居ると云って罵《ののし》ったそうである。成程《なるほど》真面目《まじめ》に老成した、殆《ほと》んど厳粛という文字を以《もっ》て形容して然るべき「土」を書いた、長塚君としては尤《もっと》もの事である。「満韓ところどころ」抔《など》が君の気色を害したのは左《さ》もあるべきだと思う。然《しか》し君から軽佻《けいちょう》の疑を受けた余にも、真面目な「土」を読む眼はあるのである。だから此序を書くのである。長塚君はたまたま「満韓ところどころ」の一回を見て余の浮薄を憤《いきどお》ったのだろうが、同じ余の手になった外《ほか》のものに偶然眼を触れたら、或は反対の感を起すかも知れない。もし余が徹頭徹尾「満韓ところどころ」のうちで、長塚君の気に入らない一回を以て終始するならば、到底《とうてい》長塚君の「土」の為に是程《これほど》言辞を費やす事は出来ない理窟《りくつ》だからである。
長塚君は不幸にして喉頭結核にかかって、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生|旁《かたがた》旅行の途にある。先達《せんだっ》てかねて紹介して置いた福岡大学の久保博士からの来書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだろう。余は出版の時機に後《おく》れないで、病中の君の為に、「土」に就いて是丈《これだけ》の事を言い得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを読む義務はないと云ったと、わざわざ余に報知して来たものがあった。此時余は此文士は何の為に罪もない「土」の作家を侮辱するのだろうと思って苦々《にがにが》しい不愉快を感じた。理窟《りくつ》から云って、読まねばならない義務のある小説というものは、其小説の校正者か、内務省の検閲官以外にそうあろう筈《はず》がない。わざわざ断わらんでも厭《いや》なら厭で黙って読まずに居れば夫迄《それまで》である。もし又名の知れない人の書いたものだから読む義務はないと云うなら、其人は只《ただ》名前|丈《だけ》で小説を読む、内容などには頓着《とんじゃく》しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に対して、たとい無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があって然るべきだと思う。余は「土」の作者が病気だから、此場合には猶《な》お更《さ》らそう云いたいのである。
明治四十五年五月
底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房
1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年4月27日作成
2003年5月25日修正
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