うして今でも善《よ》く覚えてゐる。三千代《みちよ》の顔を頭《あたま》の中《なか》に浮《うか》べやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来|上《あが》らないうちに、此|黒《くろ》い、湿《うる》んだ様に暈《ぼか》された眼《め》が、ぽつと出《で》て来《く》る。
 廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代《みちよ》は今代助の前に腰《こし》を掛けた。さうして奇麗な手を膝《ひざ》の上《うへ》に畳《かさ》ねた。下《した》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》のは細い金《きん》の枠《わく》に比較的大きな真珠《しんじゆ》を盛《も》つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。
 三千代《みちよ》は顔《かほ》を上《あ》げた。代助は、突然《とつぜん》例の眼《め》を認《みと》めて、思はず瞬《またゝき》を一つした。
 汽車で着いた明日《あくるひ》平岡と一所に来《く》る筈であつたけれども、つい気分が悪《わる》いので、来損《きそく》なつて仕舞つて、それからは一人《ひとり》でなくつては来《く》る機会がないので、つい出《で》ずにゐたが、今
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