の六月十七夜、椹野河原は人出が多からう、今年は煙火の催物はないが。
近在散歩、歩けばずゐぶん暑い。
ふと気づくと、縞萱を盗み切られてゐる、惜しいと思ふよりも嫌な気がする。
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・関東震災遺聞
・H老人とマツチ
・K夫人と水道
・汁かけ飯
・感謝、水、米、生命
惜しむのではない、尊ぶのである。
物を大切にする心[#「物を大切にする心」に傍点]
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七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線] 曇、晴。
早起、読書、思索、句作、散歩。――
曇ると梅雨らしいが、晴れると炎天だ。
今日もポストまで出かける、ついでに新聞を借りて読む。
人さま/″\といふ感が深い。
ポストへ、アメリカ行の小包が入国拒絶で返つて来たので(茶の実を入れてあつたので)、不快を覚えたが、入浴してさつぱりと忘れてしまうことが出来た。
夕方、敬君来、つゞいて樹明来、暮羊来、お土産のハムを下物におもしろく飲み、めづらしく句を作つたが、三人いつしよに街へ出かけて、K屋、F屋とほつつき歩いて、みんなだらしなくなつた、先づ敬君が行方不明、樹明君が雲隠れ、そして虎になつた暮君を虎になりたがる山頭火が辛うじて引張つて帰つた、二時頃だつたらう。
句会が苦界[#「句会が苦界」に傍点]になつた次第である。
七月十六日[#「七月十六日」に二重傍線] 晴。
不快、内外清掃。
桔梗が咲き初めた。
自戒、自粛、自制せよ、孤坐観心[#「孤坐観心」に傍点]。
かねての約束の如く、山口詩選[#「山口詩選」に傍点]出版記念茶話会へ招待されたので出かける、一時のバスで湯田へ。
いつものやうに一浴して(一杯は差控へて)、白石校に長谷さんを訪ねる、それから下井田さんを訪ねる、新聞雑誌を読ませて貰ふ、行水させて貰ふ、夕飯の御馳走になる、酒三本、快く微酔した、ハダカとハダカとのつきあい[#「ハダカとハダカとのつきあい」に傍点]はうれしかつた。
七時前、長谷、福富、下井田等と八木食堂へ、出席者十人ばかり、新聞記者がしやべること/\、私もまけずにしやべりちらしたが。
十時頃、そこを切りあげて、長谷君の部屋で飲む、誰もが興奮してゐる、和田君は泣いて語る、中原君は酔うて寝る、下井田君は人生批判をつゞける、福富さんと長谷さんとはおとなしい、私はやたらに飲む、……それから湯田へ出かけて飲みつゞける、三時近くなつたので、すまないが、中原君の蚊帳の中に入れて貰つた。
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□老人対話(湯田浴場にて)
□座席を譲られて(バスの中で)
□ステツキから杖[#「ステツキから杖」に傍点]に
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七月十七日[#「七月十七日」に二重傍線] 快晴、真夏。
早々眼覚めたけれど、朝寝の癖があるらしいから遠慮して九時過ぎ起きた、すぐ温泉へ出かけて一浴、そして一杯、朝飯を頂戴してお暇乞する、二人はさらに椹野川で泳いだ、河原の石ころがそれ/″\のよさを具へてゐる事実に今更のやうに驚嘆したりした。
明日の来庵を約して、一時半の汽車で帰庵。
留守に福富さん来訪、すまなかつた、外に誰だか友達もやつて来たらしい。
七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線] 晴。
朝早く身もかろく心もすが/\しく。
句稿など整理しつゝ待つてゐる。――
正午すぎ中原君来庵、焼酎を奢つて貰つて飲みかはす、どちらも酔うてしまつて、湯田へ出かける、それはやつぱり酔興だつた、酔中はなれ/″\になつて、そここゝさまようたが、やうやく夜が明けて歩いて戻つた。……
自制、自制、今の私に缺げてゐるものは、無くてならないものは自制である、自制せよ[#「自制せよ」に傍点]、自制せよ[#「自制せよ」に傍点]。
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┌自我本位説
└生命〃〃
新らしい生命観[#「新らしい生命観」に傍点]
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七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線] 晴。
暑かつた、――まつたく真夏の天地になつた。
茫々たり、漠々たり、混沌として何物もなし、しかも堪へがたく憂愁たゞよふ。……
夜、中原君来訪、同君のよさが事毎にあらはれて、ます/\好きになる、私を心配してくれる心持がたまらなくうれしい、酔態の見苦しかつたことを聞かされたが、大した醜態は演じなかつたらしい、日頃の狂態までには到らなかつたことを知つて、ほつとした。
蚊帳の中でランプも点けないで、十一時まで話し合つた。
かねて読みたいと思つてゐた雪国と浅草紅団とを持つて来て下さつた、ありがたし/\。
労れて安心して安眠した、めでたし/\。
今日はまたアメリカの大月さんからコーヒーを頂戴した、ありがたう/\/\。
七月廿日[#「七月廿日」に二重傍線] 晴。
申分のない土用入。
快眠した朝の心、落ちついて読書。
みん/\蝉がだん/\家ちかく身ぢかく来て鳴きつゞける、しみ/″\とした気分で聴いてゐる。
蟻よ、君の勤勉には頭がさがるが、家の中まではいつてくれるな、からだを螫さないやうに頼むよ。
母蜘蛛よ、子袋は重からうな、大切にしなさい。
――無くなつた、やつと見つかつた、ほつとした、それは巻煙草一本のゆくへである、――神経衰弱的動作はよろしくない。――
暮れて暮羊君来庵、先夜の連中に対して不平をならべる、近日、飲み直すことにする、何とか彼とか、酒飲は酒を飲む機会と口実とをつかむものである!
七月廿一日[#「七月廿一日」に二重傍線] 晴。
沈静、句稿整理。
暮羊居から新聞を借りて読む、婦人公論も。
まつたく土用だ、よい暑さだ!
夕風に吹かれて散歩、飲みたくなつて、銭はないけれど、Wさんを訪ねて、飲まして貰ふ、酔つぱらふ、でも戻ることは戻つた、こけつまろびつで。――
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“諸行無常”
“木魂”
随処作空[#「空」に「マヽ」の注記] 立処皆真
(臨済)
・老木挽さんがいふ――
・山の子[#「山の子」に傍点]は山で。――
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七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線] 晴、晴、晴。
――宿酔気味――散歩――山口へ――Sさん、Wさん、Fさん、――酔境空寂、――最終バスで帰庵、――風呂敷包も、下駄も、何もかもなくなつてしまつた、――あゝさつぱりした、よかつた!
七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線] 晴。
空々寂々。――
花屋が来て、縞萱と桔梗とを所望して、十五銭くれた。
暮羊居で米一升分けて貰ふ。
初めて熊蝉が鳴く。
夾竹桃の花が美しい、まさに万緑叢中紅一点。
飯のうまさ。
暮羊君来庵、同道して、四時の汽車で防府へ行く、令兄のところで御馳走になる、悪筆を揮ふ、十時の汽車で帰る、駅前でIさんに逢ふ、三人で飲む、近来にない愉快な一夜だつた。
帰庵したのは一時頃だつたらう、蚊帳も吊らないで寝てしまつた!
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・花の良心
花屋老人の事
・停車場待合室
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七月廿四日[#「七月廿四日」に二重傍線] 晴、風が涼しかつた。
私は二日酔をしない、いうぜんとして落ちついてゐる。
涼しい昼寝、あゝ勿体ない、赦して下さい、すみません。
昼も夜も暮羊君来庵、ブラジルコーヒーを味ふ。
今夜は意外な訪問者があつた、Mのおかみさんとその娘、何もないからコーヒーを少しあげた!
涼しすぎる風、蒲団なしでは寝てゐられなかつた。
七月廿五日[#「七月廿五日」に二重傍線] 晴。
早起、焼香、肌寒。――
節食、それは絶食の前提となるだらう。
老鶯啼く、ゆつくりしんみりコーヒーを味ふ。
所在なさにあちらへいつたりこちらへきたり、そこらをあるきまはる。……
雪国[#「雪国」に傍点]を読む、寂しい小説だ、康成百パアの小説だ、人生は一切徒労か、情熱いたづらに燃えて、燃えつくすのか!
よい日であつた、よい風が吹いた、よい人生であれ。
午後、暮羊君来庵、読書、昼寝、談笑。……
身心が何となくだるい、風に労れたのでもあらうか。
Yさんの戦死は私を悲しがらせて、――どうにもならない。
七月廿六日[#「七月廿六日」に二重傍線] 晴――曇。
好晴がつゞいたが曇となつた、どうやら雨が近いらしい、物みな待ちかまへてゐる。
待つともなく待つもの[#「待つともなく待つもの」に傍点]、――来なかつた。
絶食[#「絶食」に傍点]、食べるものがないから食べないのだが、身心清掃[#「身心清掃」に傍点]の工作としてよろしい。
落ちついて読書。――
七月廿七日[#「七月廿七日」に二重傍線] 曇――晴。
未明起床、明けゆく情調を味ふ、よいかな、夏の朝。
絶食第二日、梅茶一杯、身心安静。
散歩、五日ぶりの外出である、一杯借りた機嫌で、米も石油も借りて帰つた!
飯のありがたさ、あたゝかい麦飯のうまさ。
九江陥落! ああとさけぶほかない、この感嘆詞には千万無量のおもひがこもつてゐる。
まことに盛夏酷暑だ。
夕立が来てくれさうな雷鳴だつたが、ばら/\雨で終つた、一雨ざつと来ると、人間よりも草木がよろこぶだらうに。
暮羊君の奥さんからカマス二尾頂戴する、憾むらくは酒がないと嘆じてゐるところへ、暮羊君が一本さげて来庵、ほんたうにうまい酒であり、そしてよい酒[#「よい酒」に傍点]であつた。
おかげで、前後不覚、ぐつすり睡れた。
七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線] 晴。
ようねむれた朝のこゝろたのしく。
浅草紅団[#「浅草紅団」に傍点]、なか/\おもしろい。
何となくいら/\して落ちつけない、どうしたのだらう、気まぐれ山頭火[#「気まぐれ山頭火」に傍点]!
今日もずゐぶん暑かつた、我がまゝ気まゝに暮らした、感謝々々。
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・断食か、行乞か。
・閑愁
・うれしがりや
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七月廿九日[#「七月廿九日」に二重傍線] 晴曇。
早く起きた、朝蝉まことによろし。
何となく倦怠、顔を剃り、身体を水拭きする。
すなほにつゝましく読書。
今日は一句もなかつた、それでよろし、それもよからう。
七月卅日[#「七月卅日」に二重傍線] 曇。
落ちついて、――蝉も私もきり/″\すも。
今日も郵便は来なかつた。
胡瓜一つ――一つしか生《ナ》つてゐない――をもいで御飯をたべる。
私としてはめづらしく頭が痛い、散歩、暮羊居で、ラツキヨウを下物にコツプ酒。
夕方、樹明君来庵、飯が食べたいといはれても、麦飯、胡瓜、味噌、そして白湯しかなかつた、杉の葉を燻して、しばらく漫談。
しづかさ、さびしさ、かなしさ、早く寝た。
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軽く詠うて深く感じさせる[#「軽く詠うて深く感じさせる」に傍点]。
良心――意志――行動
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七月卅一日[#「七月卅一日」に二重傍線] 曇、微雨。
沈欝。――
涼しすぎる、秋風のやうな。――
五日ぶりに、やつと郵便が来たことは来たけれど。――
煙草がなくなつた、食べるものもなくならうとしてゐる。
シヨウユウライス[#「シヨウユウライス」に傍点]!
歳[#「歳」に傍点]事[#「事」に「マヽ」の注記]記[#「記」に傍点]を読みつゞける。――
八月一日[#「八月一日」に二重傍線] 雨――曇――晴。
朝のうちは時化模様で、風雨が強くなりさうだつたが、だん/\おさまつて、おだやかな晴天になつた。
つゝましく、今日も歳事記を読みつゞけた。
早寝する。
八月二日[#「八月二日」に二重傍線] 晴――曇。
絶食、身心を清掃しよう[#「身心を清掃しよう」に傍点]!
思ひがけなく、Kからうれしい手紙、といふよりもありがたい手紙が来た、あゝKよ、Kよ、私は、私は。……
樹明君酔つぱらつてころげこんだ、寝せてをいて、街へ出かける、買物いろ/\、何よりも、米と酒!
樹明君と同道して暮羊居まで。
私は旅へ。――
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八月三日┐
├旅日記
〃 八日┘
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底本:「山頭火全集 第八巻」春陽堂書店
1987(昭和62)年7月25日第1刷発行
※底本は、物
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