いて若葉した
江畔老に
・けさはおわかれの、あるだけのお酒をいたゞく
・草萌ゆる道が分れる角で別れる
・逢へば別れるよしきりのおしやべり
・さえづりかはして知らない鳥が知らない木に
・水はあふれるままにあふれてうららか
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○自戒一則――
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貪る勿れ、疑ふ勿れ、欺く勿れ、佞る勿れ、いつもおだやかにつゝましくあれ。
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五月十八日[#「五月十八日」に二重傍線](続)
岩村田から小諸まで二里半、汽車の窓から眺める風景は千曲谿谷的なものがある、乙女[#「乙女」に傍点]といふ駅名も珍らしかつた(九州に妻[#「妻」に傍点]といふ地名もあるが)。
小諸へ着いたのは夕暮、さつそく宿を探して、簡易御泊処鎌田屋といふのを見つけた、老婆が孫を相手に営業をつゞけてゐるといふ、前金で六拾銭渡す、茶菓子、座蒲団、褞袍を出してくれる、有難い、夜具も割合に清潔だつた。
暮れきらないうちに、懐古園(小諸城阯[#「阯」に「マヽ」の注記])を逍遙する、樹木が多くて懐かしいが、風が吹いて肌寒かつた。
藤村詩碑は立派なものである、藤村自身書いた千曲川旅情の歌が金属板にしてある、その傍の松の木が枯れかけてゐるのは寂しかつた、……雲白く遊子かなしむ……旅情あらたに切なるを感じた。
二之丸阯に藤村庵[#「藤村庵」に傍点]がある、古梁庵主宮坂さんが管理してゐる、小諸文化春秋会といふ標札も出してある(藤村氏自身は藤村庵を深草亭[#「深草亭」に傍点]と名づけた)。
二之丸阯の石垣の一つに牧水の歌が刻んである――
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かたはらに秋くさの花かたるらく
ほろびしものはなつかしきかな
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見晴台からの眺望はよろしい、千曲川のよいところがよく眺められる。
噴き出してゐる水もよかつた。
夜は一杯ひつかけて街を散歩する、小諸銀座といふてもお客は通らない、小川の水音が聞えるだけだ。
なか/\寒い、風が旅愁をそゝる。
また一杯ひつかけて、おばあさんのいはゆる娑婆ふさぎのからだを寝床に横たへた。……
五月十九日[#「五月十九日」に二重傍線] 曇、風、雨。
さすがに浅間の麓町だけあつて、風が強くて雨が冷たい。
やつぱり酒だ、酒より外に私を慰安してくれるものはない(句作と友情とは別物として)、朝から居酒屋情調を味つた。
風雨の中を中棚鉱泉宿に落ちつく、安くして貰つて一泊二飯一円。
あまり待遇はよくないけれど、幾度でも熱い湯にはいれるのがうれしい。
終日ごろ/″\して暮らした、終夜ぐうぐう寝た。
五月二十日[#「五月二十日」に二重傍線] 晴。
八時出立、戻橋を渡つて、千曲川に沿うて、川辺村を歩く。
初めて松蝉を聞いた、初夏気分だ。
谿谷のながめがよろしい、浅間山のすがたも悪くない(浅間山の形容は小諸からはよくない、岩村田からがよい)。
途中人蔘栽培の畠がちらほら見える、人蔘は日光を忌み雨を嫌ひ、一度育つた土では十余年も育てることが出来ないさうな、贅沢な植物ではある。
八ツヶ岳にはまだ雪が光つてゐる。
八幡まで二里、左折して千曲川を渡る、中津といふ田舎町があつた。
○また風が吹きだした、彼がどんなに孤独な旅人を悩ますかは、彼でなくては解るまい。
二里近くで岩村田町、相生の松とよばれる中仙道徃還の名木があつた、赤松黒松の雌雄両木が絡み合ひ結びついてゐる。
書き忘れたが、途中、中佐都といふ部落に蕉翁句碑があつた。
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刈かけし田面の鶴や里の秋
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岩村田町に着いた時はもう三時、もりそばを味はひ銘酒を味つた。
信濃は一茶がうたつてるやうに、蕎麦の名物を誇つてゐるが、とりわけ、戸隠蕎麦(いはゆる更科蕎麦)浅間蕎麦(浅間山麓一帯の田舎蕎麦)がうまいさうである、私も幸にして浅間蕎麦は再三御馳走になつたことである。
また/\父子草居[#「父子草居」に傍点]――これは私の命名――の食客となつた。
夜は最後の一夜といふので、みんないつしよにしみ/″\と語つた、一期一会の人生ではあるが、縁あらばまた逢へるであらう。
うつくしい夕焼が旅情を切にしたことも書き落してはならない。
物みな可かれと祈る。
五月廿一日[#「五月廿一日」に二重傍線] 快晴。
いよ/\出立だ、朝早くから郭公がしきりに啼く。
八時、岩村田の街はづれまで江畔老が見送つて下さる、ありがたう。
さよなら、さよなら、ほんたうに関口一家は親切な温和な方々ばかりであつた、羨ましい家庭であつた。
御代田駅まで歩く、一里半、沓掛まで汽車、それから歩けるだけ歩いた。
長倉山の頂上、見晴台の見晴らしはすばらしかつた、山また山である、浅間は近く明るく、白馬は遠く白く眺めて来たが、こゝでは高い山低い山
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