の手を眺めていた。
「あなた判断して下すって。いうから」
「私にできる判断ならやります」
「みんなはいえないのよ。みんないうと叱《しか》られるから。叱られないところだけよ」
 私は緊張して唾液《つばき》を呑《の》み込んだ。
「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好《い》いお友達が一人あったのよ。その方《かた》がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」
 奥さんは私の耳に私語《ささや》くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。
「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後《のち》なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」
「その人の墓ですか、雑司ヶ谷《ぞうしがや》にあるのは」
「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪《たま》らないんです。だ
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