に曲《ま》げる癖《くせ》があつた。それすらも代助には媚《こび》を売《う》るとは解釈|出来《でき》なかつた。
令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始《はじ》めは琴《こと》を習つたが、後にはピヤノに易《か》えた。※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]イオリンも少し稽古《けいこ》したが、此方《このほう》は手の使《つか》い方《かた》が六※[#小書き濁点付き平仮名つ、218−1]かしいので、まあ遣《や》らないと同じである。芝居は滅多に行つた事がなかつた。
「先達《せんだつ》ての歌舞伎座は如何《いかゞ》でした」と梅子が聞《き》いた時、令嬢は何とも答へなかつた。代助には夫《それ》が劇を解《かい》しないと云ふより、劇を軽蔑してゐる様に取れた。それだのに、梅子はつゞけて、同じ問題に就《つ》いて、甲の役者は何《ど》うだの、乙の役者は何《なん》だのと評し出《だ》した。代助は又|嫂《あによめ》が論理を踏《ふ》み外《はづ》したと思つた。仕方がないから、横合《よこあひ》から、
「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」と聞《き》いて芝居の話を已めさした。令嬢は其時始めて、一寸《ちよつと》代助の方を見た。けれども答は案外
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