日|迄《まで》まだ一度も眼を通した記憶がないのも慥《たし》かな事實ですから、私は希臘《ギリシア》の神話にかけては、あなたよりも遙《はる》かに無知識なのです。立派な序文の書けやう筈《はず》がありません。
御存じの通り私は英文學出身のものですから、高等學校在學の頃から歐洲文學の根柢《こんてい》に横《よこた》はる二つの寶庫(聖書と希臘《ギリシア》神話)をいつか機會を見て思ふまゝ熟覽して置きたいといふ希望を抱いてゐましたが、御恥づかしい事に、此《この》機會は永久に多忙な自分の眼前に遂に出現せずに濟《す》んで仕舞《しま》ひました。
私が高等學校にゐる頃同級生に松本亦太郎(今の文學博士)といふ人がゐました。此《この》人は其《その》頃熱心な基督《キリスト》信者でしたが、ある時私に、聖書を日に何頁づゝとか讀むと、丁度《ちやうど》三年目に新舊兩約全書を通讀する事になるといつて、それを日課として毎日|怠《おこた》らず繰返《くりかへ》してゐるやうでした。私は其《その》話を聞いた時、たとひ私が耶蘇《やそ》教徒でないにせよ、バイブルは文學上必要の書物だから、さういふ課程をこしらへて、長い間に通讀したら嘸《さ
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