じ》み出《だ》した。代助は格子の外《そと》から、三千代の極《きわ》めて薄手《うすで》な皮膚を眺めて、戸の開《あ》くのを静かに待《ま》つた。三千代は、
「御待遠さま」と云つて、代助を誘《いざな》ふ様に、一足《ひとあし》横《よこ》へ退《の》いた。代助は三千代とすれ/\になつて内《うち》へ這入《はい》つた。座敷《ざしき》へ来《き》て見ると、平岡の机の前《まへ》に、紫《むらさき》の座蒲団がちやんと据《す》ゑてあつた。代助はそれを見た時|一寸《ちよつと》厭《いや》な心持がした。土《つち》の和《な》れない庭《には》の色《いろ》が黄色《きいろ》に光《ひか》る所に、長《なが》い草が見苦しく生《は》えた。
 代助は又|忙《いそ》がしい所を、邪魔に来《き》て済まないといふ様な尋常な云訳《いひわけ》を述べながら、此無趣味な庭《には》を眺めた。其時三千代をこんな家《うち》へ入れて置《お》くのは実際気の毒だといふ気が起《おこ》つた。三千代は水《みづ》いぢりで爪先《つまさき》の少《すこ》しふやけた手《て》を膝《ひざ》の上《うへ》に重《かさ》ねて、あまり退屈《たいくつ》だから張物《はりもの》をしてゐた所だと云つた。三千代の退屈といふ意味は、夫《おつと》が始終|外《そと》へ出《で》てゐて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云ふ事であつた。代助はわざと、
「結構な身分《みぶん》ですね」と冷《ひや》かした。三千代は自分の荒涼な胸《むね》の中《うち》を代助に訴へる様子もなかつた。黙《だま》つて、次《つぎ》の間《ま》へ立《た》つて行《い》つた。用簟笥の環《くわん》を響《ひゞ》かして、赤《あか》い天鵞絨で張《は》つた小《ち》さい箱《はこ》を持《も》つて出《で》て来《き》た。代助の前《まへ》へ坐《すは》つて、それを開《あ》けた。中《なか》には昔し代助の遣《や》つた指環がちやんと這入《はい》つてゐた。三千代は、たゞ
「可《い》でせう、ね」と代助に謝罪する様に云つて、すぐ又立つて次《つぎ》の間《ま》へ行《い》つた。さうして、世《よ》の中《なか》を憚《はゞ》かる様に、記念の指環をそこ/\に用簟笥に仕舞つて元《もと》の坐に戻つた。代助は指環に就ては何事も語《かた》らなかつた。庭《には》の方を見て、
「そんなに閑《ひま》なら、庭《には》の草《くさ》でも取《と》つたら、何《ど》うです」と云つた。すると今度は三千代の方が黙
前へ 次へ
全245ページ中165ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング