、自然の断片――ああ、それは私を最も愛してくれる、そして私の最も愛する老祖母ではないか。
 老祖母の膝にもたれて『白』と呼び慣れている純白な猫が睡っている。よほどよく睡っていると見えて、手も足も投げ出して長くなれるだけ長くなっている。かすかな鼾の声さえ聞える。
 その猫の尻尾に所謂『秋蠅』が一匹とまっている。じっ[#「じっ」に丸傍点]として動かない。翅の色も脚の色もどす[#「どす」に丸傍点]黒く陰気くさい。衰残の気色がありあり[#「ありあり」に丸傍点]と見える。
 秋の田園を背景として、蠅と猫と老祖母と、そして私とより成るこの活ける一幅の絵画。進化論の最も適切なる、この一場の実物教授。境遇と自覚。本能と苦痛。生存と滅亡。
 自覚は求めざるをえない賜である。探さざるをえない至宝である。同時に避くべからざる苦痛である。
 殊に私のような弱者に於て。
       ○
 新刊書を買うて帰るときの感じ、恋人の足音を聞きながら、その姿を待つときの感じ、新鮮な果実に鋭利なナイフをあてたときの感じ。……
 その日の新聞を開いたときの匂い、初めて見る若い女性に遇うたときの匂い、吸物碗の蓋をとったときの
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