曝露《ばくろ》したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放《ほう》つて置くと、支店長に迄多少の煩《わづらひ》が及んで来《き》さうだつたから、其所《そこ》で自分が責を引いて辞職を申し出《で》た。
平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上《うへ》になればなる程|旨《うま》い事が出来《でき》るものでね。実は関《せき》なんて、あれつ許《ばかり》の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。
「ぢや支店長は一番|旨《うま》い事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁《にご》して仕舞つた。
「それで其男の使ひ込んだ金《かね》は何《ど》うした」
「千《せん》に足《た》らない金《かね》だつたから、僕が出して置《お》いた」
「よく有《あ》つたね。君も大分|旨《うま》い事をしたと見える」
平岡《ひらをか》は苦《にが》い顔をして、ぢろりと代助を見た。
「旨《うま》い事《こと》をしたと仮定しても、皆《みんな》使つて仕舞つてゐる。生活《くらし》にさへ足りない位だ。其金は借《か》りたんだよ」
「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助は何《ど》んな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子には低《ひく》く明《あき》らかなうちに一種の丸味《まるみ》が出てゐる。
「支店長から借《か》りて埋《う》めて置いた」
「何故《なぜ》支店長がぢかに其|関《せき》とか何とか云ふ男に貸して遣《や》らないのかな」
平岡《ひらをか》は何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人《ふたり》は無言の儘しばらくの間《あひだ》並《なら》んで歩《ある》いて行つた。
二の五
代助は平岡《ひらをか》が語《かた》つたより外《ほか》に、まだ何《なに》かあるに違《ちがひ》ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有《も》つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil《ニル》 admirari《アドミラリ》 の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚《びつくり》する程の山出《やまだし》ではなかつた。彼《かれ》の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅《か》いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中《なか》で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時《いつ》でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心《うぶ》と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗《あら》ひ浚《ざら》ひ自分の弱点を打《う》ち明《あ》けては、徒《いたづ》らに馬糞《まぐそ》を投《な》げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想《あいそ》を尽《つ》かされるよりは黙《だま》つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯《か》う取《と》れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言《むごん》で歩《ある》いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視《こどもし》する程度に於て、あるひは其《そ》れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視《こどもし》し始《はじ》めたのである。けれども両人《ふたり》が十五六間|過《す》ぎて、又|話《はなし》を遣《や》り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更《さら》になかつた。最初に口《くち》を切つたのは代助であつた。
「それで、是《これ》から先《さき》何《ど》うする積《つもり》かね」
「さあ」
「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可《い》いかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実は緩《ゆつ》くり君に相談して見様と思つてゐたんだが。何《ど》うだらう、君《きみ》の兄《にい》さんの会社の方に口《くち》はあるまいか」
「うん、頼《たの》んで見様、二三日|内《うち》に家《うち》へ行く用があるから。然し何《ど》うかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」
「夫《それ》も好《い》いだらう」
両人《ふたり》は又電車の通る通《とほり》へ出《で》た。平岡は向ふから来《き》た電車の軒《のき》を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出《だ》した。代助はさうかと答へた儘、留《と》めもしない、と云つて直《すぐ》分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄|歩《ある》いて来《き》た。そこで、
「三千代《みちよ》さんは何《ど》うした」と聞《き》いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜《よろ》しく云つてゐた。実は今日《けふ》連《つ》れて来《き》やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺《ゆ》れたんで頭《あたま》が悪《わる》いといふから宿《やど》屋へ置いて来《き》た」
電車が二人《ふたり》の前で留《と》まつた。平岡は二三歩|早足《はやあし》に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼《かれ》の乗るべき車はまだ着《つ》かなかつたのである。
「子供は惜《お》しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好《よ》かつた」
「其|後《ご》は何《ど》うだい。まだ後《あと》は出来ないか」
「うん、未《ま》だにも何にも、もう駄目《だめ》だらう。身体《からだ》があんまり好《よ》くないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可《い》いかも知れない」
「夫《それ》もさうさ。一層《いつそ》君の様に一人身《ひとりみ》なら、猶の事、気楽で可《い》いかも知れない」
「一人身《ひとりみ》になるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、妻《さい》が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未《ま》だだらうかつて気にしてゐたぜ」
所へ電車が来《き》た。
三の一
代助《だいすけ》の父《ちゝ》は長井得《ながゐとく》といつて、御維新のとき、戦争に出《で》た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已《や》めてから、実業界に這入つて、何《なに》か彼《かに》かしてゐるうちに、自然と金が貯《たま》つて、此十四五年来は大分《だいぶん》の財産家になつた。
誠吾《せいご》と云ふ兄《あに》がある。学校を卒業してすぐ、父《ちゝ》の関係してゐる会社へ出《で》たので、今では其所《そこ》で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人《ふたり》の子供《こども》が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫《ぬひ》といつて三つ違である。
誠吾《せいご》の外に姉がまだ一人《ひとり》あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫《おつと》と共に西洋にゐる。誠吾《せいご》と此姉の間にもう一人《ひとり》、それから此姉と代助の間にも、まだ一人《ひとり》兄弟があつたけれども、それは二人《ふたり》とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。
代助の一家《いつけ》は是丈の人数《にんず》から出来上《できあが》つてゐる。そのうちで外《そと》へ出《で》てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃《ちかごろ》一戸を構へた代助ばかりだから、本家《ほんけ》には大小合せて四人《よつたり》残る訳になる。
代助は月に一度《いちど》は必ず本家《ほんけ》へ金《かね》を貰ひに行く。代助は親《おや》の金《かね》とも、兄《あに》の金ともつかぬものを使《つか》つて生きてゐる。月《つき》に一度の外《ほか》にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯《からか》つたり、書生と五目並《ごもくならべ》をしたり、嫂《あによめ》と芝居の評をしたりして帰つて来《く》る。
代助は此|嫂《あによめ》を好《す》いてゐる。此|嫂《あによめ》は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継《つ》ぎ合《あは》せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西《ふらんす》にゐる義妹《いもうと》に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物《おりもの》を取寄せて、それを四五人で裁《た》つて、帯に仕立てゝ着《き》て見たり何《なに》かする。後《あと》で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫《それ》から西洋の音楽が好《す》きで、よく代助に誘ひ出されて聞《きゝ》に行く。さうかと思ふと易断《うらなひ》に非常な興味を有《も》つてゐる。石龍子《せきりうし》と尾島某《おじまなにがし》を大いに崇拝する。代助も二三度御|相伴《しようばん》に、俥《くるま》で易者《えきしや》の許《もと》迄|食付《くつつ》いて行つた事がある。
誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々《とき/″\》球《たま》を投《な》げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年《まいとし》夏《なつ》の初めに、多くの焼芋《やきいも》屋が俄然として氷水《こほりみづ》屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓《アイスクリーム》を食《く》ふものは誠太郎である。氷菓《アイスクリーム》がないときには、氷水《こほりみづ》で我慢する。さうして得意になつて帰つて来《く》る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番|先《さき》へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父《おぢ》さん誰《だれ》か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
縫《ぬひ》といふ娘《むすめ》は、何か云ふと、好《よ》くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃は※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]イオリンの稽古に行く。帰つて来《く》ると、鋸《のこぎり》の目立《めた》ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣《や》らない。室《へや》を締《し》め切《き》つて、きい/\云はせるのだから、親《おや》は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々《とき/″\》そつと戸を明《あ》けるので、好《よ》くつてよ、知らないわと叱《しか》られる。
兄《あに》は大抵不在|勝《がち》である。ことに忙《いそ》がしい時になると、家《うち》で食《く》ふのは朝食《あさめし》位なもので、あとは、何《ど》うして暮《くら》してゐるのか、二人《ふたり》の子供には全く分《わか》らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分《わか》らない方が好《この》ましいので、必要のない限《かぎ》りは、兄《あに》の日々の戸外《こぐわい》生活に就て決して研究しないのである。
代助は二人《ふたり》の子供に大変人望がある。嫂《あによめ》にも可《か》なりある。兄《あに》には、あるんだか、ないんだか分《わか》らない。会《たま》に兄《あに》と弟《おとゝ》が顔を合せると、たゞ浮世《うきよ》話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣《や》つてゐる。陳腐に慣《な》れ抜《ぬ》いた様子である。
三の二
代助の尤《もつと》も応《こた》へるのは親爺《おやぢ》である。好《い》い年《とし》をして、若《わか》い妾《めかけ》を持《も》つてゐるが、それは構《かま》はない。代助から云《い》ふと寧ろ賛成な位なもので、彼《かれ》は妾《めかけ》を置く余裕のないものに限《かぎ》つて、蓄妾《ちくしよう》の攻撃をするんだと考へてゐる。親爺《おやぢ》は又|大分《だいぶ》の八釜《やかま》し屋《や》である。小供のうちは心魂《しんこん》に徹《てつ》して困却した事がある。しかし成人《せいじん》の今日《こんにち》では、それにも別段辟易する必要を認《みと》めない。たゞ応《こた》へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共|大《たい》した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処《
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