れども彼はこの没論理の根底に横はる色々《いろ/\》の因数《フアクター》を自分で善《よ》く承知してゐた。さうして、今《いま》の自分に取《と》つては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方《しかた》ないと思つた。且、此事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題《めいだい》を繋《つな》ぎ合《あ》はして出来|上《あが》つた、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思つた。さう思つて又椅子へ腰《こし》を卸した。
それから三千代の来《く》る迄、代助はどんな風に時《とき》を過《すご》したか、殆んど知らなかつた。表《おもて》に女の声がした時《とき》、彼は胸《むね》に一鼓動《いつこどう》を感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であつた。彼が近来|怒《おこ》れなくなつたのは、全《まつた》く頭《あたま》の御蔭《おかげ》で、腹《はら》を立《た》てる程自分を馬鹿にすることを、理智《りち》が許《ゆる》さなくなつたからである。が其他の点に於ては、尋常以上に情|緒《しよ》の支配を受けるべく余儀なくされてゐた。取次《とりつぎ》に出《で》た門野《かどの》が足音《あしおと》を立《た》てゝ、書斎の入口《いりぐち》にあらはれた時、血色《けつしよく》のいゝ代助の頬《ほゝ》は微《かす》かに光沢《つや》を失《うしな》つてゐた。門野《かどの》は、
「此方《こつち》にしますか」と甚だ簡単に代助の意向を確《たしか》めた。座敷《ざしき》へ案内するか、書斎で逢ふかと聞くのが面倒だから、斯《か》う詰《つ》めて仕舞つたのである。代助はうんと云つて、入口《いりぐち》に返事を待《ま》つてゐた門野《かどの》を追ひ払《はら》ふ様に、自分で立《た》つて行《い》つて、椽側へ首《くび》を出《だ》した。三千代は椽側と玄関《げんくわん》の継目《つぎめ》の所に、此方《こちら》を向《む》いてためらつて居《ゐ》た。
十の四
三千代の顔《かほ》は此前《このまへ》逢《あ》つた時《とき》よりは寧ろ蒼白《あをしろ》かつた。代助に眼《め》と顎《あご》で招《まね》かれて書斎の入口《いりぐち》へ近寄《ちかよ》つた時、代助は三千代の息《いき》を喘《はづ》ましてゐることに気が付いた。
「何《ど》うかしましたか」と聞《き》いた。
三千代は何《なに》にも答へずに室《へや》の中《なか》に這入《はいつ》て来《き》た。セルの単
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