。
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・珍問答
お月さんですよ!
小鳥でございます。
・すゞしく鼻毛をぬいてもらふ。
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六月卅日[#「六月卅日」に二重傍線] 曇。
すこし落ちつく、身辺を整理する。
青山青白雲白[#「青山青白雲白」に傍点]、――私の境地はこゝにある。
夏蝉が鳴きだした。
七月一日[#「七月一日」に二重傍線] 曇――晴――曇。
新一歩[#「新一歩」に傍点]。――
早起して、清掃、洗濯。
おちついて読書。
梅雨模様だけれど私は晴れつゝある。
酒に執するなかれ[#「酒に執するなかれ」に傍点]、たゞ酒に執しない様にと私は私に願求、私には名利の慾望はあまりない、ないといつてもよいぐらゐだ、酒が飲みたい、――これが私の慾であり癌である、私はほんたうに酒を味ふやうになりたい、ならなければならない。――
句には執してもよい、それが私の生きぬく道[#「私の生きぬく道」に傍点]でもある、私は酒に於て[#「私は酒に於て」に傍点]、そして句に於て私の宿業を感じる[#「そして句に於て私の宿業を感じる」に傍点]、感ぜざるを得ないのである[#「感ぜざるを得ないのである」に傍点]。――
行乞の仕度をする、近々旅に出ようと思ふ、旅は私を新たにする(酒は私を甘やかしすぎる)。
行乞しなければいけない、行乞は私を深める(酒は私を狂はしめる)。
私は落ちついた、このしづけさは嵐のあと[#「嵐のあと」に傍点]のそれだ、私は先日慟哭した、あふれる涙が身心を洗ひ浄めた。
強い人間であれ[#「強い人間であれ」に傍点]。――
知足安分の境地、何よりも貪る心[#「貪る心」に傍点]があさましい、酒に対する私の態度は何といふ醜さぞ。
断乎として節酒減食[#「節酒減食」に傍点]を実行する。
中村さんが山口からの帰途来訪、慰忠魂菓子(板垣陸相供ふるところの)お裾分を頂戴した、そしていつものやうに、貧乏の話、文学の話、戦争の話をしておとなしく別れた。
終夜不眠(夜中眠れないなどゝいふことがあるべきでない、食べる物がうまくないことがあつてはならないやうに)。
七月二日[#「七月二日」に二重傍線] 曇。
いよ/\梅雨晴らしい。
朝蝉のよろしさ、藪蚊のにくさ。
飯が足らないので(米もないので)、筍粥にしていたゞく。
過去一切を清算せよ[#「過去一切を清算せよ」に傍点]、しなければならない[#「しなければならない」に傍点]。
手紙を書く、樹明君へ、そしてKへ、書きをへてほつとした、こんな手紙は書きたくない、書いてはならない。
ポストへ、五日ぶりの外出、W店で飲む、空腹と睡眠不足のためだらう、たいへん酔うた、酔うて彷徨した、とうたう倒れてしまつた。……
七月三日[#「七月三日」に二重傍線] 晴――風――曇。
朝酒一本飲んで戻つた。
戦時的色彩が日にまし濃厚になる、私もひし/\と時局を感じる、しみ/″\戦争を感じる。
土方母堂、そしてリユシコフ将軍の新聞記事が胸をうつた、あゝ人間。
自然はよいかな[#「自然はよいかな」に傍点]、芸術はありがたいかな[#「芸術はありがたいかな」に傍点]。
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山頭火に与ふ
酔中の自己打診
自己批判
自己忠告
生死の一線
彷徨
超越
逍遙
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七月四日[#「七月四日」に二重傍線] 曇、時々微雨。
早起したが食べるものはない、番茶を飲むだけ。
絶食、――思索、――読書、――句作。
Kから女子出産、母子共健全とのたよりがあつた、めでたしめでたしと独り言をいふばかりである!
雑草を活ける、甘草はよろしいな、いぬころ草は可愛いな。
暮れてから、暮羊君来訪、暫時俳談。
夜は空腹も忘れて、近作の推敲に一心だつた。
七月五日[#「七月五日」に二重傍線] 雨。
寝床の中へまで雨が漏つてきたので、びつくりして、詮方なしに起きたが、まだ夜が明けない、裏の棚田で水鶏がせつなげに啼いてゐた。……
落ちついて紫蘇茶一杯すゝつて読書。
うれしいたよりが二つ、一つはKから、そして一つは樹明君から。――
山口へ行く、三月ぶりだ、折よく来てくれたバスに乗つて、まづ一杯、また一杯、また/\一杯。
買へるだけ買ふ、――といつても僅かだが、――持ちきれないほどの品物を持つて、雨の中を戻つた、大出来、大出来!
また街へ、また買物。
ゆつくり晩酌をやつてゐるところへ、暮羊君来庵、いさゝかの酒を酌みかはしながら俳談する。
それからまた/\街へ、払へるだけ払ふ、そして飲めるだけ飲む。……
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○象徴詩[#「象徴詩」に傍点]としての俳句
俳句の象徴性
○俳句は気合[#「気合」に傍点]のやうなものだ、禅坊主の喝[#「禅坊主の喝」に傍点]のやうなものだと思ふ。
○自己に徹することが自然に徹することだ[#「自己に徹することが自然に徹することだ」に傍点]。
自然に徹するとは空の世界[#「空の世界」に傍点]を体解[#「解」に「マヽ」の注記]することである。
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七月六日[#「七月六日」に二重傍線] 雨。
……いつのまにやら、どうしてやら、ちやんと帰つて来て寝てゐた。……
今日も山口へ行く、ハイカイコジキだ、つらいね。
W君もH君もN君も不在、H君には逢へた、小学校はよいな、参観してゐると涙ぐましくなる。
湯田はよいとこ(たゞ温泉がある故に)、酔うてとうたうS屋に泊る、いやなおかみさんだけれど、宿そのものは悪くない。
おかげでぐつすり、ほんにぐつすり睡れた。
七月七日[#「七月七日」に二重傍線] 曇――雨。
朝酒は止めて、一浴して歩いて帰つた。
日支事変一周年、正午のサイレンと共に黙祷、あゝ……あゝ。
夕方、樹明君と敬君と同道して来庵、うれしかつた、酒とビフテキとの御馳走を頂戴する、内證内證!
七月八日[#「七月八日」に二重傍線] 雨――曇。
早すぎるけれど早く起きた、短夜がまだ長すぎる、年はとりたくないものだ、朝酒の御馳走をいたゞく。
落ちついて読書。
欝欝たへがたくして、――酒まで苦い!
七月九日[#「七月九日」に二重傍線] 晴。
朝寝だつた、霄[#「霄」に「マヽ」の注記]れわたつた大空を昇る太陽!
いよ/\梅雨もあがつたらしい、暑くなつた、すこしぢたばたすると汗びつしよりになる、いよ/\夏だ。
旅、旅、行乞、行乞、山頭火、山頭火。
愛国婦人会の本部から来信、傷病将士慰安のために書画展覧会を開催するから、彩筆報国の意味で寄贈せよとの事、私は喜んで、ほんたうに喜んで寄贈する、それだけでも私の自責の念はだいぶ救はれる、ありがたいと思ふ。
心も軽く身もかろく、あたりを整理する。
ちよつと街へ出かけて、米と油を買ふ。
もう裸がよくなつた、裸で勉強する。
まつたく不眠、蛙のコーラスも悪くないな。
七月十日[#「七月十日」に二重傍線] 晴――曇――雨。
未明起床、夜が朝となる景象を観賞する、不眠の余得とでもいはうか。
早朝、訪問者があつて、風呂の売物はないかと訊ねる、それも面白かつた。
今日も好晴(夕方くづれたけれど)、炎天らしくなつて照りつける、私は冬が嫌ひなだけ夏が好きだ。
暮羊君来訪、そして暮羊居徃訪、カン/\帽(むろん去年の)を頂戴した。
澄太君へ送るべき原稿を書きあげてポストへ、帰途、W店に寄ると、Tといふのんべい[#「のんべい」に傍点]さんがゐる、いつしよに飲む、飲むより酔ふた、酔うたけれど乱れなかつた。
愛国婦人会へ寄贈すべき半切の画箋紙を暮羊君から寄贈して貰つた。
労れて酔うて熟睡した、めでたし/\。
七月十一日[#「七月十一日」に二重傍線] 晴。
今日は遺骨を迎へる日である。
十時のバスで山口へ行く、一張羅を質入して、やうやく小遣をこしらへて、――理髪する、温泉にはいる、一杯ひつかける、――山口駅は儀仗兵やら遺族やら、大衆やらが炎天の下にたたずんで待つてゐる、私もその一人となる、暑い暑い、ばら/\雨が天の涙[#「天の涙」に傍点]のやうに落ちる!
十二時過ぎて、その汽車が着いた、あゝ二百数十柱! 声なき凱旋、――悲しい場面であつた。
白い函の横に供へられた桔梗二三輪、鳩が二三羽飛んで来て、空にひるがへる、すすり泣きの声が聞える、弔銃のつゝましさ、ラツパの哀音、――行列はしゆく/\として群集の間を原隊へ帰つて行つた。……
一応帰庵して、五時の列車でSへ、四月ぶりの徃訪であつたが、まるで叱られにいつたやうなものであつた、泰山木が咲いてゐた、私の好きな花、そしてなつかしい花。
土蟹、蛙、水鶏の声、水音、物みなしづかでおちついてゐる、私の心臓だけがあはたゞしい!
酒、酒はうまい。
一杯機嫌で、愛国婦人会から申込まれてゐた半切と短冊とを書きあげる(傷病将士慰問、書画即売、展覧会の一部として、私は喜んで書いて贈るのである)、慰安するのでなくて[#「慰安するのでなくて」に傍点]、かへつて慰安されるのだ[#「かへつて慰安されるのだ」に傍点]!
自己嫌忌、自己嘲罵がこみあげてくるが、幸にして酔うて熟睡することが出来た。
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途上見聞の一、
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日の丸をふりまはす子供に母親が説き諭してゐる。――
今日はバンザイではありませんよ[#「今日はバンザイではありませんよ」に傍点]、おとなしくお迎へするんですよ。
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血縁の重苦しさよ[#「血縁の重苦しさよ」に傍点]。
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七月十二日[#「七月十二日」に二重傍線] 曇――晴。
早起すぎるけれど起きる、五時をちよつとまはつたところだ、そこらを散歩する。
蛙は愛嬌者だが、蟹もなか/\の愛嬌者だ。
大崎の郵便局まで出かける、玉祖神社に参拝。
神域の清らかさ、朝酒臭いのが恥づかしい。
一時の汽車で帰省、味噌と浴衣と小遣とを貰つて、どの駅にも帰宅する遺骨を迎へる人々、また暗涙をそゝられる。
夕方散歩、W店に寄る、K老人が飲んでゐる、いつしよに飲みかはすうちにたうとう寝入り込んでしまつた。
飲仲間[#「飲仲間」に傍点]! 私の仲間、K老人もその一員である。
七月十三日[#「七月十三日」に二重傍線] 雨。
朝飯を御馳走になつて、跣足で戻つた。
昨日の今日[#「昨日の今日」に傍点]で、身心が何となく重苦しい、罰だ、罰は甘んじて受けなければならない。
物資統制、価額[#「額」に「マヽ」の注記]公定、等々で戦時色が日にまし濃厚になる、私もまた日にまし生活の窮迫に苦しむ、だが、物心総動員[#「物心総動員」に傍点]の秋だ、誰でもが頑張らなければならない。
窓にちかく竹の子が枝を葉をひろげる。
どこからともなく、いつからともなく鼠がやつて来て、いたづらをする、鼠よ、食べる物のあるところへ行きなさい!
ポストまで出かけて、いろ/\買物をする、米、麦、石油、豆腐。……
自動車に轢かれて、小犬が断末魔の悲鳴をあげてゐる、見るにたへない、聞くにたへなかつた。
夏水仙を持つてかへつて活ける、楚々として純白な美しさ。
生れて初めて糠味噌[#「糠味噌」に傍点]をこしらへる、少々塩が利きすぎたが、うまく出来た、さつそく茄子を漬ける。
今日は楽しい日だつた、今日は今日の幸福[#「今日の幸福」に傍点]を味はつた、有難い一日であつた。
夕、敬君来庵、間もまく[#「間もまく」はママ]、酒と肴とを持つて暮羊君来庵、三人でつゝましくたのしく飲んだ。
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私はよく物を貰ふ、人がよく物を下さる。
私は何でもありがたく頂戴する。
私は物貰ひ[#「物貰ひ」に傍点]に出来てゐる人間だらうか。
恩に狎れてはいけない。
人情に甘えてはならない。
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七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線] 晴、曇。
早起、花を剪る、車百合は床の壺に、夾竹桃は仏前に。
身辺整理。――
Sから貰つた味噌を食べる、何だか涙ぐましくなつた。
いろ/\のたよりを受取る、いろ/\のたよりを発送する。
旧
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