なたのいう人世観《じんせいかん》とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴《ちょうだい》」
私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。
「私には解《わか》りません」
奥さんは予期の外《はず》れた時に見る憐《あわ》れな表情をその咄嗟《とっさ》に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。
「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘《うそ》を吐《つ》かない方《かた》でしょう」
奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。
「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」
「先生がああいう風《ふう》になった源因《げんいん》についてですか」
「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」
「どんな事ですか」
奥さんはいい渋って膝《ひざ》の上に置いた自分
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