生涯《しょうがい》照りっこない天気と同じ苦痛である。ただ土の下へ心が沈む丈《だけ》で、人情から云っても道義心から云っても、殆《ほと》んど此圧迫の賠償《ばいしょう》として何物も与えられていない。ただ土を掘り下げて暗い中へ落ちて行く丈である。
「土」を読むものは、屹度《きっと》自分も泥の中を引《ひ》き摺《ず》られるような気がするだろう。余もそう云う感じがした。或者は何故《なぜ》長塚君はこんな読みづらいものを書いたのだと疑がうかも知れない。そんな人に対して余はただ一言、斯様《かよう》な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠《ほどとお》からぬ田舎《いなか》に住んで居るという悲惨な事実を、ひしと一度は胸の底に抱《だ》き締《し》めて見たら、公等の是から先の人生観の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの参考として利益を与えはしまいかと聞きたい。余はとくに歓楽に憧憬《しょうけい》する若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、此「土」を読む勇気を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募《つの》る時分になったら、余は是非此「土」を読
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