燃焼の表現を外にして自己を全力的に表現し得ないのである[#「象徴は生命の刹那的燃焼の表現を外にして自己を全力的に表現し得ないのである」に傍点]。かるが故に象徴的表現しか自己を表現し得ない場合に於て[#「かるが故に象徴的表現しか自己を表現し得ない場合に於て」に傍点]、換言すれば或る刹那に於ける自己表現の方式として唯一の象徴的表現が存在する場合に於て象徴的表現は最大の効果を発[#「換言すれば或る刹那に於ける自己表現の方式として唯一の象徴的表現が存在する場合に於て象徴的表現は最大の効果を発」に傍点]輝[#「輝」に「ママ」の注記]するのである[#「するのである」に傍点]。
そして文芸に於ては詩、殊に俳句は性質上又形式上かくの如き境地をかくの如き方式によって表現せざるを得ないのである。
広い意味新しい意味に於ての象徴主義は霊肉合致であり神人渾融である。そして古典主義と浪漫主義(自然主義以後のそれらで『新』字を附せられている)との合一である(中村星湖氏片上伸氏等の最近論文参照)。私にはよく解らないが当来の新文芸は象徴主義によって生れるのではないかとも思う。
象徴的表現ということに関聯して忘れ
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