》る度《たび》に、椅子の上《うへ》で、少し宛《づゝ》身体《からだ》の位置を変《か》へなければならなかつた。
代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口《くち》にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。
代助は露西亜文学に出《で》て来《く》る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側《がは》からのみ社会を描《ゑが》き出すのを、舶来の唐物《とうぶつ》の様に見傚してゐる。
理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有《あ》つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留《とま》つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛《な》げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可《よ》かつたと思つてゐる。禅坊さんの所
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