着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日《あす》午前|会《あ》ひたし、と薄墨《うすずみ》の走《はし》り書《がき》の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋《やどや》の名《な》と平岡常《ひらをかつね》次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もう来《き》たのか、昨日《きのふ》着《つ》いたんだな」と独《ひと》り言《ごと》の様に云ひながら、封書の方を取り上《あ》げると、是は親爺《おやぢ》の手蹟《て》である。二三日前帰つて来《き》た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着《つ》いたら来てくれろと書《か》いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。
「君、電話を掛けて呉れませんか。家《うち》へ」
「はあ、御宅《おたく》へ。何《なん》て掛《か》けます」
「今日《けふ》は約束があつて、待《ま》ち合《あは》せる人があるから上《あ》がれないつて。明日《あした》か明後日《あさつて》屹度伺ひますからつて」
「はあ。何方《どなた》に」
「親爺《おやぢ》が旅行から帰つて来《き》て、話があるから一寸《ちよつと》来《こ》いつて云ふんだが、――何《なに》親爺《おやぢ》を呼《よ》び出さないでも可《い》いから、誰《だれ》にでも左様《さう》云つて呉《く》れ給へ」
「はあ」
 門野《かどの》は無雑作に出《で》て行つた。代助は茶の間《ま》から、座敷を通《とほ》つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除《さうじ》が出来てゐる。落椿《おちつばき》も何所《どこ》かへ掃《は》き出されて仕舞つた。代助は花瓶《くわへい》の右手《みぎて》にある組《く》み重《かさ》ねの書棚《しよだな》の前《まへ》へ行つて、上《うへ》に載せた重い写真帖を取り上《あ》げて、立《た》ちながら、金《きん》の留金《とめがね》を外《はづ》して、一枚二枚と繰《く》り始めたが、中頃迄|来《き》てぴたりと手《て》を留《と》めた。其所《そこ》には廿歳《はたち》位の女の半身《はんしん》がある。代助は眼《め》を俯せて凝《じつ》と女の顔を見詰めてゐた。

       二の一

 着物《きもの》でも着換《きか》へて、此方《こつち》から平岡《ひらをか》の宿《やど》を訪《たづ》ね様かと思つてゐる所へ、折よく先方《むかふ》から遣《や》つて来
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