う。もう少し判然《はんぜん》として呉《く》れ。此方《こつち》は生死《せいし》の戦《たゝかひ》だ」と云つて、寺尾は小形《こがた》の本をとん/\と椅子《いす》の角《かど》で二返|敲《たゝ》いた。
「何時《いつ》迄に」
 寺尾は、書物の頁《ページ》をさら/\と繰《く》つて見せたが、断然たる調子で、
「二週間」と答へた後《あと》で、「何《ど》うでも斯《か》うでも、夫迄に片付《かたづけ》なけりや、食《く》へないんだから仕方がない」と説明した。
「偉《えら》い勢《いきほひ》だね」と代助は冷《ひや》かした。
「だから、本郷からわざ/\遣《や》つて来《き》たんだ。なに、金《かね》は借《か》りなくても好《い》い。――貸《か》せば猶|好《い》いが――夫《それ》より少し分《わか》らない所があるから、相談しやうと思《おも》つて」
「面倒だな。僕は今日《けふ》は頭《あたま》が悪《わる》くつて、そんな事は遣《や》つてゐられないよ。好《い》い加減に訳して置けば構《かま》はないぢやないか。どうせ原稿料は頁《ページ》で呉れるんだらう」
「なんぼ、僕《ぼく》だつて、さう無責任な翻訳は出来《でき》ないだらうぢやないか。誤訳でも指摘されると後《あと》から面倒だあね」
「仕様がないな」と云つて、代助は矢っ張り横着な態度を維持してゐた。すると、寺尾は、
「おい」と云つた。「冗談ぢやない、君の様に、のらくら遊んでる人《ひと》は、たまには其位な事でも、しなくつちや退屈で仕方がないだらう。なに、僕だつて、本《ほん》の善《よ》く読める人《ひと》の所へ行《い》く気なら、わざ/\君の所迄|来《き》やしない。けれども、左《そ》んな人《ひと》は君《きみ》と違《ちが》つて、みんな忙《いそが》しいんだからな」と少《すこ》しも辟易した様子を見せなかつた。代助は喧嘩をするか、相談に応ずるか何方《どつち》かだと覚悟を極《き》めた。彼の性質として、斯《か》う云ふ相手を軽蔑する事は出来るが、怒《おこ》り付《つ》ける気は出《だ》せなかつた。
「ぢや成るべく少《すこ》しに仕様ぢやないか」と断《ことわ》つて置いて、符号《マーク》の附《つ》けてある所丈を見た。代助は其書物の梗概さへ聞く勇気がなかつた。相談を受けた部分にも曖昧《あいまい》な所は沢山あつた。寺尾は、やがて、
「やあ、難有う」と云つて本を伏せた。
「分《わか》らない所は何《どう》する」と代助が聞《き》いた。
「なに何《どう》かする。――誰《だれ》に聞《き》いたつて、さう善く分《わか》りやしまい。第一|時間《じかん》がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如く天《てん》から極めてゐた。
 相談が済《す》むと、寺尾は例によつて、文学談を持ち出《だ》した。不思議な事に、さうなると、自己の翻訳とは違《ちが》つて、いつもの通り非常に熱心になつた。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだらうと考へて、寺尾の矛盾を可笑《おか》しく思つた。けれども面倒だから、口《くち》へは出《だ》さなかつた。
 寺尾の御蔭で、代助は其日とう/\平岡へ行きはぐれて仕舞つた。

       十一の四

 晩食《ばんめし》の時《とき》、丸善から小包《こづゝみ》が届《とゞ》いた。箸《はし》を措《お》いて開《あ》けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であつた。代助はそれを腋《わき》の下《した》に抱《かゝ》へ込《こ》んで、書斎へ帰つた。一冊づゝ順々に取り上《あ》げて、暗《くら》いながら二三|頁《ページ》、捲《はぐ》る様に眼《め》を通《とほ》したが何処《どこ》も彼の注意を惹《ひ》く様な所はなかつた。最後の一冊に至つては、其名前さへ既に忘れてゐた。何《いづ》れ其中《そのうち》読む事にしやうと云ふ考で、一所に纏《まと》めた儘、立つて、本棚の上《うへ》に重《かさ》ねて置いた。椽側から外《そと》を窺《うかゞ》うと、奇麗な空《そら》が、高い色《いろ》を失《うしな》ひかけて、隣《となり》の梧桐《ごとう》の一際《ひときは》濃《こ》く見える上《うへ》に、薄《うす》い月《つき》が出《で》てゐた。
 そこへ門野《かどの》が大きな洋燈《ランプ》を持つて這入《はい》つて来《き》た。それには絹縮《きぬちゞみ》の様《やう》に、竪《たて》に溝《みぞ》の入《い》つた青い笠《かさ》が掛《か》けてあつた。門野《かどの》はそれを洋卓《テーブル》の上《うへ》に置《お》いて、又椽側へ出《で》たが、出掛《でがけ》に、
「もう、そろ/\蛍《ほたる》が出《で》る時分ですな」と云つた。代助は可笑《をかし》な顔《かほ》をして、
「まだ出《で》やしまい」と答へた。すると門野《かどの》は例の如く、
「左様《さう》でしやうか」と云ふ返事をしたが、すぐ真面目《まじめ》な調子で、「蛍《ほたる》てえものは、昔《むかし》は大分《だいぶ》流行《はやつ》たもんだが、近来は余《あま》り文士|方《がた》が騒《さわ》がない様になりましたな。何《ど》う云ふもんでせう。蛍《ほたる》だの烏《からす》だのつて、此頃《このごろ》ぢやついぞ見た事がない位なもんだ」と云つた。
「左様《さう》さ。何《ど》う云ふ訳《わけ》だらう」と代助も空《そら》つとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野《かどの》は、
「矢っ張り、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでせう」と云ひ終つて、自《みづ》から、えへゝゝと、洒落《しやれ》の結末をつけて、書生部屋へ帰つて行つた。代助もつゞいて玄関迄|出《で》た。門野は振返《ふりかへつ》た。
「また御|出掛《でかけ》ですか。よござんす。洋燈《ランプ》は私《わたくし》が気を付《つ》けますから。――小母《をば》さんが先刻《さつき》から腹《はら》が痛《いた》いつて寐《ね》たんですが、何《なに》大《たい》した事はないでせう。御緩《ごゆつく》り」
 代助は門《もん》を出《で》た。江戸川迄|来《く》ると、河《かは》の水《みづ》がもう暗《くら》くなつてゐた。彼は固より平岡を訪《たづ》ねる気であつた。から何時《いつ》もの様に川辺《かはべり》を伝《つた》はないで、すぐ橋《はし》を渡《わた》つて、金剛寺坂《こんごうじざか》を上《あが》つた。
 実を云ふと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢つてゐた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取つた時であつた。それには、第一に着京以来御世話になつて難有いと云ふ礼が述べてあつた。それから、――其後《そのご》色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣《や》つて見たい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜《よろ》しくあるまいと思つて、一応御相談をすると云ふ意味が後《あと》に書いてあつた。代助は、其当時《そのとうじ》平岡から、兄《あに》の会社に周旋してくれと依頼されたのを、其儘にして、断わりもせず今日《こんにち》迄|放《ほう》つて置いた。ので、其返事を促《うな》がされたのだと受取つた。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡|過《すぎ》ると云ふ考もあつたので、翌日《よくじつ》出《で》向いて行《い》つて、色々|兄《あに》の方の事情を話して当分、此方《こつち》は断念して呉れる様に頼んだ。平岡は其時《そのとき》、僕も大方《おほかた》左様《さう》だらうと思つてゐたと云つて、妙な眼《め》をして三千代の方を見《み》た。
 いま一遍は、愈新聞の方が極《き》まつたから、一晩《ひとばん》緩《ゆつく》り君《きみ》と飲《の》みたい。何日《いくか》に来《き》て呉れといふ平岡の端書《はがき》が着《つ》いた時、折悪く差支が出来たからと云つて散歩の序に断わりに寄《よ》つたのである。其時平岡は座敷の真中《まんなか》に引繰《ひつく》り返《かへ》つて寐《ね》てゐた。昨夕《ゆふべ》どこかの会《くわい》へ出《で》て、飲み過《す》ごした結果《けつくわ》だと云つて、赤い眼《め》をしきりに摩《こす》つた。代助を見て、突然《とつぜん》、人間《にんげん》は何《ど》うしても君の様に独身でなけりや仕事は出来ない。僕も一人《ひとり》なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次《つぎ》の間《ま》で、こつそり仕事《しごと》をしてゐた。
 三遍目《さんべんめ》には、平岡の社へ出た留守を訪《たづ》ねた。其時は用事も何もなかつた。約三十分許り椽へ腰《こし》を掛《か》けて話《はな》した。
 夫《それ》から以後は可成小石川の方面へ立ち回《まは》らない事にして今夜《こんや》に至たのである。代助は竹早町へ上《あが》つて、それを向ふへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云ふ軒燈のすぐ前へ来《き》た。格子の外《そと》から声を掛《かけ》ると、洋燈《ランプ》を持つて下女が出《で》た。が平岡は夫婦とも留守であつた。代助は出先《でさき》も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗つて、本郷迄|来《き》て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入つて、麦酒《ビール》をぐい/\飲んだ。

       十一の五

 翌日《よくじつ》眼《め》が覚《さ》めると、依然として脳《のう》の中心から、半径《はんけい》の違《ちが》つた円《えん》が、頭《あたま》を二重《にぢう》に仕切つてゐる様な心持がした。斯《か》う云ふ時に代助は、頭《あたま》の内側《うちがは》と外側《そとがは》が、質《しつ》の異《こと》なつた切り組《く》み細工で出来上《できあが》つてゐるとしか感じ得られない癖《くせ》になつてゐた。夫《それ》で能《よ》く自分《じぶん》で自分《じぶん》の頭《あたま》を振《ふ》つてみて、二つのものを混《ま》ぜやうと力《つと》めたものである。彼《かれ》は今《いま》枕《まくら》の上《うへ》へ髪《かみ》を着《つ》けたなり、右《みぎ》の手を固《かた》めて、耳《みゝ》の上《うへ》を二三度|敲《たゝ》いた。
 代助は斯《か》ゝる脳髄《のうずい》の異状を以て、かつて酒《さけ》の咎《とが》に帰した事はなかつた。彼は小供の時《とき》から酒《さけ》に量を得た男であつた。いくら飲《の》んでも、左程平常を離れなかつた。のみならず、一度《いちど》熟睡さへすれば、あとは身体《からだ》に何の故障も認める事が出来《でき》なかつた。嘗《かつ》て何かのはづみに、兄《あに》と競《せ》り飲《の》みをやつて、三合入《さんごういり》の徳利を十三本倒した事がある。其|翌日《あくるひ》代助は平気な顔をして学校へ出《で》た。兄《あに》は二日《ふつか》も頭《あたま》が痛《いた》いと云つて苦《にが》り切《き》つてゐた。さうして、これを年齢《とし》の違《ちがひ》だと云つた。
 昨夕《ゆふべ》飲んだ麦酒《ビール》は是《これ》に比《くら》べると愚《おろか》なものだと、代助は頭《あたま》を敲《たゝ》きながら考へた。幸《さいはひ》に、代助はいくら頭《あたま》が二重《にぢう》になつても、脳の活動に狂《くるひ》を受けた事がなかつた。時としては、たゞ頭《あたま》を使《つか》ふのが臆劫になつた。けれども努力さへすれば、充分複雑な仕事に堪えるといふ自信があつた。だから、斯《こ》んな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪《わる》い影響を与へるものとしては、悲観する余地がなかつた。始めて、こんな感覚があつた時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験として喜《よろこ》んだ。この頃《ごろ》は、此経験が、多くの場合に、精神気力の低落《ていらく》に伴《ともな》ふ様になつた。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になつた。代助にはそこが不愉快だつた。
 床《とこ》の上《うへ》に起《お》き上《あ》がつて、彼は又|頭《あたま》を振《ふ》つた。朝食《あさめし》の時、門野《かどの》は今朝《けさ》の新聞に出てゐた蛇《へび》と鷲《わし》の戦《たゝかひ》の事を話《はな》し掛けたが、代助は応じなかつた。門野は又|始《はじ》まつたなと思つて、茶の間《ま》を出《で》た。勝手の方で、
「小母《をば》さん、さう働
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