、普通よりは大きく廂《ひさし》を出《だ》して、多くは顎《あご》を襟元《えりもと》へぴたりと着《つ》けて坐《すは》つてゐた。
代助は苦《くる》しいので、何返《なんべん》も席《せき》を立《た》つて、後《うしろ》の廊下へ出《で》て、狭《せま》い空《そら》を仰いだ。兄《あに》が来《き》たら、嫂《あによめ》と縫子を引き渡《わた》して早《はや》く帰りたい位に思つた。一|遍《ぺん》は縫子を連《つ》れて、其所等《そこいら》をぐる/\運動して歩《ある》いた。仕舞には些《ち》と酒でも取り寄《よ》せて飲《の》まうかと思つた。
兄《あに》は日暮《ひくれ》とすれ/\に来《き》た。大変|遅《おそ》かつたぢやありませんかと云つた時、帯の間《あひだ》から、金時計を出《だ》して見せた。実際六時少し回《まは》つた許であつた。兄《あに》は例の如く、平気な顔《かほ》をして、方々|見回《みまは》してゐた。が、飯《めし》を食《く》ふ時、立つて廊下へ出たぎり、中々《なか/\》帰《かへ》つて来《こ》なかつた。しばらくして、代助は不図振り返《かへ》つたら、一軒|置《お》いて隣《とな》りの金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》を掛けた男の所へ這入つて、話《はなし》をしてゐた。若い女にも時々話しかける様であつた。然し女の方では笑《わら》ひ顔を一寸《ちよつと》見せる丈で、すぐ舞台の方へ真面目《まじめ》に向き直つた。代助は嫂《あによめ》に其人《そのひと》の名を聞《き》かうと思つたが、兄《あに》は人《ひと》の集《あつま》る所へさへ出れば、何所《どこ》へでも斯《かく》の如く平気に這入り込む程、世間《せけん》の広《ひろ》い、又|世間《せけん》を自分の家《いへ》の様に心得てゐる男であるから、気にも掛《か》けずに黙《だま》つてゐた。
すると幕《まく》の切れ目に、兄《あに》が入口《いりぐち》迄|帰《かへ》つて来《き》て、代助|一寸《ちよつと》来《こ》いと云ひながら、代助を其|金縁《きんぶち》の男の席へ連れて行《い》つて、愚弟だと紹介した。それから代助には、是が神戸の高木さんだと云つて引合《ひきあは》した。金縁《きんぶち》の紳士は、若《わか》い女を顧みて、私の姪《めい》ですと云つた。女はしとやかに御辞義をした。其時《そのとき》兄が、佐川さんの令嬢だと口《くち》を添《そ》へた。代助は女の名を聞いたとき、旨《うま》く掛《か》けられたと腹《はら》の中《なか》で思つた。が何事も知らぬものゝ如く装《よそほ》つて、好加減《いゝかげん》に話《はな》してゐた。すると嫂《あによめ》が一寸《ちよつと》自分の方を振り向《む》いた。
十一の八
五六|分《ぷん》して、代助は兄《あに》と共《とも》に自分の席に返《かへ》つた。佐川の娘《むすめ》を紹介される迄は、兄《あに》の見え次第|逃《に》げる気であつたが、今《いま》では左様《さう》不可《いか》なくなつた。余《あま》り現金に見えては、却つて好《よ》くない結果を引き起《おこ》しさうな気がしたので、苦しいのを我慢して坐《すは》つてゐた。兄《あに》も芝居に就ては全たく興味がなささうだつたけれども、例の如く鷹揚に構えて、黒い頭《あたま》を燻《いぶ》す程、葉巻《はまき》をゆらした。時々《とき/″\》評をすると、縫子《ぬひこ》あの幕《まく》は綺麗《きれい》だらう位の所であつた。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問も掛けず、一言の批評も加へなかつた。代助には其|澄《すま》した様子が却つて滑稽に思はれた。彼は今日《こんにち》迄|嫂《あによめ》の策略にかゝつた事が時々《とき/″\》あつた。けれども、只《たゞ》の一返も腹《はら》を立《た》てた事はなかつた。今度《こんど》の狂言も、平生ならば、退屈|紛《まぎ》らしの遊戯程度に解釈して、笑つて仕舞たかも知れない。夫許《そればかり》ではない。もし自分が結婚する気なら、却つて、此狂言を利用して、自《みづか》ら人巧的に、御目出度《おめでたい》喜劇《きげき》を作り上《あ》げて、生涯自分を嘲《あざ》けつて満足する事も出来た。然し此姉《このあね》迄が、今《いま》の自分を、父《ちゝ》や兄《あに》と共謀して、漸々《ぜん/\》窮地に誘《いざ》なつて行《ゆ》くかと思ふと、流石《さす》がに此|所作《しよさ》をたゞの滑稽として、観察する訳には行《い》かなかつた。代助は此先《このさき》、嫂《あによめ》が此事件を何《ど》う発展させる気だらうと考へて、少々弱つた。家《うち》のものゝ中《うち》で、嫂《あによめ》が一番|斯《こ》んな計画に興味をもつてゐたからである。もし嫂《あによめ》が此方面に向つて代助に肉薄すればする程、代助は漸々|家族《かぞく》のものと疎遠にならなければならないと云ふ恐れが、代助の頭《あたま》の何処《どこ》かに潜《ひそ》んでゐた。
芝居の仕舞になつたのは十一時|近《ちか》くであつた。外《そと》へ出《で》て見ると、風は全く歇《や》んだが、月《つき》も星《ほし》も見《み》えない静《しづ》かな晩を、電燈が少し許り照らしてゐた。時間が遅《おそ》いので茶屋では話《はなし》をする暇《ひま》もなかつた。三人の迎《むかひ》は来《き》てゐたが、代助はつい車《くるま》を誂《あつら》へて置くのを忘れた。面倒だと思つて、嫂《あによめ》の勧《すゝめ》を斥《しりぞ》けて、茶屋の前から電車に乗つた。数寄屋《すきや》橋で乗《の》り易《か》え様と思つて、黒《くろ》い路《みち》の中《なか》に、待ち合《あ》はしてゐると、小供を負《おぶ》つた神《かみ》さんが、退儀《たいぎ》さうに向《むかふ》から近|寄《よ》つて来《き》た。電車は向《むか》ふ側《がは》を二三度|通《とほ》つた。代助と軌道《レール》の間《あひだ》には、土《つち》か石《いし》の積《つ》んだものが、高《たか》い土手の様に挟《はさ》まつてゐた。代助は始《はじ》めて間違《まちが》つた所に立《た》つてゐる事を悟つた。
「御神さん、電車へ乗るなら、此所《こゝ》ぢや不可《いけ》ない。向側《むかふがは》だ」と教へながら歩《ある》き出《だ》した。神さんは礼を云つて跟《つ》いて来《き》た。代助は手探《てさぐり》でもする様に、暗《くら》い所を好加減《いゝかげん》に歩《ある》いた。十四五|間《けん》左《ひだり》の方へ濠際《ほりぎは》を目標《めあて》に出《で》たら、漸く停留所《ていりうじよ》の柱が見付《みつか》つた。神さんは其所《そこ》で、神田橋の方へ向《む》いて乗つた。代助はたつた一人《ひとり》反対の赤坂|行《ゆき》へ這入つた。
車《くるま》の中《なか》では、眠《ねむ》くて寐《ね》られない様な気がした。揺《ゆ》られながらも今夜の睡眠が苦になつた。彼《かれ》は大いに疲労して、白昼《はくちう》の凡てに、惰気《だき》を催うすにも拘はらず、知られざる何物《なにもの》かの興奮の為《ため》に、静かな夜《よ》を恣《ほしいまゝ》にする事が出来ない事がよくあつた。彼《かれ》の脳裏《のうり》には、今日《けふ》の日中《につちう》に、交《かは》る/″\痕《あと》を残した色彩が、時《とき》の前後と形《かたち》の差別を忘れて、一度に散《ち》らついてゐた。さうして、それが何《なに》の色彩であるか、何の運動であるか慥《たし》かに解《わか》らなかつた。彼《かれ》は眼《め》を眠《ねむ》つて、家《うち》へ帰《かへ》つたら、又《また》ヰスキーの力《ちから》を借りやうと覚悟した。
彼《かれ》は此《この》取り留めのない花やかな色調《しきちやう》の反照として、三千代の事を思ひ出さざるを得なかつた。さうして其所《そこ》にわが安住の地を見出《みいだ》した様な気がした。けれども其安住の地は、明《あき》らかには、彼《かれ》の眼《め》に映じて出《で》なかつた。たゞ、かれの心《こゝろ》の調子全体で、それを認《みと》めた丈であつた。従つて彼《かれ》は三千代の顔や、容子や、言葉や、夫婦の関係《くわんけい》や、病気や、身分《みぶん》を一纏《ひとまとめ》にしたものを、わが情調にしつくり合ふ対象として、発見したに過ぎなかつた。
十一の九
翌日《よくじつ》代助は但馬にゐる友人から長い手紙を受取つた。此友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰《かへ》つたぎり、今日迄《こんにちまで》ついぞ東京へ出《で》た事のない男であつた。当人は無論|山《やま》の中《なか》で暮《くら》す気はなかつたんだが、親《おや》の命令で已《やむ》を得ず、故郷に封じ込められて仕舞つたのである。夫《それ》でも一年許《いちねんばかり》の間《あひだ》は、もう一返|親父《おやぢ》を説《と》き付《つ》けて、東京へ出《で》る出《で》ると云つて、うるさい程手紙を寄《よ》こしたが、此頃は漸く断念したと見《み》えて、大した不平がましい訴もしない様になつた。家《いへ》は所《ところ》の旧家《きうか》で、先祖から持《も》ち伝へた山林を年々|伐《き》り出すのが、重《おも》な用事になつてゐるよしであつた。今度《こんど》の手紙には、彼《かれ》の日常生活の模様が委しく書《か》いてあつた。それから、一ヶ月前町長に挙《あ》げられて、年俸を三百円頂戴する身分になつた事を、面白半分《おもしろはんぶん》、殊更に真面目《まじめ》な句調で吹聴して来《き》た。卒業してすぐ中学の教師になつても、此三倍は貰《もら》へると、自分と他の友人との比較がしてあつた。
此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都|在《ざい》のある財産家から嫁《よめ》を貰《もら》つた。それは無論|親《おや》の云ひ付《つけ》であつた。すると、少時《しばらく》して、直《すぐ》子供が生れた。女房の事は貰《もら》つた時より外《ほか》に何も云つて来《こ》ないが、子供の生長《おいたち》には興味があると見えて、時々《とき/″\》代助の可笑《おかし》くなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、此子供に対して、満足しつゝある友人の生活を想像した。さうして、此子供の為《ため》に、彼の細君に対する感想が、貰《もら》つた当時に比べて、どの位変化したかを疑つた。
友人は時々《とき/″\》鮎《あゆ》の乾《ほ》したのや、柿の乾《ほ》したのを送つてくれた。代助は其返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣《や》つた。すると其返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評が屹度あつた。けれども、それが長くは続《つゞ》かなかつた。仕舞には受取《うけと》つたと云ふ礼状さへ寄《よ》こさなかつた。此方《こつち》からわざ/\問ひ合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云はうと思つて、つい遅《おそ》くなつた。実はまだ読《よ》まない。白状すると、読《よ》む閑《ひま》がないと云ふより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云へば、読んでも解《わか》らなくなつたのである。といふ返事が来《き》た。代助は夫《それ》から書物を廃《や》めて、其代りに新らしい玩具《おもちや》を買《か》つて送《おく》る事にした。
代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有《も》つてゐた此旧友が、当時とは丸で反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色《ねいろ》を出《だ》してゐると云ふ事実を、切《せつ》に感じた。さうして、命《いのち》の絃《いと》の震動《しんどう》から出《で》る二人《ふたり》の響《ひゞき》を審《つまびら》かに比較した。
彼《かれ》は理論家《セオリスト》として、友人の結婚《けつこん》を肯《うけが》つた。山《やま》の中《なか》に住《す》んで、樹《き》や谷《たに》を相手にしてゐるものは、親《おや》の取り極《き》めた通りの妻《つま》を迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼《かれ》は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来《きた》すものと断定した。其原因を云へば、都会は人間《にんげん》の展覧会に過ぎないからであつた。彼は此前提《このぜんてい》から此《この》結論に達する為《ため》に斯《か》う云ふ径路を辿《たど》つた。
彼は肉体と精神に於て美《び》の類別を認める男であつた。
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