は気遣《きづか》つた。けれども夫《それ》が為《た》めに、大いに働《はた》らいて、自から金を取らねばならぬといふ決心は決して起し得なかつた。代助は此事件を夫程重くは見てゐなかつたのである。
七の六
梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。所が代助には梅子の腹《はら》がよく解《わか》つてゐた。解《わか》れば解《わか》る程激する気にならなかつた。そのうち話題は金《かね》を離れて、再び結婚に戻《もど》つて来《き》た。代助は最近の候補者に就て、此間《このあひだ》から親爺《おやぢ》に二度程|悩《なや》まされてゐる。親爺《おやぢ》の論理は何時《いつ》聞《き》いても昔し風に甚だ義理|堅《かた》いものであつたが、其代り今度は左程権柄づくでもなかつた。自分の命《いのち》の親《おや》に当《あた》る人《ひと》の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰《もら》つて呉れと云ふんである。さうすれば幾分か恩が返《かへ》せると云ふんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋の立《た》たない主張であつた。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた事丈は慥かである。だから父《ちゝ》の云ふ事の当否は論弁の限《かぎり》にあらずとして、貰《もら》へば貰《もら》つても構《かま》はないのである。代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚《けつこん》に対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない。佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許であるが、夫丈でも沢山な様な気がする。――尤も写真は大分美くしかつた。――従つて、貰ふとなれば、左様《さう》面倒な条件を持ち出す考も何もない。たゞ、貰ひませうと云ふ確答が出《で》なかつた丈である。
その不明晰な態度を、父《ちゝ》に評させると、丸で要領を得てゐない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間《あひだ》に横《よこた》はる一大要件と見傚して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考の嫂《あによめ》から云はせると、不可思議になる。
「だつて、貴方《あなた》だつて、生涯|一人《ひとり》でゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、好《い》い加減な所で極《き》めて仕舞つたら何《ど》うです」と梅子は少《すこ》し焦《ぢ》れつたさうに云つた。
生涯|一人《ひとり》でゐるか、或は妾《めかけ》を置いて暮《くら》すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只《たゞ》、今《いま》の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持《も》てなかつた事は慥《たしか》である。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼の頭《あたま》が普通以上に鋭《する》どくつて、しかも其|鋭《するど》さが、日本現代の社会状況のために、幻像《イリユージヨン》打破の方面に向《むか》つて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所《そこ》迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明《あきら》かな事実を握《にぎ》つて、それに応じて未来を自然に延《の》ばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時《いつ》か之を成立させ様と喘《あせ》る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。
代助は固より斯《こ》んな哲理《フヒロソフヒー》を嫂《あによめ》に向つて講釈する気はない。が、段々押し詰《つめ》られると、苦し紛《まぎ》れに、
「だが、姉《ねえ》さん、僕は何《ど》うしても嫁《よめ》を貰《もら》はなければならないのかね」と聞《き》く事がある。代助は無論|真面目《まじめ》に聞《き》く積《つもり》だけれども、嫂《あによめ》の方では呆《あき》れて仕舞ふ。さうして、自分を茶にするのだと取る。梅子は其晩代助に向つて、平生《いつも》の手続《てつゞき》を繰《く》り返《かへ》した後《あと》で、斯《こ》んな事を云つた。
「妙なのね、そんなに厭《いや》がるのは。――厭《いや》なんぢやないつて、口《くち》では仰《おつ》しやるけれども、貰《もら》はなければ、厭《いや》なのと同《おん》なしぢやありませんか。それぢや誰《だれ》か好《す》きなのがあるんでせう。其方《そのかた》の名を仰《おつし》やい」
代助は今迄|嫁《よめ》の候補者としては、たゞの一人も好《す》いた女《をんな》を頭《あたま》の中《なか》に指名してゐた覚がなかつた。が、今《いま》斯《か》う云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。つゞいて、だから先刻《さつき》云つた金《かね》を貸して下《くだ》さい、といふ文句が自《おのづ》から頭《あたま》の中《なか》で出来上《できあが》つた。――けれども代助はたゞ苦笑して嫂《あによめ》の前に坐《すは》つてゐた。
八の一
代助が嫂《あによめ》に失敗して帰つた夜《よ》は、大分《だいぶ》更《ふ》けてゐた。彼は辛《から》うじて青山の通りで、最後《さいご》の電車を捕《つら》まえた位である。それにも拘はらず彼《かれ》の話してゐる間《あひだ》には、父《ちゝ》も兄《あに》も帰つて来《こ》なかつた。尤も其間《そのあひだ》に梅子は電話|口《ぐち》へ二返呼ばれた。然し、嫂《あによめ》の様子に別段変つた所《ところ》もないので、代助は此方《こつち》から進んで何にも聞かなかつた。
其夜《そのよ》は雨催《あめもよひ》の空《そら》が、地面《ぢめん》と同《おな》じ様な色《いろ》に見えた。停留所の赤い柱の傍《そば》に、たつた一人《ひとり》立《た》つて電車を待ち合はしてゐると、遠《とほ》い向《むか》ふから小さい火の玉《たま》があらはれて、それが一直線に暗い中《なか》を上下《うへした》に揺《ゆ》れつつ代助の方に近《ちかづ》いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗《の》り込んで見ると、誰《だれ》も居なかつた。黒《くろ》い着物《きもの》を着《き》た車掌と運転手の間《あひだ》に挟《はさ》まれて、一種の音《おと》に埋《うづ》まつて動《うご》いて行くと、動《うご》いてゐる車《くるま》の外《そと》は真暗《まつくら》である。代助は一人《ひとり》明《あか》るい中《なか》に腰を掛《か》けて、どこ迄も電車に乗つて、終《つい》に下《お》りる機会が来《こ》ない迄引つ張り廻《まは》される様な気がした。
神楽坂《かぐらざか》へかゝると、寂《ひつそ》りとした路《みち》が左右の二階家《にかいや》に挟《はさ》まれて、細長《ほそなが》く前《まへ》を塞《ふさ》いでゐた。中途迄|上《のぼ》つて来《き》たら、それが急に鳴り出《だ》した。代助は風《かぜ》が家《や》の棟《むね》に当る事と思つて、立ち留《ど》まつて暗《くら》い軒《のき》を見上げながら、屋根から空《そら》をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。戸《と》と障子と硝子《がらす》の打《う》ち合《あ》ふ音《おと》が、見る/\烈《はげ》しくなつて、あゝ地震だと気が付《つ》いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦《すく》んでゐた。其時代助は左右の二階|家《や》が坂《さか》を埋《うづ》むべく、双方から倒れて来《く》る様に感じた。すると、突然|右側《みぎかは》の潜《くゞ》り戸《ど》をがらりと開《あ》けて、小供を抱《だ》いた一人《ひとり》の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出《で》て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。
家《うち》へ着《つ》いたら、婆さんも門野《かどの》も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人《ふたり》とも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置し様《やう》かと思案して見た。然し分別を凝《こ》らす迄には至らなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡を極《き》めた。さうして眠《ねむり》に入つた。
其明日《そのあくるひ》の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金《かね》を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数《かず》が大分多くなつて来《き》て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立《た》てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出《だ》したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下《くだ》したのだとあつた。
日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後《あと》の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。
代助は自分の父《ちゝ》と兄《あに》の関係してゐる会社に就ては何事《なにごと》も知らなかつた。けれども、いつ何《ど》んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父《ちゝ》も兄《あに》もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜|敷《し》い吟味をされたなら、両方共拘引に価《あたひ》する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父《ちゝ》と兄《あに》の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰《だれ》が見ても尤《もつとも》と認める様に、作《つく》り上《あ》げられたとは肯《うけが》はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ貰《もら》つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父《ちゝ》と兄《あに》の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室《むろ》を造つて、拵《こしら》え上《あ》げたんだらうと代助は鑑定してゐた。
八の二
代助は斯《か》う云ふ考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の会社に就ても心配をする程正直ではなかつた。たゞ三千代の事丈が多少気に掛つた。けれども、徒手《てぶら》で行くのが面白くないんで、其うちの事と腹《はら》の中《なか》で料簡を定《さだ》めて、日々《にち/\》読書に耽つて四五日|過《すご》した。不思議な事に其後《そのご》例の金《かね》の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云つて来《こ》なかつた。代助は心《こゝろ》のうちに、あるひは三千代が又|一人《ひとり》で返事を聞《き》きに来《く》る事もあるだらうと、実《じつ》は心待《こゝろまち》に待つてゐたのだが、其甲斐はなかつた。
仕舞にアンニユイを感じ出《だ》した。何処《どこ》か遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜《さが》して、芝居でも見やうと云ふ気を起した。神楽坂から外濠《そとぼり》線へ乗つて、御茶の水《みづ》迄|来《く》るうちに気が変《かは》つて、森川丁にゐる寺尾といふ同窓の友達を尋ねる事にした。此男は学校を出ると、教師は厭《いや》だから文学を職業とすると云ひ出して、他《ほか》のものゝ留めるにも拘らず、危険な商買をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声も上《あが》らず、窮々《きう/\》云つて原稿生活を持続してゐる。自分の関係のある雑誌に、何《なん》でも好《い》いから書けと逼《せま》るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一ヶ月の間雑誌屋の店頭に曝《さら》されたぎり、永久人間世界から何処《どこ》かへ、運命の為めに持つて行かれて仕舞つた。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙つた。寺尾は逢ふたんびに、もつと書け書けと勧める。さうして、己《おれ》を見ろと云ふのが口癖《くちくせ》であつた。けれども外《ほか》の人《ひと》に聞《き》くと、寺尾ももう陥落《かんらく》す
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