は互に凡てを打ち明けて、互に力《ちから》に為《な》り合《あ》ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めに口《くち》にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤《つと》めてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立《しつたつ》の当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、直《ぢき》帰つて来給《きたま》へと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其|眼鏡《めがね》の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。家《うち》へ帰つて、一日《いちにち》部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。嫂《あによめ》を連れて音楽会へ行く筈《はづ》の所を断わつて、大いに嫂《あによめ》に気を揉ました位である。
平岡からは断えず音信《たより》があつた。安着の端書《はがき》、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙の来《く》るたびに、代助は何時《いつ》も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書《か》くときは、何時《いつ》でも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのが厭《いや》になつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来《く》る場合に限つて、安々《やす/\》と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
そのうち段々手紙の遣《や》り取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又|二《ふた》月、三《み》月に跨がる様に間《あひだ》を置《お》いて来《く》ると、今度は手紙を書《か》かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為《ため》に封筒の糊《のり》を湿《しめ》す事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭《あたま》も胸《むね》も段々組織が変つて来《く》る様に感ぜられて来《き》た。此変化に伴《ともな》つて、平岡へは手紙を書《か》いても書《か》かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。現《げん》に代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春《このはる》年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。
それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々《とき/″\》思ひ出《だ》す。さうして今頃は何《ど》うして暮《くら》してゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄|過《すご》して来《き》た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引き上《あ》げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分《なにぶん》宜しく頼《たの》むとあつた。此何分宜しく頼《たの》むの頼《たの》むは本当の意味の頼《たの》むか、又は単に辞令上の頼《たの》むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。
それで、逢《あ》ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話が外《そ》れて容易に其所《そこ》へ戻《もど》つて来《こ》ない。折を見て此方《こつち》から持ち掛けると、まあ緩《ゆ》つくり話すとか何とか云つて、中々《なか/\》埒《らち》を開《あ》けない。代助は仕方《しかた》なしに、仕舞に、
「久《ひさ》し振《ぶ》りだから、其所《そこ》いらで飯《めし》でも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、何《いづ》れ緩《ゆつ》くりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へ上《あが》つた。
二の三
両人《ふたり》は其所《そこ》で大分《だいぶ》飲《の》んだ。飲《の》む事《こと》と食《く》ふ事は昔《むかし》の通りだねと言《い》つたのが始《はじま》りで、硬《こわ》い舌《した》が段々《だんだん》弛《ゆる》んで来《き》た。代助は面白さうに、二三日|前《まへ》自分の観《み》に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭《おまつり》が夜《よ》の十二時を相図に、世の中の寐鎮《ねしづ》まる頃を見計《みはから》つて始《はじま》る。参詣《さんけい》人が長い廊下を廻《まは》つて本堂へ帰つて来《く》ると、何時《いつ》の間《ま》にか幾千本《いくせんぼん》の蝋燭が一度《いちど》に点《つ》いてゐる。法衣《ころも》を着《き》た坊主が行列して向ふを通るときに、黒《くろ》い影《かげ》が、無地《むぢ》の壁《かべ》へ非常に大きく映《うつ》る。――平岡は頬杖を突《つ》いて、眼鏡《めがね》の奥の二重瞼《ふたへまぶち》を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃|広《ひろ》い御成《おなり》街道を通《とほ》つて、深夜《しんや》の鉄軌《レール》が、暗《くら》い中《なか》を真直《まつすぐ》に渡《わた》つてゐる上《うへ》を、たつた一人《ひとり》上野《うへの》の森《もり》迄|来《き》て、さうして電燈に照らされた花《はな》の中《なか》に這入《はい》つた。
「人気《ひとけ》のない夜桜《よざくら》は好《い》いもんだよ」と云つた。平岡は黙《だま》つて盃《さかづき》を干《ほ》したが、一寸《ちよつと》気の毒さうに口元《くちもと》を動《うご》かして、
「好《い》いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似《まね》が出来《でき》る間《あひだ》はまだ気楽なんだよ。世の中《なか》へ出《で》ると、中々《なか/\》それ所《どころ》ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所《そこ》でこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」
平岡は酔つた眼《め》を心持大きくした。
「大分《だいぶ》考へが違《ちが》つて来《き》た様だね。――けれども其苦痛が後《あと》から薬《くすり》になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」
「そりや不見識な青年が、流俗の諺《ことわざ》に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」
「だつて、君だつて、もう大抵世の中《なか》へ出《で》なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」
「世の中《なか》へは昔《むかし》から出《で》てゐるさ。ことに君と分《わか》れてから、大変世の中が広《ひろ》くなつた様な気がする。たゞ君の出《で》てゐる世《よ》の中《なか》とは種類が違《ちが》ふ丈だ」
「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」
「無論食ふに困る様になれば、何時《いつ》でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗《な》めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
平岡の眉の間《あひだ》に、一寸《ちよつと》不快の色が閃《ひら》めいた。赤い眼《め》を据ゑてぷか/\烟草《たばこ》を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少《すこ》し調子を穏《おだ》やかにした。――
「僕の知つたものに、丸で音楽の解《わか》らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯《めし》が食《く》へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読《したよみ》をするのと、教場へ出《で》て器械的に口《くち》を動《うご》かしてゐるより外に全く暇《ひま》がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所《どこ》に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来《き》やうと聞《きゝ》に行く機会がない。つまり楽《がく》といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭《ぱん》に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭《ぱん》を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」
平岡は巻莨《まきたばこ》の灰を、皿《さら》の上《うへ》にはたきながら、沈《しづ》んだ暗《くら》い調子で、
「うん、何時《いつ》迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其|重《おも》い言葉の足《あし》が、富《とみ》に対する一種の呪咀を引《ひ》き摺《ず》つてゐる様に聴《きこ》えた。
二の四
両人《ふたり》は酔《よ》つて、戸外《おもて》へ出《で》た。酒《さけ》の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。
「少《すこ》し歩《ある》かないか」と代助が誘《さそ》つた。平岡も口《くち》程|忙《いそ》がしくはないと見えて、生返事《なまへんじ》をしながら、一所に歩《ほ》を運《はこ》んで来《き》た。通《とほり》を曲《まが》つて横町へ出《で》て、成る可《べ》く、話《はなし》の為好《しい》い閑《しづか》な場所を撰んで行くうちに、何時《いつ》か緒口《いとくち》が付《つ》いて、思ふあたりへ談柄《だんぺい》が落ちた。
平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭《あたま》の中《なか》に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時《いつ》も取り合はなかつた。六《む》※[#小書き濁点付き平仮名つ、25−10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌が悪《わる》い。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何も分《わか》つて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのが怖《こわ》いからの様に思はれた。其所《そこ》に平岡の癪はあつた。衝突しかけた事《こと》も一度《いちど》や二度《にど》ではない。
けれども、時日《じじつ》を経過するに従つて、肝癪が何時《いつ》となく薄らいできて、次第に自分の頭《あたま》が、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様に力《つと》めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つて来《き》た。時々《とき/″\》は向ふから相談をかける事さへある。すると学校を出《で》たての平岡でないから、先方《むかふ》に解《わか》らない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。
「無暗に御世辞を使つたり、胡麻を摺《す》るのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目《まじめ》な顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。
支店長は平岡の未来《みらい》の事に就て、色々《いろ/\》心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中《あた》つてゐるから、其時《そのとき》は一所に来《き》給へ抔《など》と冗談半分に約束迄した。其頃《そのころ》は事務《じむ》にも慣《な》れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇《ひま》が自然となくなつて、又勉強が却つて実務の妨《さまたげ》をする様に感ぜられて来《き》た。
支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関《せき》といふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。所《ところ》が此男がある芸妓と関係《かゝりあ》つて、何時《いつ》の間《ま》にか会計に穴を明《あ》けた。それが
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