金《かね》が入用であるかを研究する必要は、もう既に通り越してゐたのである。実は外面の事情は聞いても聞《き》かなくつても、三千代に金《かね》を貸して満足させたい方であつた。けれども三千代の歓心を買ふ目的を以て、其手段として金《かね》を拵《こしら》へる気は丸でなかつた。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕を有《も》つてゐなかつたのである。
其上《そのうへ》平岡の留守へ行き中《あ》てゝ、今日《こんにち》迄の事情を、特に経済の点に関して丈でも、充分聞き出すのは困難である。平岡が家《うち》にゐる以上は、詳しい話《はなし》の出来ないのは知れ切つてゐる。出来ても、それを一から十迄|真《ま》に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄《みえ》を張つてゐる。見栄《みえ》の入らない所でも一種の考から沈黙を守つてゐる。
代助は、兎も角もまづ嫂《あによめ》に相談して見やうと決心した。さうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思つた。今迄|嫂《あによめ》にちび/\、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、斯《か》う短兵急に痛《いた》め付けるのは始めてゞである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらか持《も》つてゐるから、或は出来ないとも限らない。夫《それ》で駄目なら、又高利でも借《か》りるのだが、代助はまだ其所《そこ》迄には気が進んでゐなかつた。たゞ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強ひられて、それを断わり切れない位なら、一層《いつそ》此方《こつち》から進んで、直接に三千代《みちよ》を喜ばしてやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆んど理窟を離れて、頭《あたま》の中《なか》に潜《ひそ》んでゐた。
生暖《なまあたゝ》かい風《かぜ》の吹《ふ》く日であつた。曇《くも》つた天気が何時迄《いつまで》も無精《ぶせう》に空《そら》に引掛《ひつかゝ》つて、中々《なか/\》暮《く》れさうにない四時過から家《うち》を出《で》て、兄《あに》の宅迄《たくまで》電車で行つた。青山《あをやま》御所の少《すこ》し手前迄|来《く》ると、電車の左側《ひだりがは》を父《ちゝ》と兄《あに》が綱曳《つなびき》で急《いそ》がして通《とほ》つた。挨拶《あいさつ》をする暇《ひま》もないうちに擦《す》れ違《ちが》つたから、向ふは元より気が付《つ》かずに過《す》ぎ去つた。代助は次《つぎ》の停留所で下《お》りた。
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