旅日記
昭和十三年
種田山頭火

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)生《ナ》つて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)柊屋[#「柊屋」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ニコ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 五月廿八日 廿九日 澄太居柊屋。

やうやく旅立つことが出来た(旅費を送つて下さつた澄太緑平の二君にこゝで改めてお礼を申上げる)。
八時出発、朝飯が足らなかつたから餅屋に寄つて餅を食べる、それから理髪する(ずゐぶん長う伸びてゐた)。
四辻駅で、折よくやつて来た汽車に乗る、繁村の松原、佐波川の流、あの山この道、思ひ出の種ならぬはない。
富海下車、一杯ひつかけて歩く、椿峠を越えて湯野へ、湯野温泉は改修されて立派になつてゐる、一浴一杯、戸田駅へ急ぐ、S君の事が想ひだされてたまらなかつた。
四時の汽車で徳山へ、いつもかはらぬ白船君夫妻の厚情に甦つたやうな気がした、豪雨の中を櫛ヶ浜まで歩いて、そこからまた汽車で柳井に下車したけれど適当な宿が見つからないので夜行で広島へ、三時半着、待合室で夜の明けるのを待ちかねて澄太居、いや、これからは柊屋[#「柊屋」に傍点]へ押しかけた、澄太君が寝床からニコ/\起きて来た。
うまい酒だつた(酒そのものも文字通りの生一本だつた)、あゝ極楽々々!
午後、奥さも[#「さも」に「マヽ」の注記]いつしよに出かける、新天地でニユース映画を観る、帰途、小野さんの宅に立寄る。
晩酌のよろしさ、しばらく話して、ぐつすりと寝た。

 五月三十日 梅雨日和。

句稿整理。
螻子居を訪ねる、それから黙壺君に逢ふ、マア/\ヤア/\! それで万事OKだ! うれしいな。
黙壺君と同道して再び螻子居へ、そして三人で澄太君へ、とぶ螢、それをとらへるみんなのすがた、私は酔うて、たゞもう愉快であつた。
それから、黙壺君と二人ぎりになり、新天地を飲み歩いた、泥酔してしまつた、黙壺君すみませんでした!

 五月三十一日 曇、黙壺居。

朝酒のうまさよ。
高等学校の郊汀さんを訪ふ、初対面であるが、どちらもノンベイなので、新天地へ出かけて飲みまはる、中国新聞社で黙壺君に落ち合ひ、三人元気よく江波の山陽茶屋[#「山陽茶屋」に傍点](とでもいはうか)まで押しだして、うまい料理を食べた、そして、それから、……それから、そして、……地極[#「極」に「マヽ」の注記]々々!

 六月一日 晴、螻子居。

身心混沌として我と我を罵るのみ、――といつたやうなていたらく!
螻子居の厄介になる、昼酒、晩酌、読書、雑談、散歩、螻子君と共に一日一夜たのしく暮らした。
今日は野の川で水浴した、多少身心がさつぱし[#「ぱし」に「マヽ」の注記]た。

 六月二日 柊屋、晴、曇。

そんなことはどうでもよい、澄太君夫妻の温情につゝまれてゐた。
S氏K氏の邸宅に押しかけて短冊を売りつけた、あゝ不快、不快、不快。……
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  澄太居雑詠
よい酒でよい蛙でほんに久しぶり
雨ふる古い古い石塔が青葉がくれに
青葉をへだててお隣は味噌でも摺るらしい音
柊のあを/\としておだやかなくらし
朝の鏡の白い花のかげ
蛙ひとしきりそれからまた降る
   □
海は曇つて何もない雨
つんばくろよいつしよにゆかう
[#ここで字下げ終わり]

 六月三日 晴。

七時出立、己斐まで電車、そこから歩くつもりだつたが、酒づかれ[#「酒づかれ」に傍点]でまた電車で宮嶋へ、青葉の紅葉谷公園はよかつたけれど、I旅館へ短冊売にいつて気持が悪くなつたので、早々海を渡つて汽車に乗り込んだ、麻里布で下車、人絹会社のM氏を訪ねる、黙壺君からの紹介があるので気持よく五六枚買うて貰ふ。
何とかいふ安宿に泊る、何だか変な家だ。
夜はバスで岩国へ出かけた、錦帯橋の上で河鹿に聞き入つた、さびしいがよい夜であつた。

 六月四日 晴、M居。

起きるより酒屋へ駈けつけて一杯また一杯。
岩国の町へはまはらないで愛宕村を歩いた、山のみどりがめざましい、おゝ、あの山がそれか、あの山林で弟は自殺したのか、弟よ、お前はあまりに弱く、そしてあまりに不幸だつたね!
藤生から汽車で柳井へ、バスで伊保庄へ、Mさんに面接する、白船君を通して知つてはゐたけれど、旧知の友達のやうな気がした、話すほどに飲むほどに酔うてしまうてすゝめれ[#「めれ」に「マヽ」の注記]るまゝに泊めてもらつた。
近来にない楽しい対酌であつた。

 六月五日 晴。

朝から酒、それもよろしい(Mさんのところは造り酒屋で、Mさんはその主人で、しかもさうたうの左党だ)、お土産として生一本を頂戴する、酒銘として幾山河[#「幾山河」に傍点]は好いでないこともないが、牧水の門人としてのMさんの心意気が見えてうれしい、殊に傍書の「白玉の」の歌はうれしい。
昨日とおなじバスで柳井へ戻り、文友君の店を襲うた、そしてあたゝかい歓待をうけた、ありがたかつた。
六時の汽車で運ばれて、無事帰庵、めでたし/\。
[#ここから2字下げ]
帰来無別事
雑草茫々
浮塵寂々
中国のよろしさ
ありがたい人情
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 六月五日[#「六月五日」に二重傍線] 曇。

更けて戻つて、そのまゝ寝た。
何といふ寂しさだらう。
どこにゐても落ちつけない私ではある。……

 六月六日[#「六月六日」に二重傍線] 晴、曇、晴、曇。

Mさんから貰つて戻つた酒があるので樹明君を招待する、折よく敬君も一樽持参で来てくれて、久しぶりに三人で快飲歓談した、かういふ会合が人生にめつたにあるものではない、うれしかつた、ことにおとなしくこゝろよく別れたのがよかつたよかつた!

 六月七日[#「六月七日」に二重傍線]――十日[#「十日」に二重傍線]

――なやましい、せつないといふより外はなかつた、私は私を見失つてしまつた、ぢつと死を見つめてゐた。――

 六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線] 曇、梅雨入。

やつと起きあがつて、身のまはりをかたづける。
敬君、出張の途中ちよつと来庵。
街へ出かける、うどん玉でも買うて来て食べよう。
胡瓜は一本だけ助かつて、四本は枯れてしまつた、肥料が不足なのか、それとも足りすぎたのか。
雑草がやたらにはびこる、荒地野菊ののさばりざまはどうだ。
螢がとぶ、こほろぎが鳴く。
筍がによき/\のぞきだした。
夕方、暮羊君来庵。

 六月十二日[#「六月十二日」に二重傍線] 梅雨らしく。

早起、身辺整理。
落ちついて紫蘇茶一杯。
今日もうどん。
仔を奪はれて、下の家の牛が悲しい声で鳴きつゞけてゐる、主人もいぢらしく思うて、連れだして草をたべさせてゐる。
降る降る、漏る漏る。
……やりきれなくなつて出かける、むちやくちやに飲み歩くほどに、トラどころぢやないタンクになつてしまつた。……

 六月十三日[#「六月十三日」に二重傍線] 雨。

動けない、食べないで寝てゐた。

 六月十四日[#「六月十四日」に二重傍線] 曇。

ぢつとしてゐられなくなり、農学校へ出かけて、みんないつしよに飲む、酔うてW店に泊つた。
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・手と手
   妙な握手[#「妙な握手」に傍点]
・夾竹桃
・泰山木
・藪柑子
・かなめの芽
 ――
 ――
・ひよどり
・頬白
・きつつき
・ひたき
・みそさゞい
 ――
 ――
[#ここで字下げ終わり]

 六月十五日[#「六月十五日」に二重傍線] 雨。 六月十六日[#「六月十六日」に二重傍線] 曇。

苦しい、苦しい、苦しい、……Nさんを訪ねる、酒!

 六月十七日[#「六月十七日」に二重傍線] 雨。

Kから返事が来た、涙なしでは読まれない。
払へるだけ払ふ、そしてほどよく飲んで酔うて、そしてまたW店の厄介になつた。

 六月十八日[#「六月十八日」に二重傍線] 雨、のち晴。

労れてはゐるけれど、樹明君に頼まれて事務を手伝ふ、そして共に宿直室に泊る。

 六月十九日[#「六月十九日」に二重傍線] 曇。

今日も手伝ふ、午後帰庵してほつとした。

 六月廿日[#「六月廿日」に二重傍線] 雨。

死ぬにも死ねないみじめさ[#「死ぬにも死ねないみじめさ」に傍点]である。

 六月廿一日[#「六月廿一日」に二重傍線] 雨。

無言行をつゞける。

 六月廿二日[#「六月廿二日」に二重傍線] 雨、夏至。

おなじく。――
いかに生くべきか[#「いかに生くべきか」に傍点]、かうしてゐて私はどうするのか、どうなるのか、考へてゐたところで、どうにもならない私ではないか。
自己の純化[#「自己の純化」に傍点]、生活の正しさ[#「生活の正しさ」に傍点]、建て直せ[#「建て直せ」に傍点]、建て直せ[#「建て直せ」に傍点]!
時代の認識[#「時代の認識」に傍点]、人生の真実[#「人生の真実」に傍点]、私は再出発する外ない[#「私は再出発する外ない」に傍点]!

 六月廿三日[#「六月廿三日」に二重傍線] 曇。

窮すれば通ず、といふ、やうやく転一歩した、さらに転一歩しよう、しなければならない。
五日ぶりに外出、W店へ筍を持つていつてあげる、飲まないで戻つたのは上出来だつた。
文字通り一文なし、それでも落ちついてをれる。
一切放下着[#「一切放下着」に傍点]、水の湧くやうに、溢れるやうに流れるやうに。

 六月廿四日[#「六月廿四日」に二重傍線] 雨、雨、雨。

食べるものがない、何もかもなくなつた、ぢつとして雨を観てゐた。……
今日も郵便は来ないのか、今日も待ちぼけか!
どしや降りの中をポストまで出かけたついでに樹明君を学校に訪ねる、先日の手伝賃を貰ふ、ありがたう、助かつた、さつそく一杯ひつかける、買物をする、そのまゝ戻つた。
緑平老から句集を頂戴する、ほんによい句集、いかにも緑平らしい句集だ、雀の句にはとても好きなのがある。
寝苦しかつた、すなほになれ[#「すなほになれ」に傍点]、無理をするな[#「無理をするな」に傍点]!
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   今日の買物
弐十弐銭 酒
十弐銭  煙草
七十銭  米
十七銭  麦
十八銭  石油
五銭   胡瓜
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿五日[#「六月廿五日」に二重傍線] 曇――晴。

水音、水音、水音はよいかなよいかな。
矛盾[#「矛盾」に傍点]――私の矛盾は私自身で解消せしめなければならない、強い意志と直き実行[#「強い意志と直き実行」に傍点]とが解消してくれる、強くなれ、直くあれ。
午後、散歩がてらポストへ、途中、一杯ひつかけたいのをぐつと抑へて、その代りに四句拾うて戻つた!
くちなしを活ける、かんざうをも、――どちらも好きな花である。
梅雨寒といふのでもあらう、なか/\寒い、綿入を出して着た。
腹が空つては句も作れない、今日はあたりまへに三度の御飯を食べた、朝のお菜は筍、昼は胡瓜、晩は豆腐、これでも私には御馳走だ!
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   今日の食費
一金拾六銭  米麦代
一金五銭   副食物代
  合計二十一銭、一食七銭也。
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿六日[#「六月廿六日」に二重傍線] 快晴。

早起、梅雨晴、どうやら梅雨もあがつたらしい。
今日も郵便は来ないのか、誰か来ないかな。
午前、暮羊君徃訪、酒によばれ新聞を貸して貰ふ。
午後、暮羊君来訪、四方山話。
散歩がてらポストへ、そして……あゝ。……

 六月廿八日[#「廿八日」はママ] 晴。

――どんなに私が愚劣であつたかは、事務室へまで押しかけて、かつて怒つたことのない樹明君を怒らしたことでも解る、何といふ愚劣だらう、あゝ私は樹明君に何と詫びたらよからう。――
乱酔して、昨夜も 今夜もW店に倒れてゐた。

 六月廿八日[#「六月廿八日」に二重傍線] 晴。

庵中独坐、自責に堪へないで苦悩するばかりだつた。

 六月廿九日[#「六月廿九日」に二重傍線] 晴。

自省自戒。
妄執を払拭せよ
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