記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何遍《なんべん》もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私は笑《わら》いを帯びた先生の顔と、縁喜《えんぎ》でもないと耳を塞《ふさ》いだ奥さんの様子とを憶《おも》い出した。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのはいつ起るか分らない事実であった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶ事ができなかった。しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった。
「そんな弱い事をおっしゃっちゃいけませんよ。今に癒《なお》ったら東京へ遊びにいらっしゃるはずじゃありませんか。お母さんといっしょに。今度いらっしゃるときっと吃驚《びっくり》しますよ、変っているんで。電車の新しい線路だけでも大変|増《ふ》えていますからね。電車が通るようになれば自然|町並《まちなみ》も変るし、その上に市区改正もあるし、東京が凝《じっ》としている時は、まあ二六時中《にろくじちゅう》一分もないといっていいくらいです」
私は仕方がないからいわないでいい事まで喋舌《しゃべ》った。父はまた、満足らしくそれを聞いていた。
病人があるので自然|家《
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