其中日記
(十二)
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)業《ゴウ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|杯《ツキ》の

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/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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知足安分。

他ノ短ヲ語ル勿レ。
己ノ長ヲ説ク勿レ。

応無所住而生其心[#「応無所住而生其心」に傍点]。

独慎、俯仰天地に愧ぢず。

色即是空、空即是色。

誠ハ天ノ道ナリ、コレヲ誠ニスルハ人ノ道ナリ。
[#ここで字下げ終わり]

 一月一日[#「一月一日」に二重傍線] 晴――曇、時雨。

午前中は晴れてあたゝかだつたが、午後は曇つて、時雨が枯草に冷たい音を立てたりした。
――別事なし[#「別事なし」に傍点]、つゝましくおだやかな元日であつた(それが私にはふさはしい)。
賀状いろ/\、今年は少い、緑平老よ、ありがたう、独酌のよろしさ(鰯の頭[#「鰯の頭」に傍点]をしやぶりながら!)。
餅もある、餅のうまさが酒のうまさを凌がうとする。
終日、独坐無言[#「独坐無言」に傍点]。――

 一月二日[#「一月二日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、しぐれたり。

をり/\しぐれてしめやかな一人正月[#「一人正月」に傍点]であつた。
今日は新聞のない日[#「新聞のない日」に傍点](関西の新聞聯合申合で休刊)、そのことだけでもさびしい/\。
――求めず(たとへば平安を)、貪らず(たとへばアルコールを)、あるがまゝに[#「あるがまゝに」に傍点]、なるがまゝに生きぬかう[#「なるがまゝに生きぬかう」に傍点]。
今日も独坐無言だつた!

 一月三日[#「一月三日」に二重傍線] 曇。

寒気りんれつ、小雪ちらほら。
炭火のうれしさ、餅のおいしさ(今朝は食べる物がないので、仏壇のお供餅を頂戴した)。
鶲がさびしさうに啼いて遊ぶ、さびしいお正月だ。
午後、米買ひに街へ出かける、寒いことだけが正月風景らしい、今年最初のコツプ酒一杯!
今日も独坐無言のつもりだつたが、夕方になると、たうとうやりきれなくなつて、湯田温泉へ、――S屋に泊る。
途上で、美しい兄妹風景を見た、そして宿屋では、あさましい痴情風景を見せつけられた。
夜は同宿の植木屋老人に誘はれて諸芸大会見物、二十銭の馬鹿笑である。
咳が出て困る、感冒がこぢれてどうやら喘息らしくなる、睡れないのは苦しいが、苦しくてもこらへる外ない。

 一月四日[#「一月四日」に二重傍線] 曇。

早朝、入浴して、そして二三杯ひつかける。
身心何となく不調、焼酎のたゝりらしい、慎むべきは火酒を呷ることだ、省みて、自分の不節制に驚く。
午後、無事帰庵。
やつぱり自分の寝床がどこよりもよろしい!
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朝湯極楽 朝酒浄土
醒めりや地極[#「極」に「マヽ」の注記]の鬼が来る

個人を不幸にするもの、私を意味なく苦悩せしめるものは――
  暴飲
  借金
今年の私はこの二つの悪徳から脱却しなければならない。

年をとつて、貧乏すると、食意地[#「食意地」に傍点]だけになる、我ながらあさましいけれど疑へない事実だ。
[#ここで字下げ終わり]

 一月五日[#「一月五日」に二重傍線] 時雨。

めづらしく朝寝した、肉身をいたはつて臥床。
喘息らしい、それもよからう、からだが病めば[#「からだが病めば」に傍点]、こゝろがおちつく自信[#「こゝろがおちつく自信」に傍点]を私は持つてゐる。

 一月六日[#「一月六日」に二重傍線] 雪しぐれ。

今にも雪が降りだしさうな、――降りだした。
寒の入、寒らしい寒さだ(一昨冬の旅をおもひだす)。
昨日も今日も独坐無言。――

 一月七日[#「一月七日」に二重傍線] 曇。

雪、雪、寒い、寒い、身も心も冷える。……
――人を憎み物を惜しむ執着から抜けきらない自分をあはれむ。――
終日不動、沈黙を守る、落ちついてゐることの幸福感。
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煩悩即本能、本性発揚[#「本性発揚」に傍点]
統制、自律的に、社会国家的に
生活、生活の展開
人間、人間の価値、人生の意義
[#ここで字下げ終わり]

 一月八日[#「一月八日」に二重傍線] 雪時雨。

みそつちよも寒さうにそこらをかさこそ。
煙草がなくなつた、炭もなくならうとしてゐる、石油も乏しくなつた、米も残り少ない、醤油も塩も。……
樹明君からの来書は私の胸を抉るやうに響く、あゝすまない/\。
私は肉体的には勿論、精神的にも死の方へ歩いてゐる、生の執着は死の誘惑ほど強くない。
文字通り、門外不出だつた。

 一月九日[#「一月九日」に二重傍線] 曇。

粉雪ちら/\、寒い/\、缺乏/\。
午後、ちよつと街へ、六日ぶりに一杯ひつかけたが、酒屋の前を通り過ぎたやうな気分で、はかない/\。
米があるならば、炭があるならば、そして石油があるならば、そして、そして、そしてまた、煙草があるならば、酒があるならば、あゝ充分だ、充分すぎる充分だ!(わざと、充の字[#「充の字」に傍点]を用ひる)
夕方、久しぶりに暮羊君来庵。
身心不調、臥床、生きてゐることの幸不幸[#「生きてゐることの幸不幸」に傍点]。
さびしいけれども[#「さびしいけれども」に傍点]、――まづしけれども[#「まづしけれども」に傍点]、――おちついてつゝましく[#「おちついてつゝましく」に傍点]。――
けち/\するな[#「けち/\するな」に傍点]、――くよ/\するな[#「くよ/\するな」に傍点]、――いうぜんとしてつゝましく[#「いうぜんとしてつゝましく」に傍点]。――
[#ここから1字下げ]
私が若し昨日今日のうちに自殺するとしたならば、そして遺書を書き残すとしたならば、こんな文句があるだらう。――
[#ここから3字下げ]
枯木も山のにぎはひといふ、私は見すぼらしい枯木に過ぎないけれど、山をにぎはさないでもあるまいと考へて、のんべんだら/\生き存らへてゐたが、もう生きてゐることが嫌になつた、生きてゆくことが苦しくなつた、私は生きて用のない人間だ、いや邪魔になる人間だ、私が死んでしまへばそれだけ自他共に助かるのである。
枯木は伐つてしまへ[#「枯木は伐つてしまへ」に傍点]、若木がぐい/\伸びてきて、そしてまた、どし/\芽生えてきて、枯木が邪魔になる、伐つて薪にするがよい。
そこで、私は私自身を伐つた[#「私は私自身を伐つた」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]

 一月十日[#「一月十日」に二重傍線] 曇――晴。

東京の榧子さんから、おいしいせんべいを頂戴した。
臥床、しみ/″\死をおもふ、ねがふところはたゞそれころり徃生[#「ころり徃生」に傍点]である。……
暮れ方から石油買ひに出かける、寒月がよかつた。

 一月十一日[#「一月十一日」に二重傍線] 曇。

――米がなくなつた、炭もなくなつた、そして口と胃とがある、生きてゐることは辛い。――
さむいな、さびしいな。
今日やうやく賀状のかへしを五六通書いて出した。
昨日今日多少寒さがゆるんだやうで、雪もよひが雪にならないで時雨になつた。
ねむれないので句の推敲をする。
更けて弱震があつた、それも寂しい出来事の一つ。
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田舎者には田舎者の句
老人には老人の句
山頭火には山頭火の句

┌素質┐
│年齢┼個性
└環境┘
┌創作的活動
│   量よりも質
└批判、沈潜、表現
[#ここで字下げ終わり]

 一月十二日[#「一月十二日」に二重傍線] 晴――曇――時雨。

霜晴れの太陽を観よ。
風が出て来た、風を聴け。
しようことなしにポストまで(SOSの場合だ!)、途中一杯ひつかけたが、足らないのでまた一杯、折からの空腹で、ほろりとして戻る(のん気なSOSの場合だね!)。
庵中嚢中無一物、寒いこと寒いこと(床中で痛切に自分の無能無力を感じた、私には生活能力[#「生活能力」に傍点]がない、そして生活意慾をもなくしつゝある私である)。

 一月十三日[#「一月十三日」に二重傍線] 曇、折々氷雨。

薄雪、さらさらさら解ける音はわるくない。
今朝は食べるものがなくなつたので、湯だけ沸かして、紫蘇茶数杯、やむをえない絶食[#「絶食」に傍点](断食[#「断食」に傍点]とはいへない!)であるが、上海では毎日窮民が何百人も凍死餓死するさうだから、それを考へると、こんなことは何でもない。
午後、寝てゐたけれど、やりきれなくなつて出かける、W店で一杯ひつかけた元気でF店へ行き米を借らうとしたが娘一人で話がまとまらない、さらにN店へ飛びこみ、また一杯ひつかけて、愚痴をならべて主人から米代若干借ることが出来た。……
今年最初の羞恥だ[#「今年最初の羞恥だ」に傍点]!
米と麦とを持つて戻り、ほつとしてゐるところへ学校の給仕が樹明君の手紙を持つて来た、こたえた、私は何と答へよう、かう書くより外なかつた、それがせいいつぱいの返事だつた[#「せいいつぱいの返事だつた」に傍点]。――
……忘れてもゐません、捨てゝもおきません、どうぞあてにしないで待つてゐて下さい。……
あゝ金が敵の世の中である、自他共に誰もが金に苦しめられてゐる、跪いてゐる、あゝ。
うどん一杯、何といふうまいうどんだつたらう!
餅のうまさは何ともいへない!
よく食べてよく睡つた。
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   事変俳句について[#「事変俳句について」に白三角傍点]
俳句は、ひつきよう、境地の詩[#「境地の詩」に傍点]であると思ふ、事象乃至景象が境地化[#「境地化」に傍点]せられなければ内容として生きないと思ふ。
戦争の現象[#「戦争の現象」に傍点]だけでは、現象そのものは俳句の対象としてほんたうでない、浅薄である。
感動が内に籠つて感激となつて表現せられるところに俳句の本質[#「俳句の本質」に傍点]がある。
事実の底の真実[#「事実の底の真実」に傍点]。――
現象の象徴的表現[#「現象の象徴的表現」に傍点]、――心象[#「心象」に傍点]。
凝つて溢れるもの[#「凝つて溢れるもの」に傍点]。――
[#ここで字下げ終わり]

 一月十四日[#「一月十四日」に二重傍線] 晴。

(木炭がないので)焚火しながら、そこはかとなく、とりとめもないことを思ひつゞける、焚火といふものはうれしい。
午後、Nさん久しぶりに来庵、明けてからの第二の来庵者である(第一の訪問者は九日の暮羊君であつた)、焚火をかこんで閑談しばらく、それから連れ立つて近郊を散歩、おとなしく別れた(昨年の新春会合はよくなかつたが)。
夕、S君来訪、樹明君の意を酌んで、――あゝすまない、すまない、義理のつらさには堪へきれない。
夜はねむれないので、おそくまで読書。
今日は愉快な出来事が二つあつた。――
一つは、うたゝ寝の夢に梅花を見たことである、早く梅が咲けばよいと念じてゐたせいでもあらう、夢裏梅花開[#「夢裏梅花開」に傍点]。
もう一つは、ゆくりなく蕗の薹を見つけたことである(秋田蕗)、日だまりにむくむくとあたまをもたげた蕗の薹のたくましさ、うれしかつた(醤油が買へたら、さつそく佃煮にしよう、そして樹明君を招いて一杯やらう!)。
ふきのとう数句が、ふきのとうそのものゝやうにおのづから作れた。

 一月十五日[#「一月十五日」に二重傍線] 晴、曇、そして小雨。

めづらしく快晴だつたが、やがてまた曇つた。
――待望の郵便が来ない、私が苦しむのは自業自得だが、樹明君に合せる顔がない、それが切ない。
麦飯のほけり[#「ほけり」に傍点](よい言葉だ)、自分でも呆れるほどの食慾、私の肉体は摩訶不可思議である!
――なんとつゝましく、あまりにつゝましい毎日である!
午後、ぢつとしてはゐられないので歩く、あてもなく歩くのである、さびしいといふよりもかなしい散歩だ(――いかにさびしきものとかは知る、――)、
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