つて、団扇さへ膝《ひざ》の傍《そば》に置いてゐた。平生《いつも》の頬《ほゝ》に、心持《こゝろもち》暖《あたゝか》い色を出《だ》して、もう帰るでせうから、緩《ゆつ》くりしてゐらつしやいと、茶の間《ま》へ茶を入れに立《た》つた。髪は西洋風に結つてゐた。
平岡は三千代の云つた通りには中々《なか/\》帰らなかつた。何時《いつ》でも斯んなに遅《おそ》いのかと尋ねたら、笑ひながら、まあ左《そ》んな所でせうと答へた。代助は其|笑《わらひ》の中《なか》に一種《いつしゆ》の淋《さみ》しさを認めて、眼《め》を正《たゞ》して、三千代の顔《かほ》を凝《じつ》と見た。三千代は急に団扇《うちは》を取つて袖《そで》の下《した》を煽《あほ》いだ。
代助は平岡の経済の事が気に掛《かゝ》つた。正面から、此頃《このごろ》は生活費には不自由はあるまいと尋ねて見た。三千代は左様《さう》ですねと云つて、又前の様な笑《わら》ひ方《かた》をした。代助がすぐ返事をしなかつたものだから、
「貴方《あなた》には、左様《さう》見えて」と今度は向ふから聞き直《なほ》した。さうして、手に持つた団扇《うちは》を放り出《だ》して、湯《ゆ》から出《で》たての奇麗な繊《ほそ》い指《ゆび》を、代助の前に広《ひろ》げて見せた。其|指《ゆび》には代助の贈《おく》つた指環《ゆびわ》も、他《ほか》の指環《ゆびわ》も穿《は》めてゐなかつた。自分の記念を何時《いつ》でも胸に描《ゑが》いてゐた代助には、三千代《みちよ》の意味がよく分《わか》つた。三千代は手を引き込《こ》めると同時に、ぽつと赤い顔をした。
「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云つた。代助は憐れな心持がした。
十二の三
代助は其|夜《よ》九時頃平岡の家《いへ》を辞《じ》した。辞《じ》する前《まへ》、自分の紙入《かみいれ》の中《なか》に有《あ》るものを出《だ》して、三千代に渡《わた》した。其時は、腹《はら》の中《なか》で多少の工夫《くふう》を費《つい》やした。彼《かれ》は先《ま》づ何気《なにげ》なく懐中物《くわいちうもの》を胸《むね》の所《ところ》で開《あ》けて、中《なか》にある紙幣を、勘定もせずに攫《つか》んで、是《これ》を上《あ》げるから御使《おつかひ》なさいと無雑作に三千代の前《まへ》へ出《だ》した。三千代は、下女を憚《はゞ》かる様な低い声で、
「そんな事を」と、却《かへ》つて両手をぴたりと身体《からだ》へ付《つ》けて仕舞つた。代助は然し自分の手を引《ひ》き込《こ》めなかつた。
「指環を受取《うけと》るなら、これを受取つても、同じ事でせう。紙の指環《ゆびわ》だと思つて御貰ひなさい」
代助は笑ひながら、斯う云つた。三千代はでも、余《あんま》りだからとまだ※[#「足へん+厨」、第3水準1−92−39]躇した。代助は、平岡に知れると叱《しか》られるのかと聞いた。三千代は叱《しか》られるか、賞《ほ》められるか、明《あき》らかに分《わか》らなかつたので、矢張り愚図々々してゐた。代助は、叱《しか》られるなら、平岡に黙《だま》つてゐたら可《よ》からうと注意した。三千代はまだ手を出《だ》さなかつた。代助は無論|出《だ》したものを引き込《こ》める訳《わけ》に行《い》かなかつた。已《やむ》を得ず、少《すこ》し及び腰《ごし》になつて、掌《てのひら》を三千代の胸《むね》の傍《そば》迄|持《も》つて行《い》つた。同時に自分の顔《かほ》も一尺|許《ばかり》の距離に近寄《ちかよ》せて、
「大丈夫だから、御取《おと》んなさい」と確《しつか》りした低《ひく》い調子で云つた。三千代は顎《あご》を襟《えり》の中《なか》へ埋《うづ》める様に後《あと》へ引いて、無言の儘右の手を前へ出《だ》した。紙幣は其|上《うへ》に落ちた。其時三千代は長い睫毛《まつげ》を二三度打ち合はした。さうして、掌《てのひら》に落ちたものを帯《おび》の間《あひだ》に挟《はさ》んだ。
「又|来《く》る。平岡君によろしく」と云つて、代助は表《おもて》へ出《で》た。町《まち》を横断して小路《こうぢ》へ下《くだ》ると、あたりは暗くなつた。代助は美《うつ》くしい夢《ゆめ》を見た様に、暗《くら》い夜《よ》を切《き》つて歩《ある》いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家《わがいへ》の門前《もんぜん》に来《き》た。けれども門《もん》を潜《くゞ》る気がしなかつた。彼《かれ》は高い星《ほし》を戴《いたゞ》いて、静《しづ》かな屋敷町《やしきまち》をぐる/\徘徊した。自分では、夜半迄|歩《ある》きつゞけても疲《つか》れる事はなからうと思つた。兎角《とかく》するうち、又自分の家《いへ》の前へ出《で》た。中《なか》は静《しづ》かであつた。門野《かどの》と婆《ばあ》さんは茶の間《ま》で世間話《せけんばなし》をしてゐたらしい。
「大変|遅《おそ》うがしたな。明日《あした》は何時《なんじ》の汽車で御|立《た》ちですか」と玄関へ上《あが》るや否《いな》や問《とひ》を掛《か》けた。代助は、微笑しながら、
「明日《あした》も御|已《や》めだ」と答《こた》へて、自分の室《へや》へ這入《はい》つた。そこには床《とこ》がもう敷《し》いてあつた。代助は先刻《さつき》栓《せん》を抜《ぬ》いた香水を取つて、括枕《くゝりまくら》の上《うへ》に一滴《いつてき》垂《た》らした。夫《それ》では何だか物足《ものた》りなかつた。壜《びん》を持《も》つた儘《まゝ》、立《た》つて室《へや》の四隅《よすみ》へ行《い》つて、そこに一二滴づゝ振《ふ》りかけた。斯様《かやう》に打《う》ち興《きよう》じた後《あと》、白地《しろぢ》の浴衣《ゆかた》に着換《きか》えて、新《あた》らしい小|掻巻《かいまき》の下《した》に安《やすら》かな手足《てあし》を横《よこ》たへた。さうして、薔薇《ばら》の香《か》のする眠《ねむり》に就《つ》いた。
眼《め》が覚《さ》めた時は、高い日《ひ》が椽に黄|金色《ごんしよく》の震動を射込んでゐた。枕元《まくらもと》には新聞が二枚揃えてあつた。代助は、門野が何時《いつ》、雨戸を引《ひ》いて、何時《いつ》新聞を持《も》つて来《き》たか、丸《まる》で知らなかつた。代助は長《なが》い伸《のび》を一つして起《お》き上《あが》つた。風呂場で身体《からだ》を拭《ふ》いてゐると、門野《かどの》が少《すこ》し狼狽《うろた》へた容子で遣《や》つて来《き》て、
「青山《あをやま》から御兄《おあに》いさんが御見えになりました」と云つた。代助は今直《いますぐ》行《ゆ》く旨《むね》を答へて、奇麗に身体《からだ》を拭《ふ》き取《と》つた。座敷はまだ掃除が出来てゐるか、ゐないかであつたが、自分で飛び出《だ》す必要もないと思つたから、急ぎもせずに、いつもの通り、髪《かみ》を分けて剃《そり》を中《あて》て、悠々と茶の間へ帰《かへ》つた。そこでは流石《さすが》にゆつくりと膳につく気も出《で》なかつた。立ちながら紅茶を一杯|啜《すゝ》つて、タヱルで一寸《ちよつと》口髭《くちひげ》を摩《こす》つて、それを、其所《そこ》へ放り出すと、すぐ客間へ出《で》て、
「やあ兄《にい》さん」と挨拶をした。兄《あに》は例《れい》の如《ごと》く、色《いろ》の濃《こ》い葉巻《はまき》の、火《ひ》の消えたのを、指《ゆび》の股《また》に挟《はさ》んで、平然として代助の新聞を読《よ》んでゐた。代助の顔《かほ》を見るや否や、
「此室《このへや》は大変|好《い》い香《にほひ》がする様だが、御前《おまへ》の頭《あたま》かい」と聞いた。
「僕《ぼく》の頭《あたま》の見える前《まへ》からでせう」と答《こた》へて、昨夜《ゆふべ》の香水の事を話《はな》した。兄《あに》は、落ち付いて、
「はゝあ、大分|洒落《しやれ》た事をやるな」と云つた。
十二の四
兄《あに》は滅多に代助の所へ来《き》た事のない男であつた。たまに来《く》れば必ず来《こ》なくつてならない用事を持つてゐた。さうして、用を済《す》ますとさつさと帰つて行つた。今日《けふ》も何事《なにごと》か起《おこ》つたに違《ちがひ》ないと代助は考へた。さうして、それは昨日《きのふ》誠太郎を好加減《いゝかげん》に胡魔化《ごまくわ》して返《かへ》した反響だらうと想像した。五六|分《ぷん》雑談をしてゐるうちに、兄《あに》はとう/\斯《か》う云ひ出《だ》した。
「昨夕《ゆふべ》誠太郎が帰《かへ》つて来《き》て、叔父《おぢ》さんは明日《あした》から旅行するつて云ふ話《はなし》だから、出《で》て来《き》た」
「えゝ、実《じつ》は今朝《けさ》六時|頃《ごろ》から出《で》やうと思つてね」と代助は嘘《うそ》の様な事を、至極冷静に答《こた》へた。兄《あに》も真面目な顔をして、
「六時に立てる位な早起《はやおき》の男なら、今|時分《じぶん》わざわざ青山《あをやま》から遣《や》つて来《き》やしない」と云つた。改めて用事を聞いて見ると、矢張り予想の通《とほ》り肉薄《にくはく》の遂行に過ぎなかつた。即ち今日《けふ》高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞《ふるま》ふ筈だから、代助にも列席しろと云ふ父《ちゝ》の命令であつた。兄《あに》の語《かた》る所によると、昨夕《ゆふべ》誠太郎の返事を聞いて、父《ちゝ》は大いに機嫌を悪くした。梅子は気を揉《も》んで、代助の立《た》たない前に逢《あ》つて、旅行を延《の》ばさせると云ひ出《だ》した。兄《あに》はそれを留《と》めたさうである。
「なに彼奴《あいつ》が今夜中《こんやぢう》に立《た》つものか、今頃《いまごろ》は革鞄《かばん》の前へ坐《すは》つて考へ込んでゐる位《ぐらゐ》のものだ。明日《あした》になつて見ろ、放《ほう》つて置いても遣《や》つて来《く》るからつて、己《おれ》が姉《ねえ》さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付《おちつき》払つてゐた。代助は少し忌々《いま/\》しくなつたので、
「ぢや、放《ほう》つて置いて御覧なされば好《い》いのに」と云つた。
「所《ところ》が女《をんな》と云ふものは、気の短《みぢ》かいもので、御父《おとう》さんに悪《わる》いからつて、今朝《けさ》起《お》きるや否や、己《おれ》をせびるんだからね」と誠吾は可笑《おかし》い様な顔《かほ》もしなかつた。寧《むし》ろ迷惑さうに代助を眺《なが》めてゐた。代助は行くとも、行かないとも決答を与へなかつた。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返《かへ》して仕舞ふ勇気も出《で》なかつた。其上《そのうへ》午餐を断つて、旅行するにしても、もう自分の懐中《くわいちう》を当《あて》にする訳《わけ》には行《い》かなかつた。矢張り、兄とか嫂《あによめ》とか、もしくは父《ちゝ》とか、いづれ反対派の誰《だれ》かを痛《いた》めなければ、身動《みうごき》が取《と》れない位地にゐた。そこで、即《つ》かず離《はな》れずに、高木《たかぎ》と佐川の娘《むすめ》の評判をした。高木には十年程|前《まへ》に一遍|逢《あ》つた限《ぎり》であつたが、妙なもので、何処《どこ》かに見《み》覚があつて、此間《このあひだ》歌舞伎座で眼《め》に着《つ》いた時《とき》は、はてなと思つた。これに反して、佐川の娘《むすめ》の方は、つい先達《せんだつ》て、写真を手にした許《ばかり》であるのに、実物に接《せつ》しても、丸で聯想が浮《うか》ばなかつた。写真は奇体なもので、先づ人間を知つてゐて、その方から、写真の誰彼《だれかれ》を極《き》めるのは容易であるが、その逆《ぎやく》の、写真から人間《にんげん》を定める方は中々《なか/\》六づかしい。是《これ》を哲学にすると、死《し》から生《せい》を出《だ》すのは不可能だが、生《せい》から死《し》に移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する。
「私《わたし》は左様《さう》考へた」と代助が云つた。兄《あに》は成程と答へたが別段感心した様子もなかつた。葉巻《はまき》の短《みぢ》かくなつて、口髭《くちひげ》に火《ひ》が付きさうなのを無暗に啣《くわ》へ易《か》えて、
「それで、必ずしも
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