楽《らく》に取れる。
代助は父《ちゝ》に呼《よ》ばれてから二三日の間《あひだ》、庭《には》の隅《すみ》に咲いた薔薇《ばら》の花《はな》の赤《あか》いのを見るたびに、それが点々《てん/\》として眼《め》を刺《さ》してならなかつた。其時は、いつでも、手水鉢《てみづばち》の傍《そば》にある、擬宝珠《ぎぼしゆ》の葉《は》に眼《め》を移《うつ》した。其|葉《は》には、放肆《ほうし》な白《しろ》い縞《しま》が、三筋《みすぢ》か四筋《よすぢ》、長《なが》く乱《みだ》れてゐた。代助が見るたびに、擬宝珠《ぎぼしゆ》の葉《は》は延《の》びて行く様に思はれた。さうして、それと共に白《しろ》い縞《しま》も、自由に拘束なく、延《の》びる様な気がした。柘榴《ざくろ》の花《はな》は、薔薇《ばら》よりも派出《はで》に且つ重苦《おもくる》しく見えた。緑《みどり》の間《あひだ》にちらり/\と光《ひか》つて見える位、強い色を出《だ》してゐた。従つて是《これ》も代助の今の気分には相応《うつ》らなかつた。
彼の今《いま》の気分は、彼に時々《とき/″\》起《おこ》る如《ごと》く、総体の上《うへ》に一種の暗調を帯びてゐた。だから余《あま》りに明《あか》る過《すぎ》るものに接すると、其矛盾に堪えがたかつた。擬宝珠《ぎぼしゆ》の葉《は》も長く見詰めてゐると、すぐ厭《いや》になる位であつた。
其上《そのうへ》彼《かれ》は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出《だ》した。其不安は人と人との間《あひだ》に信仰がない源因から起《おこ》る野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神《かみ》に信仰を置く事を喜《よろこ》ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質《たち》であつた。けれども、相互《さうご》に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱《げだつ》する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神《かみ》のある国では、人が嘘《うそ》を吐《つ》くものと極《き》めた。然し今の日本は、神《かみ》にも人《ひと》にも信仰のない国柄《くにがら》であるといふ事を発見した。さうして、彼《かれ》は之を一《いつ》に日本の経済事情に帰着せしめた。
四五日前、彼は掏摸《すり》と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人《ひとり》や二人《ふたり》ではなかつた。他の新聞の記《しる》す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥《おちい》るかも知れないさうである。代助は其記事を読んだとき、たゞ苦笑した丈であつた。さうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思つた。
代助が父に逢《あ》つて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がした。が、これはたゞ父《ちゝ》に信仰がない所から起る、代助に取つて不幸な暗示に過ぎなかつた。さうして代助は自分の心のうちに、かゝる忌はしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかつた。それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張り父《ちゝ》を尤もだと肯《うけが》ふ積りだつたからである。
代助は平岡に対しても同様の感じを抱いてゐた。然し平岡に取つては、それが当然な事であると許してゐた。たゞ平岡を好《す》く気になれない丈であつた。代助は兄を愛してゐた。けれども其兄に対しても矢張り信仰は有《も》ち得なかつた。嫂《あによめ》は実意のある女であつた。然し嫂《あによめ》は、直接生活の難関に当《あた》らない丈、それ丈|兄《あに》よりも近付き易《やす》いのだと考へてゐた。
代助は平生から、此位に世の中《なか》を打遣《うちや》つてゐた。だから、非常な神経質であるにも拘はらず、不安の念に襲はれる事は少なかつた。さうして、自分でもそれを自覚してゐた。夫《それ》が、何《ど》う云ふ具合か急に揺《うご》き出《だ》した。代助は之を生理上の変化から起るのだらうと察《さつ》した。そこである人が北海道から採《と》つて来《き》たと云つて呉れたリリー、オフ、ゼ、※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レーの束《たば》を解《と》いて、それを悉く水《みづ》の中《なか》に浸《ひた》して、其下《そのした》に寐《ね》たのである。
十の二
一時間《いちぢかん》の後《のち》、代助は大きな黒い眼《め》を開《あ》いた。其|眼《め》は、しばらくの間《あひだ》一つ所《ところ》に留《とゞ》まつて全く動《うご》かなかつた。手《て》も足《あし》も寐《ね》てゐた時の姿勢を少しも崩《くづ》さずに、丸で死人《しにん》のそれの様であつた。其時一匹の黒《くろ》い蟻《あり》が、ネルの襟《えり》を伝はつて、代助の咽喉《のど》に落《お》ちた。代助はすぐ右の手を動《うご》かして咽喉《のど》を抑《おさ》へた。さうして、額《ひたひ》に皺《しわ》を寄《よ》せて、指《ゆび》の股《また》に挟《はさ》んだ小《ちい》さな動物を、鼻《はな》の上《うへ》迄持つて来《き》て眺《なが》めた。其時蟻はもう死んでゐた。代助は人指指《ひとさしゆび》の先《さき》に着《つ》いた黒いものを、親指《おやゆび》の爪《つめ》で向《むかふ》へ弾《はぢ》いた。さうして起《お》き上《あ》がつた。
膝《ひざ》の周囲《まはり》に、まだ三|四匹《しひき》這つてゐたのを、薄《うす》い象牙の紙小刀《ペーパーナイフ》で打ち殺した。それから手を叩《たゝ》いて人《ひと》を呼《よ》んだ。
「御目|醒《ざめ》ですか」と云つて、門野《かどの》が出《で》て来《き》た。
「御茶でも入《い》れて来《き》ませうか」と聞《き》いた。代助は、はだかつた胸《むね》を掻《か》き合《あは》せながら、
「君《きみ》、僕《ぼく》の寐てゐるうちに、誰《だれ》か来《き》やしなかつたかね」と、静《しづ》かな調子で尋ねた。
「えゝ、御出《おいで》でした。平岡の奥さんが。よく御|存《ぞん》じですな」と門野《かどの》は平気に答へた。
「何故《なぜ》起《おこ》さなかつたんだ」
「余《あん》まり能《よ》く御休《おやすみ》でしたからな」
「だつて御客《おきやく》なら仕方《しかた》がないぢやないか」
代助の語勢は少し強くなつた。
「ですがな。平岡の奥さんの方《ほう》で、起《おこ》さない方が好《い》いつて、仰《おつ》しやつたもんですからな」
「それで、奥さんは帰つて仕舞つたのか」
「なに帰《かへ》つて仕舞つたと云ふ訳でもないんです。一寸《ちよつと》神楽坂《かぐらざか》に買物《かひもの》があるから、それを済《す》まして又|来《く》るからつて、云はれるもんですからな」
「ぢや又|来《く》るんだね」
「さうです。実《じつ》は御|目覚《めざめ》になる迄|待《ま》つてゐやうかつて、此座敷迄|上《あが》つて来《こ》られたんですが、先生の顔《かほ》を見て、あんまり善《よ》く寐《ね》てゐるもんだから、こいつは、容易に起《お》きさうもないと思つたんでせう」
「また出《で》て行《い》つたのかい」
「えゝ、まあ左《さ》うです」
代助は笑ひながら、両手で寐起《ねおき》の顔《かほ》を撫《な》でた。さうして風呂場へ顔《かほ》を洗ひに行《い》つた。頭《あたま》を濡《ぬ》らして、椽側《えんがは》迄|帰《かへ》つて来《き》て、庭《には》を眺《なが》めてゐると、前《まへ》よりは気分が大分《だいぶ》晴々《せい/\》した。曇《くも》つた空《そら》を燕《つばめ》が二|羽《は》飛んでゐる様《さま》が大いに愉快に見えた。
代助は此前《このまへ》平岡の訪問を受けてから、心待《こゝろまち》に、後《あと》から三千代の来《く》るのを待《ま》つてゐた。けれども、平岡《ひらをか》の言葉《ことば》は遂《つい》に事実として現《あらは》れて来《こ》なかつた。特別の事情があつて、三千代《みちよ》がわざと来《こ》ないのか、又は平岡が始《はじ》めから御世辞を使《つか》つたのか、疑問であるが、それがため、代助は心《こゝろ》の何処《どこ》かに空虚《くうきよ》を感じてゐた。然し彼《かれ》は此《この》空虚《くうきよ》な感じを、一つの経験として日常生活中に見出《みいだ》した迄で、其原因をどうするの、斯《か》うするのと云ふ気はあまりなかつた。此経験自身の奥《おく》を覗《のぞ》き込むと、それ以上に暗《くら》い影《かげ》がちらついてゐる様に思つたからである。
それで彼《かれ》は進《すゝ》んで平岡を訪問するのを避《さ》けてゐた。散歩のとき彼《かれ》の足《あし》は多く江戸川の方角に向《む》いた。桜《さくら》の散《ち》る時分には、夕暮《ゆふぐれ》の風《かぜ》に吹《ふ》かれて、四《よつ》つの橋《はし》を此方《こちら》から向《むかふ》へ渡《わた》り、向《むかふ》から又|此方《こちら》へ渡《わた》り返して、長い堤《どて》を縫《ぬ》ふ様に歩《ある》いた。が其|桜《さくら》はとくに散《ちつ》て仕舞つて、今《いま》は緑蔭の時節になつた。代助は時々《とき/″\》橋《はし》の真中《まんなか》に立《た》つて、欄干に頬杖を突いて、茂《しげ》る葉《は》の中《なか》を、真直《まつすぐ》に通《とほ》つてゐる、水《みづ》の光《ひかり》を眺《なが》め尽《つく》して見《み》る。それから其|光《ひかり》の細《ほそ》くなつた先《さき》の方《ほう》に、高く聳える目白台の森《もり》を見上《みあげ》て見《み》る。けれども橋を向《むかふ》へ渡《わた》つて、小石川の坂《さか》を上《のぼ》る事はやめにして帰《かへ》る様になつた。ある時《とき》彼《かれ》は大曲《おほまがり》の所で、電車を下《おり》る平岡の影《かげ》を半町程手前から認《みと》めた。彼《かれ》は慥《たしか》に左様《さう》に違《ちがひ》ないと思つた。さうして、すぐ揚場《あげば》の方へ引《ひ》き返した。
彼《かれ》は平岡の安否《あんぴ》を気《き》にかけてゐた。まだ坐食《ゐぐひ》の不安な境遇に居《お》るに違《ちがひ》ないとは思ふけれども、或は何《ど》の方面かへ、生活の行路《こうろ》を切り開く手掛りが出来《でき》たかも知れないとも想像して見た。けれども、それを確《たしか》める為《ため》に、平岡《ひらをか》の後《あと》を追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡に面《めん》するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。と云つて、たゞ三千代の為《ため》にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪《にく》んでもゐなかつた。平岡の為《ため》にも、矢張り平岡の成功を祈る心はあつたのである。
十の三
斯んな風《ふう》に、代助は空虚なるわが心《こゝろ》の一角《いつかく》を抱《いだ》いて今日《こんにち》に至つた。いま先方《さきがた》門《かど》野を呼《よ》んで括《くゝ》り枕《まくら》を取《と》り寄《よ》せて、午寐《ひるね》を貪《むさ》ぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつた頭《あたま》を、出来《でき》るならば、蒼《あを》い色《いろ》の付《つ》いた、深《ふか》い水《みづ》の中《なか》に沈《しづ》めたい位に思つた。それ程|彼《かれ》は命《いのち》を鋭《するど》く感じ過《す》ぎた。従つて熱《あつ》い頭《あたま》を枕へ着《つ》けた時は、平岡も三千代も、彼に取つて殆んど存在してゐなかつた。彼は幸にして涼《すゞ》しい心持に寐《ね》た。けれども其|穏《おだ》やかな眠《ねむり》のうちに、誰《だれ》かすうと来《き》て、又すうと出《で》て行《い》つた様な心持がした。眼《め》を醒《さ》まして起《お》き上《あ》がつても其感じがまだ残つてゐて、頭《あたま》から拭《ぬぐ》ひ去る事が出来なかつた。それで門野を呼んで、寐《ね》てゐる間《あひだ》に誰《だれ》か来《き》はしないかと聞《き》いたのである。
代助は両手を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、高《たか》い空《そら》を面白さうに切《き》つて廻《まは》る燕《つばめ》の運動を椽側から眺めてゐたが、やがて、それが眼《め》ま苦《ぐる》しくなつたので、室《へや》の中《なか》
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