よろしく。
無坪さんは芸術家だ。
夕潮に泳ぐ、私だけ残つて。
星月夜、やつぱりさびしいな。

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線] 晴。

未明散歩。
山鳩、水声、人語。

鶴岡――仙台。

[#ここから3字下げ]
  秋兎死君に
これがおわかれのガザの花か
秋兎死うたうてガザ咲いておくのほそみち
あふたりわかれたりさみだるる
はてしなくさみだるる空がみちのく
  平泉
ここまで来しを水飲んで去る
水音とほくちかくおのれをあゆます
水底の雲もみちのくの空のさみだれ
こゝろむなしくあらうみのよせてはかへす
あてもない旅の袂草こんなにたまり
みんなかへる家はあるゆふべのゆきき
さみだるる旅もをはりの足を洗ふ
梅雨空の荒海の憂欝
その手の下にいのちさみしい虫として
  永平寺
てふてふひらひらいらかをこえた
水音のたえずして御仏とあり
山のしづかさへしづかなる雨
法堂あけはなつあけはなたれてゐる
何もかも夢のよな合歓の花さいて
わかれて砂丘の足あとをふむ
島が島に天の川たかく船が船に
ゆう凪の蟹もそれ/″\穴を持つ
今日の足音いちはやく橋をわたりくる
  竹原 生野島
萩とすすきとあを/\として十分
すずしく風は萩の若葉をそよがせてそして
そよかぜの草の葉からてふてふうまれて出た
  無坪兄に
手が顔が遠ざかる白い点となつて
旅もをはりのこゝの涼しい籐椅子
死にそこなうて山は青くて
  螻子君に
朝風すずしくおもふことなくかぼちやの花
朝の海のゆう/\として出船の船
ヱンヂンは正しくまはりつゝ、朝
ほんにはだかはすずしいひとり
[#ここで字下げ終わり]

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線](続)

老鶯しきりに啼く、島の平和。
島もうるさいね、人間のゐるところ、そこは葛藤のあるところ。
昼寝の夢はどんなであつたらう!
[#ここから2字下げ]
水音の
こゝろのふるさと
波がしろくくだけては
けふも暮れゆく
[#ここで字下げ終わり]
待てば海路のよか船があつた、紫丸に乗せてもらうて竹原へもどることが出来た。
夕凪の内海はほんにうつくしい。
一期一会、いつも、いつも一期の会。
夜は螻子居の家庭をうらやみつゝ寝てしまつた。

 七月廿日[#「七月廿日」に二重傍線] 晴。

いよ/\皈ります、随縁去来[#「随縁去来」に傍点]だ。
煩悩、煩悩、煩悩即菩提、菩提もなくなれ。
[#ここから2字下げ]
煩悩を煩悩せずば(いゝ歌だ!)
煩悩は煩悩ながら煩悩はなし
[#ここで字下げ終わり]
空[#「空」に白三角傍点]、それは煩悩がなくなつた境地だ。
いや/\、菩提に囚はれない境地だ。
執着するなよ!
七時半の列車で出発、忠彦君に送られて、お土産として、酒三本、煙草一罐、そして小郡までの切符!
どうぞ、どうぞ、幸福に、幸福に(不幸がすぐ彼を襲うたとは!)。
炎天かゞやく。
九時半広島安着、黙壺居を訪ねて、また甘やかされた。
共にうち連れて、市中見物、生ビールとトンカツ、等々等。
旅といふものは、旅人の心は――
酒、酒、酒。
澄太君の友情に甘える。
憂欝、哀愁、苦脳[#「脳」に「マヽ」の注記]はてなし。
身辺整理。

 七月廿一日

ブランク、ブランク、いつさいがつさいブランクで。――

 七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線]

憂欝たへがたし、気が狂はないのが不思議だ。
夜行で皈庵。
       ――――――――
        ――――――――
         ――――――――
大阪――広島
[#ここから2字下げ]
・たれもかへる家はあるゆうべのゆきき
・更けると凉しい月がビルのあいだから
   遊戯場
 やるせなさが毬をぶつつけてゐる
   或る食堂
 食べることのしんじつみんな食べてゐる
[#ここで字下げ終わり]



底本:「山頭火全集 第七巻」春陽堂書店
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年9月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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