して、たつた一人《ひとり》、御|城《しろ》の北《きた》一里にある剣《つるぎ》が峰《みね》の天頂《てつぺん》迄|登《のぼ》つて、其所《そこ》の辻堂で夜明《よあかし》をして、日の出《で》を拝《おが》んで帰《かへ》つてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得|方《かた》からして違ふと親爺が批評した。
 斯んな事を真面目《まじめ》に口《くち》にした、又今でも口《くち》にしかねまじき親爺《おやぢ》は気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震が嫌《きらひ》である。瞬間の動揺でも胸《むね》に波《なみ》が打《う》つ。あるときは書斎で凝《じつ》と坐《すは》つてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せて来《く》るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷《し》いてゐる坐蒲団も、畳《たゝみ》も、乃至|床《ゆか》板も明らかに震《ふる》へる様に思はれる。彼《かれ》はこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺《おやぢ》の如きは、神経|未熟《みじゆく》の野人か、然らずんば己《おの》れを偽《いつ》はる愚者としか代助には受け取れないのである。

       三の三

 代助は今《いま》此《この》親爺《おやぢ》と対坐してゐる
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