を聞いたかという意味であった。私には説明を待たないでもその意味がよく解っていた。
「お前ここへ帰って来て、宅《うち》の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。
「お母さん一人じゃ、どうする事もできないだろう」と兄がまたいった。兄は私を土の臭《にお》いを嗅《か》いで朽ちて行っても惜しくないように見ていた。
「本を読むだけなら、田舎《いなか》でも充分できるし、それに働く必要もなくなるし、ちょうど好《い》いだろう」
「兄さんが帰って来るのが順ですね」と私がいった。
「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口《ひとくち》に斥《しりぞ》けた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気が充《み》ち満《み》ちていた。
「お前がいやなら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、それにしてもお母さんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」
「お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ」
 兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後《あと》について、こんな風に語り合った。

     十六

 父は時々|囈語《うわこと》をいうようになった。
「乃木大将《のぎたいしょう》に済まない。実に面目次第《めんぼくしだい》がない。いえ私もすぐお後《あと》から」
 こんな言葉をひょいひょい出した。母は気味を悪がった。なるべくみんなを枕元《まくらもと》へ集めておきたがった。気のたしかな時は頻《しき》りに淋《さび》しがる病人にもそれが希望らしく見えた。ことに室《へや》の中《うち》を見廻《みまわ》して母の影が見えないと、父は必ず「お光《みつ》は」と聞いた。聞かないでも、眼がそれを物語っていた。私《わたくし》はよく起《た》って母を呼びに行った。「何かご用ですか」と、母が仕掛《しか》けた用をそのままにしておいて病室へ来ると、父はただ母の顔を見詰めるだけで何もいわない事があった。そうかと思うと、まるで懸け離れた話をした。突然「お光お前《まえ》にも色々世話になったね」などと優《やさ》しい言葉を出す時もあった。母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ。そうした後ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対照として想《おも》い出すらしかった。
「あんな憐《あわ》れっぽい事をお言いだがね、あれでもとはずいぶん酷《ひど》かったんだよ」
 母は父のために箒《ほうき》で背中をどやされた時
前へ 次へ
全186ページ中82ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング