雨が落ちだしたので、濡れて戻る、いよ/\さびしく、さらにかなしく。
出かけたついでに石油を買ふ(ハガキや豆腐や醤油は買へなかつた)、そして十三日ぶりに入浴して不精髯を剃る、湯のあたゝかさで少しは憂欝のかたまりがやはらいだやうである。
もう猫柳が光つてゐる、春の先駆者らしい。
――身を以て俳句する[#「身を以て俳句する」に傍点]、それはよいとかわるいとかの問題ではない、幸不幸の問題ではない、業だ[#「業だ」に傍点]! カルマだ! どうにもならないものだ! そしてそれが私の宿命だ[#「私の宿命だ」に傍点]!
小雨があがつて、良い月夜になつた、私は今夜も睡れない。
――私はしだいに行乞流転時代のおちつきとまじめ[#「行乞流転時代のおちつきとまじめ」に傍点]とをとりかへしつゝある、たとへ後退であつても祝福すべき回復である。
此頃は真宗の報恩講、御灯ふかく鐘の声がこもつて、そこには老弱[#「弱」に「マヽ」の注記]の善男善女が額づいてゐた。
吉田絃二郎さんの身辺秋風[#「身辺秋風」に傍点]を読んで、その至情にうたれた、よいかな純化されたるセンチ[#「純化されたるセンチ」に傍点]!
純なるものは何でもいつでもうつくしい[#「純なるものは何でもいつでもうつくしい」に傍点]!
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第六句集(幸にして刊行がめぐまれるならば)
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孤寒抄[#「孤寒抄」に傍点]の広告文案

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┌業やれ/\
└業だな/\
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 一月十六日[#「一月十六日」に二重傍線] 晴――曇。

霜晴れの青空がすぐまた雲で蔽はれてしまつた、冬曇りといへばそれまでだけれど、日和癖でもあらう。
来ない、来ない、来ない、待つてゐるのに、待ちあぐんでゐるのに、待ちきれなくなつてゐるのに、――それは何か!
ぼろぼろの褞袍を着て、焚火してゐると、我ながら佗住居らしく感じるが、他から観たら、山賊執[#「執」に「マヽ」の注記]居のていたらくだらう!
午後、樹明君が訪ねてくれた、つゞいてS君もやつて来た、二十日ぶりに快飲歓談した、折から庵中嚢中無一物なので、むろん、酒も魚も野菜も、炭も醤油までもが何もかもお客さんの負担である、うまかつた、うれしかつた、夕方めでたく解散、さよなら、ありがたう。
私はすぐ寝た、今夜は炬燵があるのでぬく/\と寝た、真夜中に眼が覚めて、それからはどうしても寝つかれない、本を読んだり句を作つたりしたが、長い長い半夜であつた。
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事象の説明であつても[#「事象の説明であつても」に傍点]、それは同時に景象の描写である句[#「それは同時に景象の描写である句」に傍点]、さういふ句を作りたい、作らなければならない。

┌個性の文学
│  (個人主義を意味しない)
└境地の詩
 (隠遁趣味ではない)

私はうたふ、小鳥と共にうたはう。
 (私の句作態度としては)

石を磨く[#「石を磨く」に傍点]。――
 (句作の苦しみと歓び)
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 一月十七日[#「一月十七日」に二重傍線] 晴。

日本晴! 天地悠久。
日が照つてあたゝかい、梅の蕾がほころぶだらう。
昨日、政府が発表した歴史的対支重大声明を読む、我々はこゝに日本国民の使命を新たに自覚し大和民族の将来を再認識して再出発したのである。
小鳥をうつな、うつてくれるな、空気銃を持ちあるく青年たちよ、小鳥をおびやかさないで、たのしくうたはせようではないか。
おごそかにしてあたゝかき態度[#「おごそかにしてあたゝかき態度」に傍点]、自他に対して生活的にも世間的にも。
午後は散歩、八方原橋を渡つて北へ北へ、途中で数句拾ふ、W店に寄つて一杯また一杯! 好日、好日!
春が近い、といふよりも、春のやうなうらゝかさであつた、ぽか/\あたゝかであつた。
その日その日のくらしが楽であるやうに願ふ、一日の憂は一日にて足れり[#「一日の憂は一日にて足れり」に傍点]、一日の幸もまた一日で十分だ[#「一日の幸もまた一日で十分だ」に傍点]。
今夜も炬燵があつてうれしい。
深夜の水を汲みあげて、腹いつぱい飲んだ。

 一月十八日[#「一月十八日」に二重傍線] 曇――雨。

好晴で爽快だつたが、間もなく曇つて陰欝で、そしてぬくい雨が降りだした。
朝から渋茶ばかりがぶ/\飲む、また絶食である、野菜少々食べる。
――寝るより外はなかりけり[#「寝るより外はなかりけり」に傍点]、といつたあんばいで、寝床の中で漫読。――
餓ほど[#「餓ほど」に傍点](死もさうであるが[#「死もさうであるが」に傍点])人間をまじめに立ちかへらせるものはない[#「人間をまじめに立ちかへらせるものはない」に傍点]、餓えたことのない胃は悲しんだことのない心臓のやうに[#「餓えたことのない胃は悲しんだことのない心臓のやうに」に傍点]、人間的でない[#「人間的でない」に傍点]。
何とぬくい寒だらう、炬燵なしでも何ともない。

 一月十九日[#「一月十九日」に二重傍線] 曇――雨。

あたゝかすぎるほどあたゝかい、炭をなくした寒がりには何よりのうれしさである。
毎日、新聞を読みつゝ、新聞の力[#「新聞の力」に傍点]を感じる。
Yさんからうれしい手紙が来た(予期しなかつたゞけそれだけうれしさも大きかつた)、助かつた、助かつた、炭代としてあつたけれど、米代にした、炭はなくても米があれば落ちつける。
郵便局で、思ひがけなく藤津君に邂逅、F屋で痛飲する、めでたく和解して、昨年来の感情のもつれも解消してしまつた、酔に乗じて、打連れて、雨の中を中村君徃訪、生憎不在、父君母君と持参の酒と肴をひろげて四方山話(親馬鹿、子外道の情合を味ふ、中村君しつかりしたまへ、孝行をしなさいよ!)。
暮れるころ、ふりしきる雨を衝いて、渡しを渡り、藤津君の宅に転げ込み、勧められるまゝにたうとう泊つてしまつた。
終夜水音、――不眠読書。
酒が料理が、菓子が、飯が水が、すべてが餓え渇いてゐる五臓六腑にしみわたつたことである。

 一月廿日[#「一月廿日」に二重傍線] 曇、時雨。

ぬくい/\、まるで四月ごろのぬくさだ。
しづかな邸宅だ、雨乞山の巌壁もわるくない、水音がよい、枯葦もよい、小鳥が囀りつゝ飛んで、閑寂味をひきたてる。――
送られて戻ると、ぢき、正午のサイレンが鳴りわたつた。
雨漏のあとのわびしさ。
さつそく御飯を炊いて、満腹の幸福[#「満腹の幸福」に傍点]、昼寝の安楽[#「昼寝の安楽」に傍点]をほしいまゝにする(冥加にあまるが、許していたゞかう)。

 一月廿一日[#「一月廿一日」に二重傍線] 曇、小雨。

大寒入、冬がいよ/\真剣になる。
何となく憂欝、そのためでもあるまいが、御飯が出来損つた(めつたにないことで、そのことがまた憂欝を強める)。
午後、誘はれて、出張する樹明君のお伴をして山口へ行く、ほどよく飲んで帰つて来たが、それからがいけなかつた、私は樹明君を引き留めることが出来なかつば[#「つば」に「マヽ」の注記]かりではない、のこ/\跟いてまはつて、踏み入つてはならない場所へ踏み入つてしまつた!……何といふ卑しさ、だらしなさ、あゝ。……
彼の酔態は見てゐられない、あさましさのかぎりだ、しつかりしてくれ、せめてもの気休めは夜ふけても戻つたことであつた。

 一月廿二日[#「一月廿二日」に二重傍線] 晴。

寒くなつた、あたりまへの寒さだが、寒がりの私は、炭もなくしたから、寝床にちゞこまつてゐる外ない。
終日不快、よく食べる私も一食したゞけだ。
支那人のやうにメイフアース――没法子――とうそぶいてはゐられない。

 一月廿三日[#「一月廿三日」に二重傍線] 晴。

大寒らしい寒さだ。
正午近く、T女来庵(彼女に感謝しないではないが、歓迎する気分にはなれない)、酒、下物、そして木炭まで持参には恐縮した、間もなく樹明君も来庵、飲みつゝ話す、話しつゝ飲む、酔はない[#「酔はない」に傍点]、酔へない[#「酔へない」に傍点]、夕方解散、よかつた、よかつた。
今夜は炬燵に寝ることが出来た、ありがたう。
どうでもかうでも、樹明君に苦い手紙[#「苦い手紙」に傍点]を書かなければならない。

 一月廿四日[#「一月廿四日」に二重傍線] 曇。

午前中は晴朗だつたが。――
午後、Nさん来訪、同道して出かける。
貧乏、貧乏、寒い寒い、食慾、食慾、うまいうまい。
食ふや食はずでも句を作らずにはゐられない[#「食ふや食はずでも句を作らずにはゐられない」に傍点]、業《ゴウ》だよ[#「だよ」に傍点]。

 一月廿五日[#「一月廿五日」に二重傍線] 曇。

やゝあたゝかくして小鳥のうた。
手紙を書く、書きたくない手紙だ、自己嫌忌、そして自己憐愍。
枯木を折る拍子に頭部に瘤をこしらへる、私自身が瘤のやうな存在[#「私自身が瘤のやうな存在」に傍点]である、ひとり苦笑する。
ポストへ出かける、トンビを質入して米を買ふ。……
私は癈人だ[#「私は癈人だ」に傍点]、だが[#「だが」に傍点]、私は良心的に行動したい[#「私は良心的に行動したい」に傍点]。

 一月廿六日[#「一月廿六日」に二重傍線] 曇、小雪。

良心沈静。
Kからうれしいたよりがあつた、ありがたや、めでたや。
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うれしいたよりが小鳥のうたが冴えかへる
[#ここで字下げ終わり]
初孫が生まれて来るさうな! 私もいよ/\おぢいさんになる!
……今日はぞんぶんに飲むつもりで出かける、……久しぶりに泥酔して動けなくなり、Wさんの店に泊めて貰ふ。……

 一月廿七日[#「一月廿七日」に二重傍線] 晴曇不明。

朝から飲む、飲む[#「む」に「マヽ」の注記]歩いて、酔つぱらつて、暮れて戻る、こんとんとして[#「こんとんとして」に傍点]何物もなし。
酔中、呂竹居に推参してお悔みを申上げたことは覚えてゐる、――この一事だけがせめてもの殊勝さだ、これで重荷が一つ抜けた。

 一月廿八日[#「一月廿八日」に二重傍線] 雪だつたらしい。

こん/\眠る。

 一月廿九日[#「一月廿九日」に二重傍線] 晴れたり曇つたりしたのだらう。

食べては眠り、眠りては食べ。――
樹明君から呼びに来たけれど行けなかつた。

 一月卅日[#「一月卅日」に二重傍線] 雪。

めづらしく婦人客があつた、樹明君を尋ねて奥さんがやつて来られたのである、悲しい事実ではないか、樹明君よ、奥さんをいたはつてあげたまへ。
夕方、暮羊君しばらくぶりに来庵、一杯やらうといふので、酒と牛肉とを買うて来てくれた、愉快な酒だつた。
私には[#「私には」に傍点]、食べる事飲むことだけが残されてある[#「食べる事飲むことだけが残されてある」に傍点]!

 一月卅一日[#「一月卅一日」に二重傍線] 晴。

霜白く空青し。
旧正月元日。
残つた酒、残つた肴で、めでたしめでたし。

 二月一日[#「二月一日」に二重傍線] 晴、曇、雪。

あゝたへがたし。――
八幡同人諸君の友情をしみ/″\感じる、そして、六日ぶりに床をあげて街へ、ついでに湯田へ、そしてたうとうS屋に泊つてしまつた。

 二月二日[#「二月二日」に二重傍線] 雪。

雪がふるふる、雪はふつても、湯があり、飯があり、酒がある、ありがたいことである、もつたいないことである。
十時帰庵、身心安静。
近来にない楽しい一泊の旅であつた。

 二月三日[#「二月三日」に二重傍線] 薄曇。

節分、宮市の天神様に詣りたいなあ。
餅を焼いて食べつゝ追憶にふけつた。

 二月四日[#「二月四日」に二重傍線] 晴――曇――雨。

立春大吉。
米買ひに街へ出かけて、ついでに一杯。
私がアル中であることは間違はない。
生活必需品と嗜好品との間に微妙な味がある[#「生活必需品と嗜好品との間に微妙な味がある」に傍点]、酒、煙草、新聞、等々。
悲しいかな[#「悲しいかな」に傍点]、身心相食む[#「身心相食む」に傍点]。
夜は招かれて、宿直室に樹明君を訪ねる、食べて飲んで、しやべつ
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