最好の象徴《シンボル》とした。
彼等のあるものは、石油缶《せきゆくわん》の底《そこ》を継《つ》ぎ合《あ》はせた四角な鱗《うろこ》で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中《よなか》に柱《はしら》の割れる音《おと》で眼《め》を醒《さ》まさないものは一人《ひとり》もない。彼等の戸には必ず節穴《ふしあな》がある。彼等の襖《ふすま》は必ず狂《くる》ひが出ると極つてゐる。資本を頭《あたま》の中《なか》へ注《つ》ぎ込《こ》んで、月々《つき/″\》其|頭《あたま》から利息を取つて生活しやうと云ふ人間《にんげん》は、みんな斯《か》ういふ所を借《か》りて立《た》て籠《こも》つてゐる。平岡も其|一人《いちにん》である。
代助は垣根《かきね》の前《まへ》を通るとき、先づ其|屋根《やね》に眼《め》が付《つ》いた。さうして、どす黒《ぐろ》い瓦の色が妙に彼《かれ》の心を刺激した。代助には此|光《ひかり》のない土《つち》の板《いた》が、いくらでも水《みづ》を吸《す》ひ込《こ》む様に思はれた。玄関前に、此間《このあひだ》引越のときに解《ほど》いた菰包《こもづゝみ》の藁屑《わらくづ》がまだ零《こぼ》れてゐた。座敷《ざしき》へ通《とほ》ると、平岡は机の前《まへ》へ坐《すは》つて、長《なが》い手紙《てがみ》を書《か》き掛《か》けてゐる所であつた。三千代《みちよ》は次《つぎ》の部屋《へや》で簟笥の環《くわん》をかたかた鳴らしてゐた。傍《そば》に大《おほ》きな行李《こり》が開《あ》けてあつて、中《なか》から奇麗《きれい》な長繻絆《ながじゆばん》の袖《そで》が半分《はんぶん》出《で》かかつてゐた。
平岡が、失敬だが鳥渡《ちよつと》待《ま》つて呉れと云つた間《あひだ》に、代助は行李《こり》と長繻絆《ながじゆばん》と、時々《とき/″\》行李《こり》の中《なか》へ落《お》ちる繊《ほそ》い手とを見てゐた。襖《ふすま》は明《あ》けた儘|閉《た》て切《き》る様子もなかつた。が三千代の顔は陰《かげ》になつて見えなかつた。
やがて、平岡は筆《ふで》を机《つくえ》の上へ抛《な》げ付ける様にして、座《ざ》を直《なほ》した。何《なん》だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤《あか》くしてゐた。眼《め》も赤くしてゐた。
「何《ど》うだい。此間《このあひだ》は色々《いろ/\》難有う。其|後《ご》一寸《ちよつと》礼《れい
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