を行く外ない。
三月廿日[#「三月廿日」に二重傍線] 曇、花ぐもり。
朝湯朝酒。
蛇が穴を出てゐた。
同人と共に北野吟行。
鷹ヶ峯、庵、光悦寺、金閣寺、酔つぱらうて、仙酔楼居へ自働[#「働」に「マヽ」の注記]車で送られる。
三月廿一日[#「三月廿一日」に二重傍線] 雨――晴、滞在。
午后、物安居士、いく子刀自を訪ふ。
愉快な微酔。
三月廿二日[#「三月廿二日」に二重傍線] 晴。
もつたいなや、けふも朝湯朝酒。
十時出立、宇治へ。――
平等院、うらゝかな栄華の跡。
汽車で木津まで行つて泊る。
三月廿三日[#「三月廿三日」に二重傍線] 晴。
うらゝかな雀のおしやべり。
早朝出発、乗車、九時大河原下車、途中、笠置の山、水、家、すべてが好ましかつた。
川を渡船で渡されて、旅は道連れ、快活な若者と女給らしい娘さんらといつしよに山を越え山を越える。
山城大和の自然は美しい。
山路は快い、飛行機がまうへを掠める。
母と子とが重荷を負うて行く。
二里ばかりで名張川の岐流に添うて歩く、梅がちらほら咲いてゐる。
歩々春だ[#「歩々春だ」に傍点]、梅だ[#「梅だ」に傍点]、月ヶ瀬梅渓は好きなところだつた、だいぶ名所じみてはゐるけれど。
[#ここから3字下げ]
こゝから月ヶ瀬といふ梅へ橋をわたる
[#ここで字下げ終わり]
バスで上野町へ、遊廓近くの安宿に泊る、うるさい宿だつた。
[#ここから3字下げ]
五月門一目万本月瀬橋
[#ここで字下げ終わり]
三月廿四日[#「三月廿四日」に二重傍線] 晴。
芭蕉遺蹟を探る――
故郷塚、瓢竹庵。
上野は好印象を与へてくれた。
阿保まで三里、うらゝかな道。
阿保から津まで電車。
津はいかにも城下らしいおちついた都会であつた、梅川屋といふのに泊る、一宿二飯で三十四銭!
二角さんを訪ねて御馳走になる。
三月廿五日[#「三月廿五日」に二重傍線]
朝、都影さんを訪ねる、二角君に連れられて、都影さんは一見好きになれる人だ。
自働車といふものもよしわるしだと思ふ。
二角君に案内されて山田へ。
内宮外宮はたゞありがたかつたといふより外はない。
二見ヶ浦。
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裸木塚
芭蕉塚
平□塚
[#ここで字下げ終わり]
都影居泊、私にはぜいたくすぎるほどだつた。
夜は自家用で白子町までドライヴ、都影君はドクトルとして、私は妙なお客さんとして。
[#ここから2字下げ]
おちついてしづけさは青木の実
(比古君か印君に)
鎧着ておよろこび申す春の風吹く
(弘川寺)
春の山鐘撞いて送られた
けふのよろこびは山また山の芽ぶく色
ちんぽこの湯気もほんによい湯で
(京都)東山
・旅は笹山の笹のそよぐのも
まるい山をまへに酔つぱらふ
松笠の落ちてゐるだけで
こんやはこゝで雨がふる春雨
・旅の袂草のこんなにたまり
ぬかるみも春らしく堀[#「堀」に「マヽ」の注記]りかへしてゐる
(宇治)
うらゝかな鐘をつかう
御堂のさびも春のさゞなみ
・春日へ扉ひらいて南無阿弥陀仏
・たゞずめば風わたる空の遠く遠く
(月ヶ瀬へ)
落葉ふる岩が腰かけとして
・どこで倒れてもよい山うぐひす
落葉してあらはなる巌がつちり
蕗のとうあしもとに一つ
後になり先になり梅にほふ
(伊勢神宮、五十鈴川)
そのながれにくちそゝぐ
たふとさはまつしろなる鶏の
若葉のにほひも水のよろしさもぬかづく
(二見ヶ浦)
春波のおしよせる砂にゑがく
旅人として小雪ちらつくを
(津にて)
・けふはこゝにきて枯葦いちめん
・麦の穂のおもひでがないでもない
こどもといつしよにひよろ/\つくし
春の夜の近眼と老眼とこんがらがつて
影は竹の葉の晴れてきさうな
春めく雲でうごかない
(辨天島)
すうつと松並木が、雨も春
とほく白波が見えて松のまがりやう
裸木に一句作らしたといふ猿がしよんぼり
ぬくい雨となる砂の足あと
どうやら晴れてる花ぐもりの水平線
・春の海のどこからともなく漕いでくる
これから旅も、さくら咲きだした
・茶どころの茶の木畑の春雨
[#ここで字下げ終わり]
三月廿六日[#「三月廿六日」に二重傍線] あたゝかく。
病室の二階一間を占領して終日、読む、書く、飲む。……
三月廿七日[#「三月廿七日」に二重傍線]
九時の列車にて出立、さよなら、さよなら、ありがたう、ありがたう。
途中、四日市下車、折から開催中の博覧会見物、つまらなかつた。
都影君から貰つた正宗をラツパのみしたのはおもしろかつた。
夕方、津島君、おもひでの道をたどつて漁眠洞訪問、なつかしい家庭である、坊ちやんはよい児だ。
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鉦たゝきが鉦をたゝいてゐる
[#ここで字下げ終わり]
などゝ俳句する、まだ小学二年なのに。
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ひさしぶりの話がつきない夜の雨になり
[#ここで字下げ終わり]
三月廿八日[#「三月廿八日」に二重傍線] 曇。
身辺整理。
坊ちやんお嬢さん同行で、木曽川あたりへ遊ぶ、お辨当に家人の心づくしがこめられてゐた、酒――それは私にだけの――には殊に。――
鈴鹿山がひかる、伊吹山も。
風が出た、風は何よりもいつも寂しい。
めづらしいよい遊びの一日ではあつた。
三月廿九日[#「三月廿九日」に二重傍線] 晴。
朝酒はありがたすぎる。
私を[#「を」に「マヽ」の注記]旅に出て来て、もつたいないと思ふ。
私は私の友の友情に値しないことを私みづからよく知つてゐる。
津島地方の産物は毛織物と蕗、面白い取合である。
濃美[#「美」に「マヽ」の注記]平野はうらゝかだつた。
午后、漁君と同道して、蓴蓮亭を訪ふ、夜は句会。
例によつて飲みすぎる、しやべりすぎる。
三月三十日[#「三月三十日」に二重傍線] 晴。
きしめん――名古屋名物の一つといはれる揚豆腐をあしらつたうどん――を御馳走になる。
それから秋彦君と共に林五舎へ。
森有一君はほんたうに好きな友人だ。
ヱロ貝! その御馳走もよかつた。
秋彦君去り武朗君来る。
夜おそくまで話しつゞけた、そして睡つた、安らかに睡つた。
林五君よ、幸福でありたまへ。
三月三十一日[#「三月三十一日」に二重傍線] 晴、春寒、薄氷が張つてゐた。
徳川園観賞。
二時の汽車で浜松へ。――
浜松は津とも違つて、おちついた都会である。
平野小児科医院、そこに多賀治君が待つてゐて下さつた。
二階の病院の一室を私の部屋として提供された、高等下宿にでもゐるやうで、身も心もくつろいだ。
四月一日[#「四月一日」に二重傍線] 快晴。
御馳走々々々。
散歩、休養、通信。
私は自殺未遂者だ。
短かいやうな長いやうな一生。
多賀治さんとは初対面だけれど、親しい間柄である。
よい夫でありよい父であり、そしてよいドクトルである多賀治君を祝福する。
四月二日[#「四月二日」に二重傍線] 曇。
春雨しと/\。
永井さん来訪、野蕗君徃訪。
多賀治君の住宅にも寄つて奥さんに挨拶する、新居普請中。
看護婦さんと相乗で辨天島へ一路ドライヴする、かへりみてブルジヨアすぎる。
松月旅館に送りこまれて、酒、酒、酒、いよ/\ブルジヨアすぎる。
暮れる前に、自働車で送られる、酔がかつと出て、私はたうとう行方不明になつてしまつた!
四月三日[#「四月三日」に二重傍線] 風雨はげしかつた。
朝湯朝酒、昨夜の今朝で泣きたいやうな気持だ。
一時の列車で鎌倉へ。――
野蕗さんがひよつこり乗り込んで、送つて下さつた、涙ぐましい温情を感じた。
名古屋にも浜松にも同人間に何だか感情のもつれがあるらしい、私としては、そのどちらにも無関心だけれど。
天竜川を渡るとき、先年のおもひでにふけつた。
海は濁つて富士は見えない。
桃の花、菜の花、青麦、――日本は美しい!
丹那トンネル、暗い音がつゞく。
熱海は春たけなは、花見客が騒々しい、うるさいけれどおこられもしない。
――私は憂欝だ――人間が嫌になつたのでなくて、自分自身が嫌なのだ。
大船で乗り換へようとして下車すると、鎌倉同人が眼ざとく私を見つけて、にこ/\、自働車で鎌倉へ。
鳴雨居に落ちつく、くつろいで、酒、酒、話、話。
鳴雨君は想像した通り、奥さんと二人ぎりの、別荘風の小ぢんまりした家庭は春の海のやう。
雪男君、蜻郎君、冬青君、新五郎君、――鎌倉同人はほんたうになごやかだ。
波音があたゝかだつた。
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ヒヤとおヒヤ――前者は冷酒、後者は水。
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四月四日[#「四月四日」に二重傍線] 晴。
かたじけなくも、もつたいなくも、朝湯にはいつてから朝酒をいたゞく。
蜻郎君来訪。
三人連れで散歩、光明寺大聖閣、’’’’幡宮、建長寺、円覚寺、長谷の大仏。……
冬青居徃訪。
夜は南浦園で句会、支那料理がおいしかつた。
まことによい日よい夜であつた。
層雲社から電報、明日の句会へ出席せよといふので。――
鎌倉風景。――
東京の印象。――
東京は広い。
伊豆遊吟。
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沼津――東京。
[#ここから3字下げ]
朝の富士は白いあたまの春の雲
松の木あざやかに富士の全貌
ぶらんこぶら/\若葉照る
街の騒音何の木か咲いてゐる
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東京をうたふ。
[#ここから3字下げ]
さくらちる富士がまつしろ
さくら咲いてまた逢うてゐる
旅ごゝろかなしい風がふきまくる
ぼう/\としてあるくいつしか春
[#ここから2字下げ]
(追加)
蘭竹かれ/″\の風にふかれつゝ
・鎌倉は松の木のよい月がのぼつた
[#ここで字下げ終わり]
大仏さん
異人さん
さくら
寺
[#ここから3字下げ]
いちはやく山ふところのさくら一もと
斎藤さんに
また逢ひませうと手を握る
[#ここから1字下げ]
東京をうたふ。
[#ここから3字下げ]
ほつと月がある東京に来てゐる
花ぐもりの富士が見えたりかくれたり
ビルからビルへ東京は私はうごく
ビルがビルに星も見えない空
ビルにて
窓へやつと芽ぶいてきた
[#ここで字下げ終わり]
四月五日[#「四月五日」に二重傍線] 快晴、鎌倉から東京へ。
眼が覚めると海がころげてくるやうな波音である。
鳴雨居はしづかな夫婦ずまゐ、別荘風のしやれた家である。
朝湯朝酒、今日に限つたことではないけれど勿体ないなあと思ふ。
雪男さん来訪、散歩する、雪男居に寄る、御馳走になる。
昨夜の召電によつていつしよに上京する、大船で約束通り蜻郎君と落ち合ふ。
うらゝかな日である。
品川へ着いてまずそこの水を飲んだ、東京の水である、電車に乗つた、東京の空である、十三年ぶりに東京へ来たのだ。
大泉園を初めて訪ねる、鎌倉の椿が咲いてゐる、井師にお目にかゝる、北朗君も来てゐる。
句会、二十名ばかり集まつた、殆んどみな初対面の方々だ。
夜は層雲社に泊めて貰ふ、犬に吠えられた、歓迎してくれたのかも知れない。
武二君、五味君、北朗君と夜の更けるのも忘れて話しつゞけた。
四月六日[#「四月六日」に二重傍線] 花ぐもり。
朝酒二三杯。
北朗君、武二君と同道して銀座へ、磊々子、一石路夢道を訪ねる。
酒、酒、酒、花、花、花、そして女、女、女。
北朗は古道具屋をまはつて、いろんなものを買ふ、私が酒を飲むやうなものだろう。
四月七日[#「四月七日」に二重傍線] 花ぐもり。
浅草風景(新浅草観賞)。
定食八銭は安い、デンキブランはうまい、喜劇は面白い。
あてもなくぶら/\あるく。
四月八日[#「四月八日」に二重傍線] 曇、いつしか雨となつた。
やたらに歩いた、――浅草から上野へ、それから九段へ、それから丸の内へ。
砂吐流君徃訪、これは丸ビル。
農平君徃訪、これは海上ビル。
鳳車君徃訪、これは東京ビル。
農平君と、それから魔神明君と日本橋の大 [#「 」に「マヽ」の注記]で会食。
東京駅で砂吐流君を待ち受け、新宿聚楽で夕食をす
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