《はた》らいちや悪《わる》いだらう。先生の膳は僕が洗つて置くから、彼方《あつち》へ行《い》つて休《やす》んで御出《おいで》」と婆《ばあ》さんを労《いたは》つてゐた。代助は始めて婆《ばあ》さんの病気の事を思ひ出《だ》した。何《なに》か優《やさ》しい言葉でも掛ける所であつたが、面倒だと思つて已《や》めにした。
 食刀《ナイフ》を置《お》くや否や、代助はすぐ紅茶々碗を持《も》つて書斎へ這入《はい》つた。時計を見るともう九時|過《すぎ》であつた。しばらく、庭《には》を眺《なが》めながら、茶を啜《すゝ》り延《の》ばしてゐると、門野《かどの》が来《き》て、
「御|宅《たく》から御迎《おむかひ》が参りました」と云つた。代助は宅《うち》から迎《むかひ》を受ける覚《おぼえ》がなかつた。聞き返《かへ》して見ても、門野《かどの》は車夫《しやふ》がとか何とか要領を得ない事を云ふので、代助は頭《あたま》を振り/\玄関へ出《で》て見た。すると、そこに兄《あに》の車《くるま》を引《ひ》く勝《かつ》と云ふのがゐた。ちやんと、護謨《ごむ》輪の車《くるま》を玄関へ横付《よこづけ》にして、叮嚀に御辞義をした。
「勝《かつ》、御迎《おむかへ》つて何《なん》だい」と聞《き》くと、勝《かつ》は恐縮の態度で、
「奥様が車《くるま》を持《も》つて、迎《むかひ》に行《い》つて来《こ》いつて、御仰《おつしや》いました」
「何《なに》か急用でも出来《でき》たのかい」
 勝《かつ》は固《もと》より何事《なにごと》も知らなかつた。
「御出《おいで》になれば分《わか》るからつて――」と簡潔に答へて、言葉《ことば》の尻を結《むす》ばなかつた。
 代助は奥へ這入《はい》つた。婆《ばあ》さんを呼んで着物《きもの》を出させやうと思つたが、腹の痛むものを使《つか》ふのが厭《いや》なので、自分で簟笥の抽出《ひきだし》を掻《か》き回《まは》して、急いで身支度《みじたく》をして、勝《かつ》の車《くるま》に乗つて出《で》た。
 其日《そのひ》は風《かぜ》が強く吹《ふ》いた。勝《かつ》は苦《くる》しさうに、前《まへ》の方《ほう》に曲《こゞ》んで馳《か》けた。乗《の》つてゐた代助は、二重の頭《あたま》がぐる/\回転するほど、風《かぜ》に吹かれた。けれども、音《おと》も響《ひゞき》もない車輪《しやりん》が美くしく動《うご》いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙《ちう》に運《はこ》んで行く有様が愉快であつた。青山《あをやま》の家《うち》へ着く時分には、起《お》きた頃とは違《ちが》つて、気色《きしよく》が余程晴々して来《き》た。

       十一の六

 何《なに》か事《こと》が起《おこ》つたのかと思つて、上《あが》り掛《が》けに、書生部屋を覗《のぞ》いて見たら、直木《なほき》と誠太郎がたつた二人《ふたり》で、白砂糖《しろざとう》を振《ふ》り掛《か》けた苺《いちご》を食《く》つてゐた。
「やあ、御馳走だな」と云ふと、直木は、すぐ居《ゐ》ずまひを直《なほ》して、挨拶をした。誠太郎は唇《くちびる》の縁《ふち》を濡《ぬ》らした儘《まゝ》、突然、
「叔父《おぢ》さん、奥《おく》さんは何時《いつ》貰《もら》ふんですか」と聞《き》いた。直木はにや/\してゐる。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、
「今日《けふ》は何故《なぜ》学校《がつこう》へ行《い》かないんだ。さうして朝《あさ》つ腹《ぱら》から苺《いちご》なんぞを食《く》つて」と調戯《からか》ふ様に、叱《しか》る様に云つた。
「だつて今日《けふ》は日曜ぢやありませんか」と誠太郎は真面目《まじめ》になつた。
「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。
 直木は代助の顔《かほ》を見てとう/\笑ひ出《だ》した。代助も笑つて、座敷へ来《き》た。そこには誰《だれ》も居なかつた。替《か》え立ての畳《たゝみ》の上《うへ》に、丸い紫檀の刳抜盆《くりぬきぼん》が一つ出《で》てゐて、中《なか》に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様|画《ぐわ》が染《そ》め付《つ》けてあつた。からんとした広《ひろ》い座敷へ朝《あさ》の緑《みどり》が庭《には》から射《さ》し込んで、凡《すべ》てが静《しづ》かに見えた。戸外《そと》の風《かぜ》は急に落ちた様に思はれた。
 座敷を通り抜《ぬ》けて、兄《あに》の部屋《へや》の方《ほう》へ来《き》たら、人《ひと》の影《かげ》がした。
「あら、だつて、夫《それ》ぢや余《あん》まりだわ」と云ふ嫂《あによめ》の声が聞えた。代助は中《なか》へ這入つた。中《なか》には兄《あに》と嫂《あによめ》と縫子がゐた。兄《あに》は角帯《かくおび》に金鎖《きんぐさり》を巻《ま》き付《つ》けて、近頃流行る妙な絽《ろ》の羽織を着《き》て、此方《こちら》を向《む》いて立つてゐた。代助の姿《すがた》を見て、
「そら来《き》た。ね。だから一所に連《つ》れて行《い》つて御貰《おもらひ》よ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分《わか》らなかつた。すると、梅子が代助の方に向き直つた。
「代さん、今日《けふ》貴方《あなた》、無論|暇《ひま》でせう」と云つた。
「えゝ、まあ暇《ひま》です」と代助は答へた。
「ぢや、一所に歌舞伎座へ行《い》つて頂戴」
 代助は嫂《あによめ》の此言葉を聞いて、頭《あたま》の中《なか》に、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日《けふ》は平常《いつも》の様に、嫂《あによめ》に調戯《からか》ふ勇気がなかつた。面倒だから、平気な顔《かほ》をして、
「えゝ宜《よろ》しい、行《い》きませう」と機嫌《きげん》よく答へた。すると梅子は、
「だつて、貴方《あなた》は、最早《もう》、一遍|観《み》たつて云ふんぢやありませんか」と聞《き》き返した。
「一遍だらうが、二遍だらうが、些《ちつ》とも構《かま》はない。行《い》きませう」と代助は梅子を見て微笑した。
「貴方《あなた》も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽を感《かん》じた。
 兄《あに》は用があると云つて、すぐ出《で》て行《い》つた。四時頃用が済《す》んだら芝居の方へ回る約束なんださうである。それ迄自分と縫子丈で見てゐたら好《よ》ささうなものだが、梅子は夫《それ》が厭《いや》だと云つた。そんなら直木を連れて行《い》けと兄《あに》から注意された時、直木は紺絣《こんがすり》を着《き》て、袴《はかま》を穿《は》いて、六づかしく坐《すは》つてゐて不可《いけ》ないと答へた。夫《それ》で仕方がないから代助を迎ひに遣《や》つたのだ、と、是は兄《あに》が出掛《でがけ》の説明であつた。代助は少々理窟に合はないと思つたが、たゞ、左様《さう》ですかと答へた。さうして、嫂《あによめ》は幕《まく》の相間《あひま》に話《はな》し相手が欲《ほし》いのと、夫《それ》からいざと云ふ時《とき》に、色々《いろ/\》用を云ひ付けたいものだから、わざ/\自分を呼び寄《よ》せたに違ないと解釈した。
 梅子と縫子は長い時間を御|化《け》粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になつて、両人《ふたり》の傍《そば》に附《つ》いてゐた。さうして時々は、面白|半分《はんぶん》の冷《ひや》かしも云つた。縫子からは叔父《おぢ》さん随分だわを二三度繰り返《かへ》された。
 父《ちゝ》は今朝《けさ》早くから出《で》て、家《うち》にゐなかつた。何処《どこ》へ行つたのだか、嫂《あによめ》は知らないと云つた。代助は別に知りたい気もなかつた。たゞ父のゐないのが難有かつた。此間《このあひだ》の会見以後、代助は父とはたつた二度程しか顔《かほ》を合せなかつた。それも、ほんの十分か十五分に過《す》ぎなかつた。話が込み入りさうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしてゐた。父《ちゝ》は座敷の方へ出《で》て来《き》て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなつた。おれの顔さへ見れば逃《に》げ支度をすると云つて怒《おこ》つた。と嫂《あによめ》は鏡《かゞみ》の前で夏帯《なつおび》の尻を撫でながら代助に話した。
「ひどく、信用を落《おと》したもんだな」
 代助は斯う云つて、嫂《あによめ》と縫子《ぬひこ》の蝙蝠傘《かはほりがさ》を抱《さ》げて一足《ひとあし》先へ玄関へ出《で》た。車はそこに三挺|并《なら》んでゐた。

       十一の七

 代助は風《かぜ》を恐れて鳥打《とりうち》帽を被《かぶ》つてゐた。風《かぜ》は漸く歇《や》んで、強い日《ひ》が雲《くも》の隙間《すきま》から頭《あたま》の上《うへ》を照《て》らした。先《さき》へ行《ゆ》く梅子と縫子は傘《かさ》を広《ひろ》げた。代助は時々《とき/″\》手《て》の甲《かう》を額《ひたひ》の前《まへ》に翳《かざ》した。
 芝居の中《なか》では、嫂《あによめ》も縫《ぬひ》子も非常に熱心な観客《けんぶつ》であつた。代助は二返|目《め》の所為《せゐ》といひ、此|三四日来《さんよつからい》の脳の状態からと云ひ、左様《さう》一図に舞台ばかりに気を取《と》られてゐる訳《わけ》にも行《い》かなかつた。堪えず精神に重苦しい暑《あつさ》を感ずるので、屡|団扇《うちは》を手《て》にして、風《かぜ》を襟《えり》から頭《あたま》へ送《おく》つてゐた。
 幕《まく》の合間《あひま》に縫子が代助の方を向《む》いて時々《とき/″\》妙な事を聞《き》いた。何故《なぜ》あの人は盥《たらひ》で酒を飲むんだとか、何故《なぜ》坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであつた。梅子はそれを聞くたんびに笑つてゐた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひ出《だ》した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋《すぢ》に富《と》んでゐるので、楽《らく》に見物が出来ないと書《か》いてあつた。代助は其時《そのとき》、役者の立場《たちば》から考へて、何《なに》もそんな人《ひと》に見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言《こごと》を、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野《かどの》に話した。門野は依然として、左様《そん》なもんでせうかなと云つてゐた。
 小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であつた。さうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕《しゆわん》に就てのみ用ひべきものと狭義に解釈してゐた。だから梅子とは大いに話《はなし》が合《あ》つた。時々《とき/″\》顔《かほ》を見合《みあは》して、黒人《くらうと》の様な批評を加へて、互に感心してゐた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭《あき》が来《き》てゐた。幕《まく》の途中《とちう》でも、双眼鏡で、彼方《あつち》を見たり、此方《こつち》を見たりしてゐた。双眼鏡の向《むか》ふ所には芸者が沢山ゐた。そのあるものは、先方《むかふ》でも眼鏡《めがね》の先《さき》を此方《こつち》へ向けてゐた。
 代助の右隣《みぎどなり》には自分と同年輩の男が丸髷に結《いつ》た美くしい細君を連れて来《き》てゐた。代助は其細君の横顔を見て、自分の近付《ちかづき》のある芸者によく似てゐると思つた。左隣《ひだりどなり》には男|連《づれ》が四人許《よつたりばかり》ゐた。さうして、それが、悉《ことごと》く博士であつた。代助は其顔を一々覚えてゐた。其又|隣《となり》に、広《ひろ》い所を、たつた二人《ふたり》で専《せん》領してゐるものがあつた。その一人《ひとり》は、兄《あに》と同じ位な年恰好《としかつこう》で、正《たゞ》しい洋服を着《き》てゐた。さうして金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》を掛けて、物を見《み》るときには、顎《あご》を前《まへ》へ出《だ》して、心持《こゝろもち》仰向《あほむ》く癖《くせ》があつた。代助は此《この》男を見たとき、何所《どこ》か見覚《みおぼえ》のある様な気がした。が、ついに思ひ出《だ》さうと力《つと》めても見なかつた。其|伴侶《つれ》は若《わか》い女であつた。代助はまだ廿《はたち》になるまいと判定した。羽織を着《き》ないで
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