から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。
「今日《けふ》はまだ大丈夫だ」
「何だか明日《あした》にも危《あや》しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体《からだ》を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取《と》つ付《つ》かれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
門野《かどの》は只《たゞ》へえゝと云つた限《ぎり》、代助の光沢《つや》の好《い》い顔色《かほいろ》や肉《にく》の豊《ゆた》かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時《いつ》でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭《あたま》は、牛《うし》の脳味噌《のうみそ》で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話《はなし》をすると、平民の通《とほ》る大通りを半町位しか付《つ》いて来《こ》ない。たまに横町へでも曲《まが》ると、すぐ迷児《まいご》になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪《たて》に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼《かれ》の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄《あらなは》で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為《ため》に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此《この》のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞《ふるまひ》たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠《かさ》に着《き》て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来《く》る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報《むくひ》に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為《な》れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野《かどの》にはそんな事は丸で分らない。
「門野《かどの》さん、郵便は来《き》て居《ゐ》なかつたかね」
「郵便ですか。斯《か》うつと。来《き》てゐました。端書《はがき》と封書が。机の上に置きました。持つて来《き》ますか」
「いや、僕が彼方《あつち》へ行つても可《い》い」
歯切《はぎ》れのわるい返事なので、門野《かどの》はもう立つて仕舞つた。さうして端書《はがき》と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京
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