は少し呼吸が逼《せま》つた。けれども、罪あるものが雷火《らいくわ》に打たれた様な気は全たくなかつた。彼は平生にも似ず論理に合はない事をたゞ衝動的に云つた。然しそれは眼《め》の前にゐる平岡のためだと固く信じて疑《うたが》はなかつた。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便《たより》に、自分を三千代から永く振り放《はな》さうとする最後の試《こゝろ》みを、半ば無意識的に遣《や》つた丈であつた。自分と三千代の関係を、平岡から隠《かく》す為《ため》の、糊塗策《ことさく》とは毫も考へてゐなかつた。代助は平岡に対して、左程に不信な言動《げんどう》を敢てするには、余《あま》りに高尚であると、優に自己を評価してゐた。しばらくしてから、代助は又平生の調子に帰《かへ》つた。
「だつて、君がさう外《そと》へ許《ばかり》出《で》てゐれば、自然|金《かね》も要《い》る。従つて家《うち》の経済も旨《うま》く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなる丈ぢやないか」
 平岡は、白襯衣《しろしやつ》の袖《そで》を腕《うで》の中途《ちうと》迄|捲《まく》り上《あ》げて、
「家庭か。家庭もあまり下《くだ》さつたものぢやない。家
前へ 次へ
全490ページ中349ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング