るだらうと云ふ評判であつた。大変露西亜ものが好《すき》で、ことに人が名前を知らない作家が好《すき》で、なけなしの銭《ぜに》を工面しては新刊|物《もの》を買ふのが道楽であつた。あまり気焔が高かつた時、代助が、文学者も恐露病に罹つてるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評《ひやかし》返した事がある。すると寺尾は真面目《まじめ》な顔《かほ》をして、戦争は何時《いつ》でもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちや詰《つま》らんぢやないか。矢っ張り恐露病に罹つてる方が、卑怯でも安全だ、と答へて矢っ張り露西亜文学を鼓吹してゐた。
玄関から座敷へ通つて見ると、寺尾は真中《まんなか》へ一貫|張《ばり》の机を据ゑて、頭痛がすると云つて鉢巻《はちまき》をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書《か》いてゐた。邪魔ならまた来《く》ると云ふと、帰らんでもいゝ、もう今朝《けさ》から五五《ごご》、二円五十銭丈|稼《かせ》いだからと云ふ挨拶であつた。やがて鉢巻《はちまき》を外《はづ》して、話《はなし》を始《はじ》めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いてゐた。然し腹の中では、寺尾の事を誰《だれ》も賞《ほ》めないので、其対抗運動として、自分の方では他《ひと》を貶《けな》すんだらうと思つた。ちと、左様《さう》云ふ意見を発表したら好《い》いぢやないかと勧めると、左様《さう》は行《い》かないよと笑つてゐる。何故《なぜ》と聞き返しても答へない。しばらくして、そりや君の様に気楽に暮《くら》せる身分なら随分云つて見せるが――何《なに》しろ食《く》ふんだからね。どうせ真面目《まじめ》な商買ぢやないさ。と云つた。代助は、夫《それ》で結構だ、確《しつ》かり遣《や》り玉へと奨励した。すると寺尾は、いや些《ちつ》とも結構ぢやない。どうかして、真面目《まじめ》になりたいと思つてゐる。どうだ、君ちつと金《かね》を借《か》して僕を真面目《まじめ》にする了見はないかと聞《き》いた。いや、君が今の様な事をして、夫《それ》で真面目《まじめ》だと思ふ様になつたら、其時借してやらうと調戯《からか》つて、代助は表へ出《で》た。
本郷の通り迄|来《き》たが惓怠《アンニユイ》の感は依然として故《もと》の通りである。何処《どこ》をどう歩《ある》いても物足りない。と云つて、人《ひと》の宅《うち》を訪《たづ》ねる気はもう出《で》ない。自分を検査して見ると、身体《からだ》全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗《の》つて、今度は伝通院前迄|来《き》た。車中で揺《ゆ》られるたびに、五尺何寸かある大きな胃|嚢《ぶくろ》の中《なか》で、腐《くさ》つたものが、波《なみ》を打つ感じがあつた。三時過ぎにぼんやり宅《うち》へ帰《かへ》つた。玄関で門野が、
「先刻《さつき》御|宅《たく》から御使《おつかい》でした。手紙は書斎の机の上《うへ》に載せて置きました。受取は一寸《ちよつと》私《わたくし》が書《か》いて渡《わた》して置《お》きました」と云つた。
八の三
手紙《てがみ》は古風《こふう》な状箱《じようばこ》の中《うち》にあつた。其《その》赤塗《あかぬり》の表《おもて》には名宛《なあて》も何《なに》も書《か》かないで、真鍮《しんちう》の環《くわん》に通《とほ》した観世撚《かんじんより》の封《ふう》じ目《め》に黒《くろ》い墨《すみ》を着けてあつた。代助は机《つくえ》の上《うへ》を一目《ひとめ》見て、此手紙の主《ぬし》は嫂《あによめ》だとすぐ悟《さと》つた。嫂《あによめ》は斯《か》う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々《とき/″\》思《おも》はぬ方角へ出《で》てくる。代助は鋏《はさみ》の先《さき》で観世撚《かんじんより》の結目《むすびめ》を突《つ》つつきながら、面倒な手数《てかず》だと思つた。
けれども中《なか》にあつた手紙《てがみ》は、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用を済《すま》してゐた。此間《このあひだ》わざ/\来《き》て呉《く》れた時は、御依頼《おたのみ》通り取り計《はから》ひかねて、御気の毒をした。後《あと》から考へて見ると、其時《そのとき》色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうか悪《わる》く取《と》つて下《くだ》さるな。其代り御金《おかね》を上《あ》げる。尤《もつと》もみんなと云ふ訳《わけ》には行かない。二百円丈都合して上《あ》げる。から夫《それ》をすぐ御友達《おともだち》の所へ届けて御上《おあ》げなさい。是は兄《にい》さんには内所《ないしよ》だから其積《そのつもり》でゐなくつては不可《いけ》ない。奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい。
手紙《てがみ》の中《なか》に巻《ま》き込めて、二百円の小切手が這入《はい》つてゐた。代助は、しばらく、それを眺《なが》めてゐるうちに、梅子《うめこ》に済《す》まない様な気がして来《き》た。此|間《あひだ》の晩《ばん》、帰《かへ》りがけに、向《むかふ》から、ぢや御金《おかね》は要《い》らないのと聞《き》いた。貸《か》して呉れと切り込《こ》んで頼《たの》んだ時は、あゝ手痛《てきびし》く跳ね付けて置《お》きながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念《けねん》がつて駄目《だめ》を押《お》して出《で》た。代助はそこに女性《によしやう》の美くしさと弱《よは》さとを見た。さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此|美《うつく》しい弱点を弄《もてあそ》ぶに堪《た》えなかつたからである。えゝ要《い》りません、何《ど》うかなるでせうと云つて分《わか》れた。それを梅子は冷《ひやゝ》かな挨拶と思つたに違《ちがひ》ない。其|冷《ひやゝ》かな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作《どうさ》の裏《うら》に、何処《どこ》にか引つ掛《かゝ》つてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した。
代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈|暖《あたゝ》かい言葉を使つて感謝の意を表した。代助が斯《か》う云ふ気分になる事は兄《あに》に対してもない。父《ちゝ》に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起《おこ》らなかつたのである。
代助はすぐ三千代の所へ出掛け様かと考へた。実《じつ》を云ふと、二百円は代助に取つて中途半端《ちうとはんぱ》な額《たか》であつた。是丈《これだけ》呉れるなら、一層《いつそ》思ひ切つて、此方《こつち》の強請《ねだ》つた通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出《で》た。が、それは代助の頭《あたま》が梅子を離れて三千代の方へ向《む》いた時の事であつた。その上《うへ》、女は如何《いか》に思ひ切つた女でも、感情上|中途半端《ちうとはんぱ》なものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた。否《いな》女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、快《こゝろ》よいものと考へてゐた。だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、父《ちゝ》であつたとすれば、代助は、それを経済的|中途半端《ちうとはんぱ》と解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである
代助は晩食《ばんめし》も食《く》はずに、すぐ又|表《おもて》へ出た。五軒町から江戸川の縁《へり》を伝《つた》つて、河《かは》を向《むかふ》へ越した時は、先刻《さつき》散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂を上《のぼ》つて伝通院の横へ出《で》ると、細く高い烟突が、寺《てら》と寺《てら》の間《あひだ》から、汚《きた》ない烟《けむ》を、雲《くも》の多い空《そら》に吐《は》いてゐた。代助はそれを見《み》て、貧弱な工業が、生存の為《ため》に無理に吐《つ》く呼吸《いき》を見苦《みぐる》しいものと思つた。さうして其|近《ちか》くに住《す》む平岡と、此烟突とを暗々《あん/\》の裏《うち》に連想せずにはゐられなかつた。斯《か》う云ふ場合には、同情の念より美醜の念が先《さき》に立つのが、代助の常《つね》であつた。代助は此瞬間に、三千代の事を殆んど忘れて仕舞つた位、空《そら》に散《ち》る憐れな石炭の烟《けむり》に刺激された。
平岡《ひらをか》の玄関の沓脱《くつぬぎ》には女の穿《は》く重《かさ》ね草履が脱《ぬ》ぎ棄てゝあつた。格子を開《あ》けると、奥の方から三千代が裾《すそ》を鳴《な》らして出《で》て来《き》た。其時|上《あが》り口《ぐち》の二畳《にじやう》は殆《ほと》んど暗《くら》かつた。三千代《みちよ》は其|暗《くら》い中《なか》に坐《すは》つて挨拶をした。始めは誰《だれ》が来《き》たのか、よく分《わか》らなかつたらしかつたが、代助の声《こえ》を聞《き》くや否や、何方《どなた》かと思つたら……と寧ろ低い声で云つた。代助は判然《はつきり》見えない三千代の姿を、常よりは美《うつく》しく眺めた。
八の四
平岡《ひらをか》は不在《ふざい》であつた。それを聞《き》いた時、代助は話《はな》してゐ易《やす》い様な、又|話《はな》してゐ悪《にく》い様な変な気がした。けれども三千代の方は常《つね》の通り落ち付《つ》いてゐた。洋燈《ランプ》も点《つ》けないで、暗《くら》い室《へや》を閉《た》て切つた儘|二人《ふたり》で坐《すは》つてゐた。三千代は下女も留守だと云つた。自分も先刻《さつき》其所《そこ》迄用|達《たし》に出《で》て、今帰つて夕食《ゆふめし》を済ました許りだと云つた。やがて平岡の話が出《で》た。
予期した通り、平岡は相変らず奔走してゐる。が、此一週間程は、あんまり外《そと》へ出《で》なくなつた。疲《つか》れたと云つて、よく宅《うち》に寐《ね》てゐる。でなければ酒《さけ》を飲《の》む。人《ひと》が尋《たづ》ねて来《く》れば猶|飲《の》む。さうして善《よ》く怒《おこ》る。さかんに人《ひと》を罵倒する。のださうである。
「昔《むかし》と違《ちが》つて気が荒《あら》くなつて困《こま》るわ」と云つて、三千代《みちよ》は暗に同情を求める様子であつた。代助は黙《だま》つてゐた。下女が帰《かへ》つて来《き》て、勝手|口《ぐち》でがた/\音《おと》をさせた。しばらくすると、胡摩竹《ごまだけ》の台《だい》の着《つ》いた洋燈《ランプ》を持つて出《で》た。襖《ふすま》を締《し》める時《とき》、代助の顔《かほ》を偸《ぬす》む様に見て行つた。
代助は懐《ふところ》から例の小|切手《ぎつて》を出《だ》した。二つに折《を》れたのを其儘三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛《か》けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてゞあつた。
「先達《せんだつ》て御頼《おたのみ》の金《かね》ですがね」
三千代は何にも答へなかつた。たゞ眼《め》を挙《あ》げて代助を見た。
「実《じつ》は、直《すぐ》にもと思つたんだけれども、此方《こつち》の都合が付《つ》かなかつたものだから、遂《つい》遅《おそ》くなつたんだが、何《ど》うですか、もう始末は付《つ》きましたか」と聞いた。
其時三千代は急に心細さうな低《ひく》い声になつた。さうして怨《えん》ずる様に、
「未《まだ》ですわ。だつて、片付《かたづ》く訳が無《な》いぢやありませんか」と云つた儘、眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて凝《じつ》と代助を見てゐた。代助は折《を》れた小切手を取り上《あ》げて二つに開《ひら》いた。
「是丈ぢや駄目《だめ》ですか」
三千代は手を伸《の》ばして小切手を受取《うけと》つた。
「難有う。平岡が喜びますわ」と静《しづ》かに小切手を畳《たゝみ》の上《うへ》に置《お》いた。
代助は金《かね》を借りて来《き》た由来を、極ざつと説明して、自分は斯《か》ういふ呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があつて、自分以外の事に、手を出《だ》さうとすると、丸で無能力になるんだから、そこは悪《わる》く思つて呉れない様
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