早《はや》かない」と云つて、笑《わら》ひながら、代助の顔《かほ》を見てゐる。代助は手《て》を敲《たゝ》いて婆《ばあ》さんを呼《よ》んで、
「誠太郎、チヨコレートを飲《の》むかい」と聞いた。
「飲《の》む」
 代助はチヨコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯《からかひ》だした。
「誠太郎、御前はベースボール許《ばかり》遣《や》るもんだから、此頃《このごろ》手が大変大きくなつたよ。頭《あたま》より手の方が大きいよ」
 誠太郎はにこ/\して、右の手で、円《まる》い頭《あたま》をぐる/″\撫《な》でた。実際大きな手を持《も》つてゐる。
「叔父《おぢ》さんは、昨日《きのふ》御父《おとう》さんから奢《おご》つて貰《もら》つたんですつてね」
「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭《おかげ》で今日《けふ》は腹具合《はらぐあひ》が悪《わる》くつて不可《いけ》ない」
「又《また》神経《しんけい》だ」
「神経《しんけい》ぢやない本当だよ。全《まつ》たく兄《にい》さんの所為《せゐ》だ」
「だつて御父《おとう》さんは左様《さう》云つてましたよ」
「何《なん》て」
「明日《あした》学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走して貰《もら》へつて」
「へえゝ、昨日《きのふ》の御礼にかい」
「えゝ、今日《けふ》は己《おれ》が奢《おご》つたから、明日《あした》が向《むか》ふの番《ばん》だつて」
「それで、わざ/\遣《や》つて来《き》たのかい」
「えゝ」
「兄《あにき》の子丈あつて、中々《なか/\》抜《ぬ》けないな。だから今チヨコレートを飲《の》まして遣《や》るから可《い》いぢやないか」
「チヨコレートなんぞ」
「飲《の》まないかい」
「飲《の》む事は飲《の》むけれども」
 誠太郎の注文を能《よ》く聞《き》いて見ると、相撲が始まつたら、回向院へ連《つ》れて行つて、正面の最上等の所で見物させろといふのであつた。代助は快《こゝろ》よく引き受けた。すると誠太郎は嬉《うれ》しさうな顔《かほ》をして、突然《とつぜん》、
「叔父《おぢ》さんはのらくらして居るけれども実際|偉《えら》いんですつてね」と云つた。代助も是には一寸《ちよつと》呆《あき》れた。仕方なしに、
「偉《えら》いのは知れ切つてるぢやないか」と答へた。
「だつて、僕《ぼく》は昨夕《ゆふべ》始《はじ》めて御父《おとう》さんから聞《き》いたんですもの」と云ふ弁解があつ
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