ましたいと思って居る。娘は屹度《きっと》厭《いや》だというに違ない。より多くの興味を感ずる恋愛小説と取り換えて呉《く》れというに違ない。けれども余は其時娘に向って、面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたいと思って居る。参考の為だから、世間を知る為だから、知って己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる為だから我慢して読めと忠告したいと思って居る。何も考えずに暖かく成長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心《ぼだいしん》や宗教心は、皆此暗い影の奥から射して来るのだと余は固く信じて居るからである。
長塚君の書き方は何処迄《どこまで》も沈着である。其人物は皆|有《あり》の儘《まま》である。話の筋は全く自然である。余が「土」を「朝日」に載《の》せ始めた時、北の方のSという人がわざわざ書を余のもとに寄せて、長塚君が旅行して彼と面会した折の議論を報じた事がある。長塚君は余の「朝日」に書いた「満韓ところどころ」というものをSの所で一回読んで、漱石という男は人を馬鹿にして居るといって大いに憤慨したそうである。漱石に限らず一体「朝日新聞」の記者の書き振りは皆人を馬鹿にして
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング