みちよ》を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔《くゆ》る様な薄弱な頭脳《づのう》ではなかつた。今日《こんにち》に至つて振り返つて見ても、自分の所作《しよさ》は、過去を照《て》らす鮮《あざや》かな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等|二人《ににん》の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に頭《あたま》を下《さ》げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故《なぜ》三千代を貰《もら》つたかと思ふ様になつた。代助は何処《どこ》かしらで、何故《なぜ》三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。
 代助は書斎に閉《と》ぢ籠《こも》つて一日《いちにち》考へに沈《しづ》んでゐた。晩食《ばんしよく》の時、門野が、
「先生|今日《けふ》は一日《いちにち》御勉強ですな。どうです、些《ち》と御散歩になりませんか。今夜《こんや》は寅毘沙《とらびしや》ですぜ。演芸館で支那人《ちやん》の留学生が芝居を演《や》つてます。どんな事を演《や》る積ですか、行《い》つて御覧なすつたら何《ど》うです。支那人《ちやん》てえ奴《やつ》は、臆面がないから、何《なん》でも遣《や》る気だから呑気なもんだ。……」と一人《ひとり》で喋舌《しやべ》つた。

       九の一

 代助は又《また》父《ちゝ》から呼《よ》ばれた。代助には其用事が大抵|分《わか》つてゐた。代助は不断《ふだん》から成るべく父《ちゝ》を避《さ》けて会《あ》はない様にしてゐた。此頃《このごろ》になつては猶更|奥《おく》へ寄《よ》り付《つ》かなかつた。逢《あ》ふと、叮嚀な言葉を使《つか》つて応対してゐるにも拘はらず、腹《はら》の中《なか》では、父《ちゝ》を侮辱《ぶじよく》してゐる様な気がしてならなかつたからである。
 代助は人類の一人《いちにん》として、互《たがひ》を腹《はら》の中《なか》で侮辱する事なしには、互《たがひ》に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯《つなみ》と心得てゐた。
 この二《ふた》つの因数《フアクトー》は、何処《どこ》かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較《なら》べる日の来《く》る迄は、此平衡は日本に於て得《え》られないものと代助は信じてゐた。さうして、斯《か》ゝる日《ひ》は、到底日本の上を照《て》らさないものと諦《あきら》めてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞ頭《あたま》の中《なか》に於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人《いちにん》として、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。
 代助の父《ちゝ》の場合は、一般に比《くら》べると、稍《やゝ》特殊的傾向を帯びる丈に複雑であつた。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。此教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据ゑて、事実の発展によつて証明せらるべき手近《てぢか》な真《まこと》を、眼中《がんちう》に置かない無理なものであつた。にも拘《かゝ》はらず、父《ちゝ》は習慣に囚へられて、未《いま》だに此教育に執着してゐる。さうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々此生活慾の為《ため》に腐蝕されつゝ今日に至つた。だから昔の自分と、今の自分の間には、大いな相違のあるべき筈である。それを父《ちゝ》は自認してゐなかつた。昔《むかし》の自分が、昔通《むかしどほ》りの心得で、今の事業を是迄に成し遂《と》げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲を狭《せば》める事なしに、現代の生活慾を時々刻々に充《み》たして行ける訳がないと代助は考へた。もし双方を其儘に存在させ様とすれば、之《これ》を敢てする個人は、矛盾の為《ため》に大苦痛を受《う》けなければならない。もし内心に此苦痛を受けながら、たゞ苦痛の自覚丈|明《あき》らかで、何の為《ため》の苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳の鈍《にぶ》い劣等な人種である。代助は父に対する毎《ごと》に、父《ちゝ》は自己を隠蔽《いんぺい》する偽君子《ぎくんし》か、もしくは分別の足らない愚物《ぐぶつ》か、何方《どつち》かでなくてはならない様な気がした。さうして、左《さ》う云ふ気がするのが厭《いや》でならなかつた。
 と云つて、父《ちゝ》は代助の手際で、何《ど》うする事も出来ない男であつた。代助には明《あき》らかに、それが分《わか》つてゐた。だから代助は未《いま》だ曾《かつ》て父《ちゝ》を矛盾の極端迄追ひ詰《つ》めた事がなかつた。
 代助は凡ての道徳の出立点《しつたつてん》は社会的事実より外にないと信じてゐた。始めから頭《あたま》の中に硬張《こわば》つた道徳を据ゑ付けて、其道徳から逆に社会的事実を発展させ様とする程、本末を誤つた話はないと信じてゐた。従つて日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考へた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授してゐる。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましてゐる。此劇烈なる生活慾に襲はれた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過《す》ぎない。此迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時《とき》、昔《むかし》の講釈を思ひ出して笑つて仕舞ふ。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至つては、学校のみならず、現に自分の父《ちゝ》から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭《あたま》の中《なか》に起した。代助はそれを恨《うら》めしく思つてゐる位であつた。
 代助は此前《このまへ》梅子に礼を云ひに行つた時、梅子から一寸《ちよつと》奥《おく》へ行つて、挨拶をしてゐらつしやいと注意された。代助は笑ひながら御|父《とう》さんはゐるんですかと空《そら》とぼけた。ゐらつしやるわと云ふ確答を得た時でも、今日《けふ》はちと急《いそ》ぐから廃《よ》さうと帰つて来《き》た。

       九の二

 今日《けふ》はわざ/\其為《そのため》に来《き》たのだから、否《いや》でも応でも父《ちゝ》に逢はなければならない。相変らず、内《ない》玄関の方から廻つて座敷へ来《く》ると、珍《めづ》らしく兄《あに》の誠吾が胡坐《あぐら》をかいて、酒《さけ》を呑んでゐた。梅子も傍《そば》に坐《すは》つてゐた。兄《あに》は代助を見て、
「何《ど》うだ、一盃|遣《や》らないか」と、前にあつた葡萄酒の壜《びん》を持つて振《ふ》つて見せた。中《なか》にはまだ余程這入つてゐた。梅子は手を敲《たゝ》いて洋盞《コツプ》を取り寄せた。
「当《あ》てゝ御|覧《らん》なさい。どの位|古《ふる》いんだか」と一杯|注《つ》いだ。
「代助に分《わか》るものか」と云つて、誠吾は弟の唇《くちびる》のあたりを眺《なが》めてゐた。代助は一口《ひとくち》飲《の》んで盃《さかづき》を下《した》へ下《おろ》した。肴《さかな》の代りに薄いウエーファーが菓子|皿《ざら》にあつた。
「旨《うま》いですね」と云つた。
「だから時代を当《あ》てゝ御覧なさいよ」
「時代《じだい》があるんですか。偉《えら》いものを買ひ込んだもんだね。帰《かへ》りに一本《いつぽん》貰《もら》つて行《い》かう」
「御生憎様、もう是限《これぎり》なの。到来物《とうらいもの》よ」と云つて梅子は椽側へ出《で》て、膝《ひざ》の上《うへ》に落《お》ちたウエーフアーの粉《こ》を払《はた》いた。
「兄《にい》さん、今日《けふ》は何《ど》うしたんです。大変気楽さうですね」と代助が聞《き》いた。

「今日《けふ》は休養だ。此間中《このあひだぢう》は何《ど》うも忙《いそが》し過《すぎ》て降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻《はまき》を口《くち》に啣えた。代助は自分の傍《そば》にあつた燐寸《まつち》を擦《す》つて遣《や》つた。
「代《だい》さん貴方《あなた》こそ気楽ぢやありませんか」と云ひながら梅子が椽側から帰《かへ》つて来《き》た。
「姉《ねえ》さん歌舞伎座へ行《い》きましたか。まだなら、行《い》つて御覧なさい。面白いから」
「貴方《あなた》もう行《い》つたの、驚ろいた。貴方《あなた》も余《よ》っ程|怠《なま》けものね」
「怠《なま》けものは可《よ》くない。勉強の方向が違ふんだから」
「押《おし》の強い事ばかり云つて。人《ひと》の気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾は赤《あか》い瞼《まぶた》をして、ぽかんと葉巻《はまき》の烟《けむ》を吹《ふ》いてゐた。
「ねえ、貴方《あなた》」と梅子が催促した。誠吾はうるささうに葉巻《はまき》を指《ゆび》の股《また》へ移して、
「今のうち沢山《たんと》勉強して貰《もら》つて置いて、今《いま》に此方《こつち》が貧乏したら、救《すく》つて貰《もら》ふ方が好《い》いぢやないか」と云つた。梅子は、
「代さん、あなた役者になれて」と聞いた。代助は何にも云はずに、洋盞《コツプ》を姉の前に出《だ》した。梅子も黙《だま》つて葡萄酒の壜を取り上《あ》げた。
「兄《にい》さん、此間中《このあひだぢう》は何だか大変|忙《いそが》しかつたんだつてね」と代助は前へ戻つて聞いた。
「いや、もう大弱りだ」と云ひながら、誠吾は寐転《ねころ》んで仕舞つた。
「何《なに》か日糖事件に関係でもあつたんですか」と代助が聞いた。
「日糖事件に関係はないが、忙《いそが》しかつた」
 兄《あに》の答は何時《いつ》でも此程度以上に明瞭になつた事がない。実は明瞭に話したくないんだらうけれども、代助の耳には、夫が本来の無頓着で、話すのが臆怯なためと聞える。だから代助はいつでも楽《らく》に其返事の中《なか》に這入《はいつ》てゐた。
「日糖も詰《つま》らない事《こと》になつたが、あゝなる前に何《ど》うか方法はないもんでせうかね」
「左《さ》うさなあ。実際|世《よ》の中《なか》の事は、何《なに》が何《ど》うなるんだか分《わか》らないからな。――梅《うめ》、今日《けふ》は直木《なほき》に云ひ付《つ》けて、ヘクターを少し運動させなくつちや不可《いけな》いよ。あゝ大食《おほぐひ》をして寐て許《ばかり》ゐちや毒だ」と誠吾は眠《ねむ》さうな瞼《まぶた》を指《ゆび》でしきりに擦《こす》つた。代助は、
「愈《いよ/\》奥《おく》へ行《い》つて御父《おとう》さんに叱《しか》られて来《く》るかな」と云ひながら又|洋盞《コツプ》を嫂《あによめ》の前へ出《だ》した。梅子は笑《わら》つて酒《さけ》を注《つ》いだ。
「嫁《よめ》の事か」と誠吾が聞《き》いた。
「まあ、左《さ》うだらうと思ふんです」
「貰《もら》つて置《お》くがいゝ。さう老人《としより》に心配さしたつて仕様があるものか」と云つたが、今度はもつと判然《はつきり》した語勢で、
「気を付《つ》けないと不可《いかん》よ。少し低気圧が来《き》てゐるから」と注意した。代助は立《た》ち掛けながら、
「まさか此間中《このあひだぢう》の奔走からきた低気圧ぢやありますまいね」と念を押した。兄《あに》は寐転んだ儘、
「何《なん》とも云へないよ。斯う見えて、我々も日糖の重役と同じ様に、何時《いつ》拘引されるか分《わか》らない身体《からだ》なんだから」と云つた。
「馬鹿な事を仰《おつ》しやるなよ」と梅子が窘《たしな》めた。
「矢っ張り僕《ぼく》ののらくらが持ち来《き》たした低気圧なんだらう」と代助は笑ひながら立つた。

       九の三

 廊下|伝《づた》ひに中庭《なかには》を越《こ》して、奥《おく》へ来《き》て見ると、父《ちゝ》は唐机《とうづくえ》の前《まへ》へ坐《すは》つて、唐本《とうほん》を見
前へ 次へ
全49ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング