してゐた。
母《はゝ》の客に行つてゐた所は、その遠縁《とほえん》にあたる高木《たかぎ》といふ勢力家であつたので、大変都合が好《よ》かつた。と云ふのは、其頃は世の中《なか》の動《うご》き掛けた当時で、侍《さむらひ》の掟《おきて》も昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井の家《いへ》へ来《き》て、何分の沙汰が公向《おもてむき》からある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父を諭《さと》した。
高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某《なにがし》の親《おや》は又、存外訳の解《わか》つた人で、平生から倅《せがれ》の行跡《ぎやうせき》の良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方《こつち》から狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間《ひとま》の内《うち》に閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人《ふたり》とも人《ひと》知れず家《いへ》を捨《す》てた
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