く此間《このあひだ》浅草の奥山《おくやま》へ一所に連《つ》れて行《い》つた結果である。あの一図な所はよく、嫂《あによめ》の気性を受け継《つ》いでゐる。然し兄《あに》の子丈あつて、一図なうちに、何処《どこ》か逼《せま》らない鷹揚《おほよう》な気象がある。誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂《たましひ》が遠慮なく此方《こつち》へ流《なが》れ込《こ》んで来《く》るから愉快である。実際代助は、昼夜《ちうや》の区別なく、武装を解《と》いた事《こと》のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。
誠太郎は此春《このはる》から中学校へ行き出《だ》した。すると急に脊丈《せたけ》が延《の》びて来《く》る様に思はれた。もう一二年すると声が変《かは》る。それから先《さき》何《ど》んな径路《けいろ》を取つて、生長するか分《わか》らないが、到底|人間《にんげん》として、生存する為《ため》には、人間《にんげん》から嫌《きら》はれると云ふ運命に到着するに違《ちがひ》ない。其時《そのとき》、彼《かれ》は穏《おだ》やかに人の目に着《つ》かない服装《なり》をして、乞食《こじき》の如く、何物をか求めつゝ、人《ひと》の市《いち》をうろついて歩《ある》くだらう。
代助は堀|端《ばた》へ出《で》た。此間《このあひだ》迄|向《むかふ》の土手にむら躑躅《つゝぢ》が、団団《だんだん》と紅|白《はく》の模様を青い中《なか》に印してゐたのが、丸で跡形《あとかた》もなくなつて、のべつに草が生《お》い茂つてゐる高い傾斜の上《うへ》に、大きな松《まつ》が何十本となく並んで、何処《どこ》迄もつゞいてゐる。空《そら》は奇麗に晴《は》れた。代助は電車《でんしや》に乗《の》つて、宅《うち》へ行つて、嫂《あによめ》に調戯《からか》つて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急に厭《いや》になつて、此松《このまつ》を見《み》ながら、草臥《くたびれ》る所迄|堀端《ほりばた》を伝《つた》つて行く気になつた。
新見付《しんみつけ》へ来《く》ると、向《むかふ》から来《き》たり、此方《こつち》から行《い》つたりする電車が苦《く》になり出《だ》したので、堀《ほり》を横切《よこぎ》つて、招魂社の横《よこ》から番町へ出《で》た。そこをぐる/\回《まは》つて歩《ある》いてゐるうちに、かく目的なしに歩《ある》いてゐる事《こと》が、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつて歩《ある》くものは賤民だと、彼《かれ》は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限《かぎ》つて、其賤民の方が偉《えら》い様な気がした。全《まつ》たく、又アンニユイに襲はれたと悟つて、帰《かへ》りだした。神楽坂へかゝると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音《そのおと》が甚しく金属《きんぞく》性の刺激を帯びてゐて、大いに代助の頭《あたま》に応《こた》へた。
家《いへ》の門《もん》を這入《はい》ると、今度は門野《かどの》が、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた。夫《それ》でも代助の足音《あしおと》を聞《き》いて、ぴたりと已《や》めた。
「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へ出《で》て来《き》た。代助は何にも答へずに、帽子を其所《そこ》へ掛《か》けた儘、椽側から書斎へ這入つた。さうして、わざ/\障子を締《し》め切つた。つゞいて湯呑《ゆのみ》に茶を注《つ》いで持つて来《き》た門野が、
「締《し》めときますか。暑《あつ》かありませんか」と聞《き》いた。代助は袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭いてゐたが、矢っ張り、
「締《し》めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締《し》めて出《で》て行つた。代助は暗《くら》くした室《へや》のなかに、十分許《じつぷんばかり》ぽかんとしてゐた。
彼は人《ひと》の羨《うら》やむ程|光沢《つや》の好《い》い皮膚《ひふ》と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有《も》つた男であつた。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福を享《う》けてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐《いきがひ》があると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人《たにん》の倍以上に価値を有《も》つてゐた。彼の頭《あたま》は、彼の肉体と同じく確《たしか》であつた。たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々《とき/″\》、頭《あたま》の中心《ちうしん》が、大弓《だいきう》の的《まと》の様に、二重《にぢう》もしくは三重《さんぢう》にかさなる様に感ずる事があつた。ことに、今日《けふ》は朝《あさ》から左様《そん》な心持がした。
十一の二
代助が黙然《もくねん》として、自己《じこ》は何の為《ため》に此世《このよ》の中《なか》に生《うま》れて来《き》たかを考へるのは斯《か》う云ふ時であつた。彼は今迄何遍も此大問題を捕《とら》へて、彼《かれ》の眼前《がんぜん》に据ゑ付けて見た。其|動機《どうき》は、単《たん》に哲学上の好奇心から来《き》た事《こと》もあるし、又|世間《せけん》の現象が、余《あま》りに複雑《ふくざつ》な色彩《しきさい》を以て、彼《かれ》の頭《あたま》を染め付《つ》けやうと焦《あせ》るから来《く》る事もあるし、又最後には今日《こんにち》の如くアンニユイの結果として来《く》る事もあるが、其|都度《つど》彼は同じ結論に到着した。然し其結論は、此問題の解決ではなくつて、寧ろ其否定と異ならなかつた。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかつた。之《これ》と反対に、生《うま》れた人間《にんげん》に、始めてある目的が出来《でき》て来《く》るのであつた。最初から客観的にある目的を拵《こし》らえて、それを人間《にんげん》に附着するのは、其|人間《にんげん》の自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間《にんげん》の目的は、生れた本人が、本人自身に作つたものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。
此根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。歩《ある》きたいから歩《ある》く。すると歩《ある》くのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩《ある》いたり、考《かんが》へたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てゝ、活動するのは活動の堕落になる。従つて自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自《みづか》ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望《ぐわんもう》、嗜欲《きよく》が起るたび毎《ごと》に、是等の願望《ぐわんもう》嗜欲《きよく》を遂行するのを自己の目的として存在してゐた。二個の相容れざる願望《ぐわんもう》嗜欲《きよく》が胸に闘ふ場合も同じ事であつた。たゞ矛盾から出《で》る一目的の消耗と解釈してゐた。これを煎《せん》じ詰《つ》めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動してゐたのである。さうして、他を偽《いつは》らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得てゐた。
此主義を出来る丈遂行する彼《かれ》は、其遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲はれて、自分は今何の為《ため》に、こんな事をしてゐるのかと考へ出《だ》す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故《なぜ》散歩しつゝあるかと疑つたのは正に是《これ》である。
其時|彼《かれ》は自分ながら、自分の活力の充実してゐない事に気がつく。餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自《みづか》ら其行動の意義を中途で疑ふ様になる。彼はこれをアンニユイと名《なづ》けてゐた。アンニユイに罹《かゝ》ると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じてゐた。彼の行為の中途に於て、何《なに》の為《ため》と云ふ、冠履顛倒の疑を起させるのは、アンニユイに外《ほか》ならなかつたからである。
彼《かれ》は立《た》て切《き》つた室《へや》の中《なか》で、一二度|頭《あたま》を抑えて振《ふ》り動《うご》かして見た。彼は昔《むかし》から今日《こんにち》迄の思索家の、屡《しばしば》繰《く》り返《かへ》した無意義な疑義を、又|脳裏《のうり》に拈定《ねんてい》するに堪えなかつた。その姿《すがた》のちらりと眼前《がんぜん》に起《おこ》つた時、またかと云ふ具合に、すぐ切《き》り棄てゝ仕舞つた。同時に彼は自己の生活力の不足を劇しく感じた。従つて行為其物を目的として、円満に遂行する興味も有《も》たなかつた。彼はたゞ一人《ひとり》荒野《こうや》の中《うち》に立《た》つた。茫然としてゐた。
彼は高尚な生活欲の満足を冀ふ男であつた。又ある意味に於て道義欲の満足を買はうとする男であつた。さうして、ある点へ来《く》ると、此二つのものが火花《ひばな》を散《ち》らして切り結《むす》ぶ関門《くわんもん》があると予想してゐた。それで生活欲を低い程度に留《と》めて我慢してゐた。彼の室《へや》は普通の日本間《にほんま》であつた。是《これ》と云ふ程の大した装飾もなかつた。彼に云はせると、額《がく》さへ気の利《き》いたものは掛けてなかつた。色彩《しきさい》として眼《め》を惹《ひ》く程に美《うつく》しいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云ふ位であつた。彼《かれ》は今此書物の中《なか》に、茫然として坐《すは》つた。良《やゝ》あつて、これほど寐入《ねい》つた自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物を何《ど》うかしなければならぬと、思ひながら、室《へや》の中《なか》をぐる/\見廻《みまは》した。それから、又ぽかんとして壁《かべ》を眺《なが》めた。が、最後《さいご》に、自分を此薄弱な生活から救ひ得る方法は、たゞ一つあると考へた。さうして口《くち》の内《うち》で云つた。
「矢つ張り、三千代さんに逢《あ》はなくちや不可《いか》ん」
十一の三
彼は足の進まない方角へ散歩に出《で》たのを悔いた。もう一遍|出直《でなほ》して、平岡の許《もと》迄|行《い》かうかと思つてゐる所へ、森川町から寺尾が来《き》た。新らしい麦藁《むぎわら》帽を被《かぶ》つて、閑静な薄い羽織を着て、暑《あつ》い/\と云つて赤い顔《かほ》を拭《ふ》いた。
「何《なん》だつて、今時分《いまじぶん》来《き》たんだ」と代助は愛想《あいそ》もなく云ひ放つた。彼と寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際してゐたのである。
「今|時分《じぶん》が丁度訪問に好《い》い刻限だらう。君《きみ》、又|昼寐《ひるね》をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可《いか》ん。君は一体何の為《ため》に生《うま》れて来《き》たのだつたかね」と云つて、寺尾は麦藁《むぎわら》帽で、しきりに胸のあたりへ風《かぜ》を送《おく》つた。時候はまだ夫程暑くないのだから、此所作は頗る愛嬌を添へた。
「何の為《ため》に生《うま》れて来《き》やうと、余計な御世話だ。夫《それ》より君こそ何しに来《き》たんだ。又「此所《こゝ》十日許《とほかばかり》の間《あひだ》」ぢやないか、金《かね》の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先《さき》へ断《ことわ》つた。
「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾は已を得ず答へた。けれども別段感情を害した様子も見えなかつた。実を云ふと、此位な言葉は寺尾に取つて、少しも無礼とは思へなかつたのである。代助は黙《だま》つて、寺尾の顔《かほ》を見てゐた。それは、空《むな》しい壁《かべ》を見てゐるより以上の何等の感動をも、代助に与へなかつた。
寺尾は懐《ふところ》から汚《きた》ない仮綴《かりとぢ》の書物を出《だ》した。
「是を訳《やく》さなけりやならないんだ」と云つた。代助は依然として黙《だま》つてゐた。
「食《く》ふに困《こま》らないと思つて、さう無精《ぶせう》な顔《かほ》をしなくつて好《よ》から
前へ
次へ
全49ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング