へ来《き》たが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人《ふたり》の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸《ちょつと》顔《かほ》を出《だ》した。夫婦は膳《ぜん》を並《なら》べて飯《めし》を食《く》つてゐた。下女《げじよ》が盆《ぼん》を持《も》つて、敷居に尻《しり》を向けてゐる。其|後《うしろ》から、声を懸けた。
平岡は驚ろいた様に代助を見た。其眼《そのめ》が血ばしつてゐる。二三日|能《よ》く眠《ねむ》らない所為《せゐ》だと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひ方《かた》だと云つて笑つた。代助は気の毒にも思つたが、又安心もした。留《と》めるのを外《そと》へ出《で》て、飯《めし》を食つて、髪《かみ》を刈つて、九段の上《うへ》へ一寸《ちょつと》寄つて、又帰りに新|宅《たく》へ行つて見た。三千代は手拭を姉《ねえ》さん被《かぶ》りにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、襷《たすき》がけで荷物の世話を焼《や》いてゐた。旅宿で世話をして呉れたと云ふ下女も来《き》てゐる。平岡は縁側で行李の紐《ひも》を解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝《てつだ》はないかと云つた。門野《かどの》は
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